2026 年 78 巻 2 号 p. 127-150
本稿はフェミニスト地理学の視点から,アルコール依存症を生きる8名の女性のライフヒストリーを分析し,「癒しの場所」の変容過程を明らかにする。従来の「癒しの景観」概念を批判的に継承し,場所を関係性の中で生成される動的なプロセスとして捉える。身体化された時間的・情動的経験を記述するためにリズム分析を導入し,ホームを中心に,親密な関係や再生産労働に根ざす制度的リズムに焦点を当てる。本稿では,制度的リズムと身体的リズムの齟齬や過剰な同期において生じる身体的応答を「ズレ」と呼ぶ。女性たちは資本主義的家父長制のもとで,親密な関係において過度なリズムの同期を強いられ,そのズレは閉塞感や疲労として身体に表れていた。飲酒は,その痛みを一時的に緩和し,「癒しの場所」を生み出すズレの実践として機能した。しかし飲酒のリズムの加速に伴い,身体を損耗し,やがて場所としての意味を失っていった。一方,依存症者の集まりである自助グループでは,男性中心的なリズムが支配的であった。それでも女性たちは,連帯の中でズレを言語化し,互いの差異を肯定しながら新たなリズムを紡ぐことで,「癒しの場所」を立ち上げた。ズレは痛みへの応答であると同時に,新たな関係性を編み出す生成的契機でもある。したがって,回復とは,日常的な力学を媒介に,身体と感情を再領有していく関係的プロセスである。