文化人類学
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論文
腐敗、反腐敗、「個人的価値」
インド、ムンバイにおける「二つの自己」をつなぐ市民の運動
田口 陽子
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2016 年 81 巻 3 号 p. 413-430

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抄録

本稿は、反腐敗運動を通して、インド、ムンバイにおける「市民」の政治とはいかなるものなのかを論じる。2011年に「市民社会」が率いた反腐敗運動は、自らを「非政治的」であると位置づけ自由市場の論理を掲げることで、政治家の腐敗を糾弾した。この運動は「ミドルクラス」を中心に広く支持を集めた反面、左派知識人からは批判の対象となった。批判の論点の一つは、腐敗を糾弾する人々の身勝手さ、あるいは分裂した「二つの自己」に向けられた。

反腐敗運動への支持と批判、そして「二つの自己」という説明は、インドにおける市民社会と政治社会の入り組んだ関係を反映している。そこで本稿は、マリリン・ストラザーンの「部分的つながり」とインド民族社会学の人格論を参照することで、市民社会と政治社会の関係に別の角度から焦点を当て、インドの市民運動を捉えなおすことを試みる。

この目的のため、本稿では、社会科学者が現地の市民社会をめぐって展開する議論や、活動家や人気作家による市民運動の解釈も資料の一部とする。具体的には、腐敗の在り方と反腐敗運動の概観を示し、運動に対する知識人の批判を分析する。そのうえで、反腐敗運動に付随するさまざまな動きの事例として、ムンバイの市民による選挙運動、心理計測講座での腐敗についての議論、そして作家チェータン・バガトによるエッセイと小説を取り上げる。

以上を通して、運動が腐敗の対極にある(経済的かつ関係的な)「自由」を目指しながら、再度腐敗と愛着のつながりの中に文脈化されていったことを示す。さらに本稿は、この運動において、腐敗と反腐敗という相いれないものを部分的につなげるために「個人的価値」というイメージが提示されていたことを指摘し、この「個人的価値」を通して、いかに「二つの自己」が一つの全体性に包摂されず独自の「市民」的なやり方でつなげられているのかを描く。

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2016 日本文化人類学会
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