抄録
明治期における広島県中学校の運動部について上級学校との比較を念頭におきながらその特徴を考察した. その結果, 校友会組織における運動部優位という現象やメジャー・スポーツが野球, 端艇, 柔剣道であったことなど, 形式的にはかなりの類似点が認められたが, 中学校運動部は学校当局によって準備された言わば上から与えられた組織であるという点に基本的相違が見出された. また学校当局は明治30年代前半までは運動部の育成を図るが, 40年代にかけては規制へと態度を変えていき, さらに40年前前後に一般的であった運動競技批判の風潮は広島県中学校の運動部活動にも微妙な影響を与えていることが示された.