文化人類学
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論文
身体に内在する社会性と 「人格の拡大」
ニューギニア高地エンガ州サカ谷における血縁者の死の重み
深川 宏樹
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2016 年 81 巻 1 号 p. 005-025

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抄録

 ニューギニア高地エンガ州サカ谷では、血縁者間の争いや軋轢において当事者が自らの内に鬱積 した怒りや悲しみを抱くと、その感情が特異な影響力をもって自他の身体に病や死をもたらす。こ の感情はエンガ語で「重み(kenda)」と呼ばれる。この論理に基づけば、血縁者間の関係の悪化は、 当事者の身体能力の減退へと結果する。本論ではこの「重み」の事例を、ストラザーンの研究に代 表される人格論の観点から考察する。

 先行研究では、ニューギニア高地の人格と身体はある特殊な社会的プロセス、すなわち交換関係 の連鎖が展開する場として捉えられる点が指摘されてきた。身体は、交換関係の連鎖的な展開の外 部に位置するのではなく、その内部にあり、過去の贈与交換によって構成されながら、未来の贈与 の動因となる。妊娠、出産、成長、死と変転する身体は、島々を循環するクラ財や名声と等しく、 人格の行為の産物であり、かつ動因である。こうした議論は、非社会的な身体を措定し、それを社 会的なものを表現する手段とする従来の枠組みを乗り越える上では有効なものであった。

 しかし、先行研究の記述枠組みでは、あらゆる行為が等しく交換関係と身体の生産へと向けられ、 広義の生産性をもつ限り、すべての行為と関係、そして身体が等質に描かれる。誕生も、成長も、 病も、死もすべて交換関係と身体の産出の一契機とみなす立場からは、本論で取り上げるような、 文字通り我が身を滅ぼすほどに激しい感情は視界から消え失せてしまう。本論では、先行研究とは 対照的に、むしろ関係の非生産、身体能力の徹底的な減退へと向かう、ある種の強烈な感情に焦点 を当てる。そこから明らかになるのは、先行研究では光を当てることのできなかった受動性の極致 における人格の変容である。

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2016 日本文化人類学会
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