2024 年 88 巻 4 号 p. 712-731
本稿は、社会運動研究者である筆者が、調査という行為によって社会運動従事者の人々を搾取してしまった経験から、自らマスメディアを通じて社会運動をすることで償いを試みた実践を、調査という「原罪」とその「贖罪」、また「共約不可能性」という観点から記述する。本稿は、多くの質的調査者が調査対象に対して抱くであろう「罪」という感情の揺れ動きをオートエスノグラフィにより検討することで、研究者と活動家、調査研究と社会運動の「狭間」がどこにあるのかを考える。それにより、人類学と社会学の差異と連携の可能性を提示することで、「「狭間に生きる」——現代日本を民族誌する上での困難と可能性」という本特集のテーマに貢献する。