2025 Volume 14 Issue 1 Pages 8-10
私がこれまでずっと持ち続けてきた問いがあります.それは,「人々の健康は私たちが支える」と表現するときの「私たち」とは誰なのか,「誰と誰がどのように支えるのか」という問いです.会長講演では,この問いの原点となった体験を中心にお伝えします.第13回日本公衆衛生看護学会学術集会のテーマにつながる背景としてご理解いただければ幸いです.
私は,名古屋市の保健師として勤務をし,その間,青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)に休職参加をし,マレーシアサバ州の村落開発プロジェクトに従事しました.本プロジェクトはマレーシアのボルネオ島に位置するサバ州の4か所にモデル村を設置し,各モデル村に食用作物,畜産,土木施工,保健,村落開発という異なる専門の協力隊員をチームで派遣するというものでした.こうしたチーム派遣はJICAにとっても初めての試みでした.私が赴任したのはモデル村の1つ,人口約500人のサリマンドウ村という小さな村で,医療施設がない無医村です.
村落開発プロジェクトであったため,私の活動は村落開発の一分野としての保健活動としての位置づけでした.プロジェクトでは現地の関係機関とともに各分野の協力隊員が,3ヶ月ごとに,自分たちが立てたプランの進捗を振り返り,それを検証しながら次につなげていくための会議を開催していました.いわゆるPDCAサイクルです.現在ではPDCAサイクルというのは当たり前の用語になっていますが,当時日本の保健分野ではそこまで一般的ではなかったと思います.保健分野における活動として,村民の健康診断,栄養改善のための料理教室,保健委員の養成,乳幼児の健康相談等の活動を中心に行っていましたが,土木施工を担当する協力隊員の赴任が遅れ,私は簡易水道など専門外の活動のマネジメントにも取り組むことになりました.
プライマリ・ヘルスケア(PHC)では「健康は保健部門のみによって,獲得することはできない.とくに発展途上国においては,経済開発,貧困対策,食料生産,上水道,衛生,住居,環境保全そしてすべて保健医療に貢献する(中略)PHCは保健システムのなくてはならない部分として,また全社会経済開発のためになくてはならないものとして,保健とその他のすべての関係する部分のあらゆる水準において,適切な協力を得ることが不可欠である」(WHO, 1978)という考え方が示されています.私は,プロジェクトに派遣される前から,プライマリ・ヘルスケア(PHC)の観点としても大きな期待を持ち,マレーシアに向かったのです.プロジェクトでは,異なる分野の隊員たちと生活実態調査を行い,それぞれの分野の活動を意識しながら,活動計画を立てて実践をしていきました.しかし,正直に言えば,私は,異なる分野の隊員たちとの協働の中で苦しさを感じることが多かったのです.共通言語が持てないという悩みもあって,私も含めてお互いの専門性の枠が硬いということを実感していたからです.若い私たちの未熟な部分もあったかと思いますが,異なる分野の隊員たちとの協働をお互いが楽しむことができなかったという経験は,すでに何十年も経っていても,現在のことのように思い出します.そして,協働の難しさを感じたことがその後の仕事にも課題となって残っていったのです.
2つ目の体験は,フィリピン・ミンダナオ島でのフィールドワークでの体験です.私は2009 年に大学院博士課程での研究のためにミンダナオ島と行き来しながら,最終的に約3ヶ月間,フィールドワークで滞在しました.研究の目的はフロントラインの看護職(フィリピンでは地域助産師)たちが行っている保健ボランティアのマネジメントを把握することでした.フィールドワークで把握できた地域助産師たちの働きは本当に素晴らしいものでしたが,何よりも住民たちのパワーに圧倒され,それまで私が抱いていた保健医療職が住民の健康を守るという前提が打ち砕かれたような経験をしたのです.
フィールドワークを行ったのは山間地域を多く含む人口約45,000人の自治体,ニューコレリアという町です.ニューコレリア町には,保健医療職として保健所に医師1名,歯科医師1名,歯科助手1名,検査技師1名,環境衛生技師1名,公衆衛生看護師1名,そして地域助産師7名が勤務していました.プライべートの診療所などは存在せず,自治体の規模から考えると保健医療職の割合は非常に少なかったと言えます.フィリピンの農村部では保健所が予防活動と治療の両方を担当しているため,保健所で簡単な治療や怪我の処置などを行っていました.ニューコレリア町ではバランガイ・ヘルス・ボランティア(以下BHW)と呼ばれる保健ボランティア205名(当時)が活動しておりました.当時,ニューコレリア町では,母子保健や感染症などに加えて,脳血管疾患や糖尿病,心臓病といった生活習慣に起因する疾患も随分増えてきておりました.BHWたちが担当している仕事は実に幅広いものでした.BHWたちは地域助産師のもとで会議を行い,保健関連の情報を地域助産師から得て,それを地区会議で住民に伝える,そして逆に住民から得た生活実態や要望を助産師さんたちに伝える役割を担っていました.母子保健クリニックや健康相談での補助,ファーストエイドを担当することもありました.そして地区を担当し,世帯ごとに,家族成員の数,子どもの数や家族計画が必要な人の数などの情報の集約もBHWたちが担っていました.BHWたちの中でトレーニングを受けて,簡易薬局を運営している人たちもいました.自らが薬草を栽培して販売するプロジェクトを行うBHWグループもあり,地区のイベントにもくまなく駆り出されるという多忙な状況でした.フィールドワークの間,私は,人々の健康は誰によって守られているのだろうかと,ずっと考えていました.BHWたちのパワフルな活動の様子に,保健医療職が住民の健康に貢献できる部分はごく一部なのかもしれないと感じながら過ごし,とても複雑な思いだったことを覚えています.もちろん,フィリピンでも疾病構造が大きく変わってきていますので,新しい健康課題に対する医療職の役割は非常に大きいと思います.しかし, BHWたちもまた新しい健康課題にチャレンジしていくことになるのだろうと思っております.
3つ目は,看護学教育や研究,実践を通じて出会うことができた日本の住民による地域のコミュニティの活動です.私にも名古屋市での保健師経験がありますが,経験年数が短かったので,実践を積み重ねることができておらず,看護学教育の世界に移ってからは,できる限り,長期的に愛知県内の市町村に顔を出させていただくことを心掛けました.例えば健康日本21計画作りで関わらせていただき,それをきっかけに日本の住民による地域活動について学ばせていただくことも多かったと思います.そして現在では,住民の力を借りた実習教育を行っています.1年生,2年生の時の実習で,地域に出て,地域で力をもっている人たちに出会って,その中で私たち看護職は何ができるのか,何をしたらよいかと考えるような実習を行っているところです.
ぜひ紹介したい活動として,愛知県北設楽郡にあります設楽町津具地区にある「つぐロコモ予防体操教室」があります.設楽町は高齢化率が50%を超える中山間地です.本学術集会の公開プログラムである「住民サミット」にも参加される予定です.「つぐロコモ予防体操教室」は活動が立ち上がって約12年になります.この活動を運営されているのはロコモサポーターという住民の方たちです.実習で設楽町に伺ったのが出会いのきっかけだったのですが,私はこの活動から大きな学びを得ております.住民たちのパワーあふれる活動により,参加者の心身の健康増進,関わるロコモサポーターや参加者の生きがいづくり,地域の協力の拡大などで確かな効果が生まれております.長く続いたコロナ禍でしたが,感染対策を行いながら活動を継続されていました.ロコモサポーターの中には,保健師を退職後,こちらの地域にお住まいになり,この活動を一緒に支えていらっしゃる私の尊敬する大先輩がおられます.後輩として本当に誇らしいことだと思います.
私は,設楽町によく海外からのゲストを連れて行くのです.私としては,日本の地域活動の担い手と海外の地域の活動の担い手が出会うとどうなるのかなという思惑があるのですが,やはり,同じように地域の活動を長く続けている人同士,国や地域が違っても言葉が違っても分かり合えるものがあると思います.お互いに励まし合ったり,自分たちの活動が,これが大事なのだと納得できる出会いになっていると感じております.
そして現在,研究の一環で入らせていただいている自治体でも大きな学びがございます.愛知県の中でも外国人住民の方たちが多いコミュニティで市民団体が行っている活動です(坂本,2023).毎月,多文化子育て支援事業として,多文化背景を持つ親子に参加してもらっております.本事業は市役所,保健センター,保育園,消防署,図書館,市外の多様な分野の講師たちに協力していただき,バラエティあふれる活動となっております.保健師,保育士,小学校の教諭たちを対象に外国にルーツを持つ子どもたちの母語を考えるセミナーを開催したこともあります.
興味深い試みとして,日本には七五三という行事がありますが,この市民団体では着物の着付けができる地域のボランティアの協力を得て,外国人住民のお子さんたちに着物を着付けて写真を撮るというプログラムを行っています.いろいろな形で地域の方たちが協力ができるようなイベントになっているかと思います.
この活動で特徴的なのは,当事者である母親や父親たちが同じ子育て中の親としてプログラムを設定していることです.「私も聞きたい」,「今度皆で話し合ってみよう」という当事者目線の発想でプログラムを作っているのですが,楽しい・役に立つ・繋がれるということがキーワードになっています.中でもスタッフの中のブラジル,ペルー,フィリピン,ベトナムなどの外国人スタッフたちは,外国人住民の親御さんたちとの繋ぎ役になってくれています.プロフェッショナルが行う活動とは異なると思う点は,支援される側と支援する側の境界が曖昧なところでしょうか.「次はあなたの国の遊びを紹介してね」とか,「誰々さんはいつもママたちの通訳を助けてくれるね」といった具合に,ある時は助ける,ある時は助けられるという関係が活動を広げる可能性につながっていると思います.この活動も10年近くなりますので,参加していた子どもたちが成長し,幼い子どもたちの面倒を見てくれるというような場面も多くなっています.私は,こんなふうに,誰でも参加したり,関わったりできる場をふわっと作り出しているというところが,とても素敵だと思っています.この活動では,多様なアクターを通じて情報や関係を結ぶ広がりのある場へと広がり,市役所や保健師の皆様もこの中に巻き込まれているように思います.協力をしてくださるところが増えてきておりまして,多文化子育て事業を取り巻く人たちが多くなっていると思っております.
今回のお話でご紹介した事例からは住民の力を実感できると思います.
現在を生きる私たちが抱える課題については,共通の認識があると思います.相次ぐ深刻な自然災害や新たな健康危機の到来で,次から次へと,なぜこんなに自然災害が起こるのだろう,健康危機が生じるのだろうと,絶望的な心境にもなりがちです.対応についても複雑かつ見えにくくなった健康課題の存在があります.そうした中でひたひたと健康格差が広がっています.先ほども外国人住民と協働する活動の例がありましたが,多様な価値観を持つ住民が増加しています.目まぐるしく変化する保健政策への対応も本当に大変です.そんな中で,狭い意味での公衆衛生看護の範囲では,多くの課題に立ち向かうことに限界を感じている方も多いのではないかと思います.しかし,一方で,私たちの周りには多くの力強いパートナーたちの存在があります.学術集会のテーマである「多様なパートナーとともに未来を作る公衆衛生看護」では,保健師としてどう取り組むかということから,多様なパートナーとどんな未来を一緒に創っていけるのか,その中で保健師はどんな貢献ができるのかを考えていきたいと思っております.
この度は,第13回日本公衆衛生看護学会学術集会会長という大役を拝命し,学術集会を愛知県で開催する機会をいただきましたことに対し,日本公衆衛生看護学会理事長を始め,理事の皆様,会員の皆様,学術集会にともに取り組んでくださいました愛知県の企画委員,実行委員,事務局の皆様に感謝申し上げます.