従来は医学と全く縁が無いとされてきたサッカロミセス属の代表的酵母であるSaccharomyces cerevisiaeが今や,基礎医学や分子生物学の分野で重要な実験材料として用いられている.何故か?それはこの生物がその生活環のほとんどを単細胞状態で過ごす微生物でありながら,しかも高等生物と同じ真核細胞で出来ていることによる.単細胞微生物であるが故に取扱いが簡単であり精密な遺伝学的解析が容易にできる.また,真核生物であるが故に,DNA複製,転写,翻訳,さらには,細胞分裂やシグナル伝達といった多くの重要な生物学的素過程がヒトを含む高等生物のそれらと酷似している.このため,これら素過程の研究が酵母をモデルとして盛んに行われている.特に,転写制御の分子機構の研究は,微生物の外界に対する適応現象に端を発し,現在では動物のホルモン制御,発癌,記憶といった高次生命現象の解明に必須である.
本総説では,近年飛躍的に進歩した真核生物における転写制御の分子機構を概説し,この分野において酵母が果たしてきた貢献を紹介する.特に遺伝子発現の最終段階において,遺伝子に特異的な活性化因子がどのようにして遺伝子に共通な転写開始装置を制御しているかに焦点をしぼって概説する.