魚類学雑誌
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日本産マイワシの漁獲量変動機構に関する研究
中井 甚二郎
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1962 年 9 巻 1-6 号 p. 1-115

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抄録

極東水域のマイワシ漁獲量は過去において大きな変動を示した。筆者は本種の生物学的知見を総合し, それに基づいて1900年代における漁獲量の変動機構を検討した。
1.資源変動の追究に必要な生物学的知見を要約すると次の通りである。
a.既往の報告によると極東水域におけるマイワシ類漁獲物の大部分はマイワシSardinops melanosticta (TEMMINCK & SCHLEGEL) である。
b.マイワシは主として冬から春にかけて日本の中南部海域で産卵する。産卵場は資源の消長にともなって著しい変遷を示した。
c.放出された卵の恐らく大部分は直ちに受精する。卵の発育速度と温度との関係はARRHENIUSの式で近似され, 温度係数μ は約31, 000である。卵黄吸収期前後の死亡率は非常に高く, 受精から全長15mmの後期仔魚期までの生残率は0.1%内外に過ぎない。
d.年令は鱗に生ずる年輪によって推定される。成長度は春に増大し, 冬に減少する。生涯にわたる成長はBERTALANFFYの式で示される。成長曲線の一例を1949-51年に得られた資料に基づいて示すと次のとおりである。
l=22.39 {1-e-0.87 (t-0.0483) } cm.
e.個体の産卵回数に関しては十分な知見は求められていないが, 一尾の雌は年に2~3回産卵し, 1回に24, 000~48, 000の卵を産むと考えられる。
f.卵黄吸収直後の後期仔魚は主として撓脚類の卵, 小型ノープリウスをとる。その後は動物性および植物性プランクトンをかなり無選択的に捕食する。
g.本種は主として旋網, 流網, 定置網, 敷網, 地曳網, 船曳網で漁獲される。全分布域を通して見ると漁期は周年にわたる。漁場の分布は資源の増減と共に大きく変った。
2.マイワシは日本において石器時代から漁獲の対象となっており, 19世紀以前にも本種の消長が漁村の興廃をひき起したことが記録されている。20世紀にはいり科学的調査が行なわれるようになってからマイワシ資源に認められた顕著な変動を要約すると次のとおりである。
a.極東水域におけるマイワシ漁獲量は1910年以前は15万トン以下であったが, 1924年頃から急増を始め1935年頃には200万トンを越えた。1940年代に入ると漁獲量はいちじるしい減少を示し, 1945年には16万トンに過ぎなかった。その後多少の回復は見られ1951年には48万トンに達したが, 1955年には再び20万トンに急減した。1935年頃の豊漁期には主漁場は東北, 北海道の太平洋沿岸と北朝鮮沿海であった。この時代には漁獲海域は沿海州, 樺太にも拡がっていた。1945年以降になると北朝鮮, 沿海州, 樺太には産業的な意味での漁獲はあげられなくなった。1950年頃の主漁場は九州北西沿海に移り, さらに1955年以降になると能登半島を中心とする本州日本海沿岸が主産地となった。
b・1940年頃までの豊漁期には九州南端の薩南海域が主な産卵場であった。漁場の場合と同様に産卵場の中心も1950年頃には九州北西沿海, 1955年頃には能登半島近海或はその以北に移行した。
c.豊漁時代にはIII年魚が主産卵群で次いでIV年魚, II年魚が多かった。これに対して1950年以降における産卵親魚の多くはII年魚である。資源量の減少にともなう成長度の増大が認められた。たとえばIII年魚の平均体長は1940年頃には約18cmであったが, 1944年には20cmを越えた。近年におけるそれは20~21cmである。
d.豊漁期には大回遊を行なう卓越群の存在が認められた。この卓越群は主として薩南近海を中心とする九州南部海域で産まれ, 卵, 稚仔時代に黒潮によって本州太平洋沿岸まで運ばれた。彼等はI年魚からII年魚時代には主に東北地方および北海道の太平洋沿岸に分布し, その主体はII年魚時代の末に日本海に移動した。III年魚時代に入り成魚となってからは, 日本海, 東支那海を分布域とし春に北上, 秋に南下した。第2次大戦後の不漁期になると大回游をする卓越群は見られず, かなり独立性の大きい地方群の存在が目立つようになった。
e.豊漁時代には分布の末端水域で成長した親魚の大量斃死が認められたが, これが資源を減少させた主因であるとは考えられない。一方卵, 稚仔漂流の原動力となっていた黒潮の変化が1938年頃から注目された。これは発生初期における死亡率が高いという事実等と関連して重要な現象であると思われる。
3.漁獲統計, 生物学的知見および環境条件に関する資料に基づいて1924年以降の極東水域における漁獲量変動の要因を検討して次の結果を得た。
a.1924-33年における漁獲量増大には漁業の発展のみでなく, 資源量自体の増大が関与している。
b.1940年代における漁獲量の急激な減少は産卵場から漂流中の稚仔の大量斃死による資源量の減少に基づくものである。
c.1949年以降における主分布海域であり, 又主漁獲海域でもある対馬海流域の漁獲量減少は主として資減量の減少によると考えられる。

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