南アジア研究
Online ISSN : 2185-2146
Print ISSN : 0915-5643
ISSN-L : 0915-5643
歴史研究の変化と展望-分散、拡散、還流のなかの地域像をもとめて-
大石 高志
著者情報
ジャーナル フリー

2008 年 2008 巻 20 号 p. 190-207

詳細
抄録

本稿の目的は、現在の日本におけるインド歴史研究を、戦後の研究の進展のなかに位置付けて理解することである。研究や研究動向記述の蓄積を統合的に俯瞰することで、歴史像や歴史観の変化を捉え、同時に、今後の歴史研究の見通しを特に自身の研究との関連で考察した。戦前の日本において、インド史に関する関わりは、「進歩性」と覇権を体現する西欧世界と植民地化を被るアジアとの狭間で、自己の在り方を探求する日本自身の自己追求作業の一部であり、それゆえに、この時期の歴史記述も、時々の政治状況と不即不離の関係を有さざるを得なかった。戦後のインド史研究は、戦前のインド史記述が抱えたこうした限界を克服すべく、とくに社会・経済的な文脈を意識的に組み込みつつ、一次史料の分析を伴う実証研究を本格化させた.1960年代までの歴史研究では、マルクスのアジア歴史社会論や発展段階論の流れのなかに、どのようにインドの歴史が妥当性をもって比定できるかが、結果的に、基底的検討課題となった.1970年代に現れた新傾向は、発展段階論との比定作業や停滞論を棚上げし、インド社会自体の歴史的な動態を捉えようとするものであり、王権や宗教などの非生産 (=土地) 関係の要素を取り込んだ複眼的な視点を確保することで、進展を見せた。
また1980年代中葉以降には、「オリエンタリズム」や「創られた伝統」、さらに他者化・自己化の問題軸を起点にして、「インド性」や既存国民国家の実体・仮構性、複合アイデンティティなどが検証されるようになり、こうした歴史把握の転換は、サバルタン・スタディーズ、公共圏、「周辺化された人々」など、様々な新領域を台頭させた。本稿の後半は、筆者自身が関わっている研究分野とその周辺領域に関連付けて、今後の南アジア研究の見通しを示したものである。従来は、地縁社会や政治体などの特定領域内での生産や統治に関わる内向きの統合力や組織性、制度化などに主眼を置きつつ、その社会の特性を検討するという基本的な視角があったが、実際には、現在進行中の研究でも徐々に明らかにされているように、インド史において、内向きの収斂や均質化、集権化は社会動態の1つの方向性に過ぎず、カーストやイエ、宗教などの在来の個別的・分節的要素が、それ自体、母体となって組織を維持し続けたり、そうした小規模な組織が分散したまま柔軟に適宜結び付くことで独自の秩序形成や経済発展が見られたりした。また、こうした分散的な小規模分子には、高い移動性や広域性を発揮するものが含まれ、インド亜大陸の内外に、地域拡散的もしくは広域分散的な動きを見せてきた。本稿では、こうした歴史像とその検証の見通しを、筆者自身が取り組んでいるムスリム商人や、彼等が関わりを有した商品やその経済を事例として示した。

著者関連情報
© 日本南アジア学会
前の記事 次の記事
feedback
Top