南アジア研究
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プレームチャンド : インドの文学伝統を体現するモラリストとして
高橋 明
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1990 年 1990 巻 2 号 p. 129-144

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抄録

近年, 翻訳による現代インド文学の紹介が盛んであることは喜ばしいことと言わねばならない。一握りの研究者だけではなく, 一般の文学愛好家に広く読まれることによって, インド文学に対して片寄り, 偏見のより少ない判断が下されるようになるであろう二翻訳を通じて多くの読者の審美眼にさらされるからには, 研究者によるあまりに独り善がりの持ち上げ方は却ってインド文学全体に対する信頼を失わせることにもなるであろう.語学者, 研究者必ずしも文学の優れた読者ならず, という単純な事実をわれわれは常に肝に銘じておくべきである.
本稿ではインドにおいて今なお高く評価されている作家プレームチャンド (1880-1936) を取り上げ, その批判を試みた.後世の作家, 批評家に与えた影響の大きさを考えると, まず彼の文学への正当な批判なくして, 現代ヒンディー文学に対する公平な評価も将来への展望もできないと考えるためである.結論から言えば, 以下の2点から, 筆者は彼の作品が文学として一定の水準に達しているものとは考えない. (1) 彼の文学はリアリズムを標榜しながら細部において極めて恣意的な描写に終始しておりインドの現実を伝えるものとは言い難い. (2) さらに社会制度と個人のモラルの問題について区別して見ることができなかった.
こうした批判はこれまでもなされなかったわけではないが, 小論では彼個人の問題ではなく, そもそも独特な世界観・人間観を持つインドの文学伝統の一面が表れたものとして, すなわち伝統的な規範意識にとらわれた一人のモラリストとして考えようとした.
そのために一般に世評も高く, 彼の代表的な短編小説としてしばしば名前を挙げられながら, 上に述べた二つの欠点を免れることのできなかった作品を2編取り上げて分析した.
彼の文学に見られるモラルの偏重は, 作家自身を実生活においてもモラルを体現した理想的人物と見なす一般的な傾向とも無縁ではない.人間性の本質についての深い省察に基づかない文学は, 人間と社会に対する真の批判力を欠き, さらに一種のエリート主義に堕する恐れのあることも論じた.

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