目 的
現在の助産師教育を理解するために,日本における助産師教育の発達経緯について明らかにする。今回は,1890年官立産婆養成所成立の背景として,東京における産婆教育について教育施設,教育担当者,教育内容について明らかにする。
方 法
東京府病院産婆教授所における産婆教育開始後東京における産婆養成所について,東京公文書館所蔵文書,医学系雑誌,官報,当時の新聞を手掛かりに史料を発掘し解明する。
結 果
東京における1890年までの産婆養成機関として9つの養成機関が確認できた。教育を担ったのは医学士,東京大学別課卒業医師,内務省免許産婆たちであった。修学期間は1年半のところがほとんどだったが,修学時間数でみると400時間から1200時間の間で開きがあった。具体的教育課程においても重きを置く分野が,基礎医学,産婆学の異常編,産婆学とさまざまであった。そのため,多様な産婆が教育され,濱田玄達の問題意識につながったと考えられた。東京産婆学校(紅杏塾)と官立産婆養成所を比較すると総教育時間数は同等であった。ただ時間のかけ方が異なっていた。官立産婆養成所では実地を重んじ,教育時間の半分を演習実地に充てていた。東京産婆学校では実地演習に充てた時間は総時間の1割程度のみであり,8割を講義にあて,しかも医学と産婆学の比率は50%ずつであった。
結 論
実地を重んじるのか座学を重視するのか,産婆の役割をどのように考えるかによってカリキュラムが異なる。今後,教育を担った医師や産婆の著述から産婆教育内容を検討し,今後の助産師教育を充実させる一助としたい。