日本公衆衛生看護学会誌
Online ISSN : 2189-7018
Print ISSN : 2187-7122
ISSN-L : 2187-7122
活動報告
統括的保健師による健康危機管理の推進に向けた取り組み
―災害健康リスクアセスメントの実践―
山村 奈津子
著者情報
ジャーナル オープンアクセス HTML

2020 年 9 巻 2 号 p. 112-120

詳細
Abstract

目的:A市の統括的保健師と研究者が取り組んだアクションリサーチを通して,自治体で健康危機管理を推進しようとするとき何が困難となるのか,災害健康リスクアセスメント(Disaster Health Risk Assessment; DHRA)は健康危機管理を推進する起点になり得るのかを検討する.

方法:DHRAの実践に関わる統括的保健師の取組内容を記録するとともに関連資料の収集を行った.収集データの質的内容分析を行い,アクションリサーチのプロセスを記述した.

結果:健康危機管理を推進する困難として,保健部局の危機管理体制,保健師の連携体制,統括的保健師の準備状態に関することがあると分かった.統括的保健師と研究者が市役所の健康危機対応力に関するDHRAに取り組んだ結果,統括的保健師の中で健康危機管理に対する取組方針が確立し,具体的な行動計画の導出に繋がった.

考察:DHRAの実践は,自治体保健師による健康危機管理の推進を後押しする可能性が示唆された.

I. はじめに

2015年に採択された仙台防災枠組は,災害に伴う被害の軽減にあたり,災害リスクの削減を重視している(United Nation, 2015).災害リスクとは,ハザードの特性や規模,社会や人々の脆弱性・対応力によって決定される資産や生命の破壊・損傷の可能性であり(United Nation Office for Disaster Risk Reduction, 2017),地域保健対策においても,災害時の健康被害を最小限に留めるようリスク削減に取り組んでいくことが必要と考えられる.

自治体の保健師は,地域診断によって取り組むべき健康課題を明確にし,PDCAサイクルに基づく地域保健関連施策の展開及び評価を行うことを職務としており,健康危機管理の一環として,災害対策の推進にも寄与していくことが求められている(厚生労働省健康局,2013).従って,自治体保健師は,平常時から災害時の健康問題に繋がるリスクをアセスメントし,計画性,優先性を持って健康危機管理を展開する必要があると考える.

地域診断は,コミュニティの顕在的・潜在的ヘルスニーズを把握し,健康課題の背景,コミュニティや人々の対応能力を分析して事業プロセスに結び付ける専門的判断・技術とされる(日本公衆衛生協会,2011).災害に起因する健康被害を潜在的ヘルスニーズと捉えると,地域診断は,災害時の健康リスクのアセスメントにも有用と考えられる.実際に,災害サイクルの各時期に県本庁・保健所・市町村がそれぞれの立場で行うべき地域診断項目のチェックシート(宮﨑ら,2015)も開発されている.

しかし,地域診断の実践に関しては,多くの保健師が苦手意識(村田ら,2011)や困難(高橋ら,2007)を感じていることが報告されており,その背景には,数字や統計に対する苦手意識,統計情報が容易に収集できない環境,データ不足・分析不足による非成功体験,データ分析スキルを持った人材不足(松浦ら,2012),推定される膨大な作業量(加藤ら,2010)等があると指摘されている.これらは,地域診断を健康危機管理に活用する際にも当然障壁となることが推察される.

また,災害時の健康リスクをアセスメントする場合,自治体の健康危機管理体制や災害への準備状態も重要な査定項目となる.しかし,通常の地域診断では,自治体の組織体制や保健師の活動体制にはあまり目が向けられていないことも懸念される.

そこで研究者は,前述の「災害リスク」の定義(United Nation Office for Disaster Risk Reduction, 2017)及び「健康リスク」の定義(特定のハザードへの暴露状況における健康影響の見込みあるいは可能性(World Health Organization, 2013))を参考とし,「災害健康リスク」を,「予測されるハザードの特性や規模,人々や社会の対応力あるいは脆弱性によって決定される,ハザードの発生または暴露に起因して生じる個人あるいは集団の健康状態の負の変化の可能性」と定義した.そして,種々のデータから災害健康リスクを推定する質的または量的アプローチを「災害健康リスクアセスメント(Disaster health risk assessment; DHRA)」と称し,DHRAを起点に健康危機管理を推進する必要性について,アクションリサーチを通して検討することを計画した.

アクションリサーチは,望ましいと考える社会的状態の実現を目指して研究者と当事者が展開する協働的な社会実践(矢守,2010)である.本稿では,健康危機管理の推進に課題を感じ,状況の改善を図りたいと考えた自治体保健師と研究者が取り組んだアクションリサーチの一部を報告し,自治体の保健部局で健康危機管理(災害対策)を推進しようとするとき,何が困難となるのか,DHRAは健康危機管理を推進する起点になり得るのかを検討することを目的とする.

II. 活動方法

1. フィールドと研究協力者

本研究の実施にあたり,N県下の市町村に対してDHRAの実践に関心のある自治体・保健師を1自治体募集した.その結果,A市の統括的保健師(以下「市統括」とする.)からアクションリサーチへの参加希望があった.

アクションリサーチのフィールドとなったA市の災害履歴の多くは風水害である.研究協力者である市統括は22年目の保健師で,研究実施年度から統括的立場に置かれた保健師であった.本研究以前から,A市の保健部局では,地域診断に基づくPDCAサイクルが展開できていないこと,災害対応を含む健康危機管理が実施できていないことが保健活動の課題に挙げられていた.市統括は,アクションリサーチをきっかけに,これらの課題を改善していきたいと考えていた.

2. データ収集と分析

A市でのアクションリサーチ実施期間は,2017年10月から2018年3月までの6か月間である.アクションリサーチのプロセスは,Kemmis & McTaggartのモデル(McNiff et al., 2002)を参考に,「リフレクション」「行動計画」「行動・観察」という流れを循環させて進めた.研究者は,月1回程度フィールドへ出向き,市統括のリフレクションの促進や取組への助言等を行った(表1).

表1  アクションリサーチの工程
プロセス 回数 内容
現状のリフレクション 第1回 健康危機管理に対する課題認識を共有
行動計画 第2回 課題解決のための行動を計画
行動・観察 第3~5回 計画の実践
結果のリフレクション次年度の行動計画 第6回 取組結果の振返りと今後の行動計画の共有

分析データは,フィールドノートとICレコーダーを用いて収集した活動中の会話や実践内容の記録,健康危機管理に関するA市の業務体制や事業計画等関連資料のコピーである.会話内容は,研究協力者の了解を得てICレコーダーに録音した.

データ分析は,Mayring(2014)の質的内容分析を参考に行った.本研究のリサーチクエスチョンは,①自治体の保健部局で健康危機管理に取り組もうとするとき何が困難となるのか,②DHRAは健康危機管理を推進する起点になり得るのかである.これらの問いを明らかにするため,市統括が認識している健康危機管理の困難は何か(「現状のリフレクション」),困難の解決に向けてどのようなDHRAが計画され(「行動計画」),実施されたのか(「行動・観察」),その結果どのような変化が研究協力者やフィールドに生じ(「結果のリフレクション」),どのような継続計画が立てられたのか(「次年度の行動計画」)が表出されているデータを抜き出し,分析単位とした.分析単位は,一定の意味や状態を解釈できる小単位に分割し,反復表現や修飾部分の削減あるいは曖昧な表現等の説明的言い換えを行い,内容を的確に表現する短文にした.次に,同様の文脈に属すると思われる短文を統合し,文脈内容を示すカテゴリーを付してアクションリサーチのプロセスを記述した.

データの解釈については,研究協力者に確認するとともに,災害看護または質的研究に精通する研究者5名からスーパーバイズを受け,分析の妥当性を確保した.

3. 倫理的配慮

本研究は,兵庫県立大学看護学部・地域ケア開発研究所研究倫理委員会の承認を得た上で実施した(平成29年7月17日承認番号:博士3).研究協力者には,口頭及び書面で研究に関する事項について説明し,研究協力に対する同意を書面にて得た.また,市の業務や事業に関する資料は,個人情報等を含まない公表資料のみを分析データとして収集した.

III. 活動内容

データ分析の結果から得られたアクションリサ―チのプロセスを図1に示す.以下,抽出されたカテゴリー(【 】で表記)と実際のデータ(「 」で表記)を用いて,A市における活動を報告する.

図1 

アクションリサーチのプロセス

1. 現状のリフレクション

リフレクションの結果,A市における健康危機管理の困難について,次の3点に関するカテゴリーが抽出された.

1) 保健部局における危機管理体制の未整備

A市で健康危機管理を推進する際の困難について,市統括は,「災害時に保健師がすることが曖昧で.部の(事務)分掌として色々な記載はあるんですが,じゃあ部内で保健師が何をするとか,誰も何も考えていないと思います」と話し,【災害対応における保健師業務や指揮系統が不明】であることを指摘した.それまでも,市統括は,災害時の組織横断的な保健活動の必要性について,保健部局の管理職に訴えてきたが,【災害時保健活動体制について保健部局管理職との認識の相違がある】と感じていた.市統括の上司にあたる保健部局の管理職には,「災害対策は防災部局の所掌業務」という認識があるため,災害対策を保健師の活動に位置づけることに反意を示していた.結果として,【災害対策に関する業務は保健師の活動として認められていない】状況が生じており,市統括は,「保健師が災害(対策)をやるとは言いにくい」と話した.また,現時点で保健師がDHRAに取り組んだとしても【統括的保健師の権限が弱く保健師のアセスメントを組織方針に活かすのが難しい】と考え,保健部局の管理職とどのようにコミュニケーションをとるべきか悩んでいた.

2) 分散配置下での保健活動の連携不足

A市では,複数の課に保健師が分散配置されている.市統括は,DHRAは保健師全体で取り組んだ方が良いと考えるものの,地域診断において【課毎に収集・分析している情報が集約されず地域の全体像が把握できていない】現状では,DHRAの実践は難しいと考えていた.また,市統括は,【保健活動に対する保健師の課題認識が異なるため合意形成が難しい】と感じていた.例えば,健康危機管理を推進しようとしても,保健師の業務に位置づける(業務分掌に明記する)と負担に感じる保健師と,業務化された方が取り組みやすいと考える保健師がいると感じており,相反する反応に苦慮していた.

研究当時,市統括の統括的立場は組織に位置づけられたものではなく,保健師の中で役職上トップにいるためそう見なされている立場であった.市統括は,「私より先輩の保健師が沢山いて……DHRAも大事な事だと思うんですけど,(各課の保健師に対して)話の持って行き方が難しい」と話し,【統括的保健師の役割が不明確で組織横断的な調整が難しい】と悩んでいることが分かった.

3) 統括的保健師の健康危機管理に対する準備不足

一方,現状をリフレクションする過程で,A市の避難所運営体制や救護班への保健師の関わり等,市統括自身が【市の地域防災計画について知らないことが多い】ということが見えてきた.また,健康危機管理について,「出来ていないことばかりで荷が重い」,「何から手をつければいいのか」という言葉が度々発せられ,統括的保健師として【健康危機管理の推進にあたり何から手をつけたら良いか分からない】状態に置かれていることが分かった.当該年度の事業として計画されていた災害時保健活動に関する研修会についても,講師への依頼内容が定まらず,【健康危機管理に関する事業内容が決められない】状況が生じていた.

2. 行動計画

リフレクションを通して,すぐに保健師全体でDHRAに取り組むのは難しいこと,また,市統括自身が目指そうとする健康危機管理体制とそのために解決しなければならない課題の全体像が整理できていないことが分かった.そこで,研究者から,まずは市統括が感じている健康危機管理の困難をDHRAの視点で精査し,【市の健康危機管理体制の課題と取組方針の整理】を行うことを提案した.市統括は,次年度から計画的に健康危機管理を推進していくことを目標に掲げ,研究者とともにDHRAに取り組むことを決めた.

3. 行動と観察

市統括と研究者は,災害健康リスクに繋がるA市役所の体制的要因を分析・整理するため,【市役所の健康危機対応力に関するDHRA】に取り組んだ.本研究におけるDHRAの手順の概略を図2に示すとともに,以下に作業の詳細を報告する.

図2 

本研究におけるDHRAの手順

1) アセスメント項目の抽出

A市では,県の災害時保健活動マニュアルの策定を待って市のマニュアル作りを進めようと考えていた.県では,『大規模災害における保健師の活動マニュアル』(日本公衆衛生協会,全国保健師長会,2013)に基づき県版の災害時保健活動マニュアルの策定を進めていたことから,市の健康危機管理体制の整備においても同マニュアルを参照することにした.そして,保健師長会のマニュアルに示されている「第2 発災前の準備」を参考に,市の健康危機管理体制として整備すべき事項をアセスメント項目として抽出し,チェックシート(表2)を作成した.

表2  本研究で作成したDHRAのチェックシート
健康危機管理体制に関するリスクアセスメント項目 未着手 検討開始 ほぼ整備済 整備済
I保健活動基盤 1 災害時の保健医療福祉対応に関わる業務の継続計画・役割分担・活動方法等が整理されている
2 災害時保健活動の内容及び保健師の役割が明確化されている
3 災害時保健活動マニュアルを策定し,関係職員に周知している
4 統括的役割を担う保健師が配置されている
5 統括的保健師を補佐する保健師が明確にされている
6 統括保健師の下で災害時保健活動が集約される体制が整備されている
7 災害時保健活動に関わる職員(保健師)の稼働性や緊急時連絡方法を把握している
8 職員の健康に配慮した災害時の勤務体制や相談支援体制が整備されている
9 災害時保健活動拠点となる場所が確保できている
10 災害時保健活動のための情報収集・発信手段が把握・確保できている
11 災害時保健活動に必要な物品が整備・管理できている
12 災害時保健活動に用いる帳票類が整備されデータ及び紙で保管されている
II連携体制 13 健康や衛生の視点を踏まえ,一般避難所及び福祉避難所の開設・運営体制が整備されている
14 災害時要配慮者に対する支援体制(名簿登録,個別支援計画,安否確認体制等)が整備されている
15 災害時医療救護助産に係る関係機関との連携体制が整備されている
16 県及び保健所との役割分担・連絡体制が整備されている
17 災害時保健活動に関わる自治体や保健医療福祉関係機関の応援システムを把握し,受援体制(応援要請の方法,連絡・調整窓口,オリエンテーションや情報共有方法等)を整備している
18 大規模災害により市の保健医療福祉対応調整機能が喪失した場合の対応が計画されている
19 他自治体の被災に対して保健師の派遣体制を整備している
III地域把握/活動 20 地域に起こりうる災害の内容や被害規模が想定できている
21 地域の人口特性や平時の健康課題を把握している
22 地域の災害時要配慮者の所在・支援ニーズを把握している
23 地域住民に対して災害時に起こりうる健康問題に関する啓発を実施している
24 災害時要配慮者の支援ニーズを踏まえた健康教育を本人・家族等に実施している
25 災害時要配慮者の支援者を養成している(養成事業に参画している)
26 地域の社会資源(医療機関,介護・福祉関係施設や事業所,NPO,住民グループなど)を把握し,保健活動に係る連携体制を構築している
27 災害時の健康啓発に用いる各種チラシ等がデータ及び紙で保管されている
28 一時避難場所・指定避難所・福祉避難所のリストや地図がデータ及び紙で保管されている
29 災害時保健活動に関わる関係機関の連絡先リストがデータ及び紙で保管されている
30 災害時要配慮者台帳が(少なくとも年1回は更新され)データ及び紙で保管されている
IV人材育成 31 災害時保健活動に関わる職員に対して参集基準や参集場所等を周知している
32 災害時保健活動に関わる職員が市や地域の防災訓練に参加している
33 災害時保健活動能力向上に向けた研修等を計画的に実施している
34 災害時保健活動に関わる職員の業務経験や研修受講履歴等を把握し,人材育成や災害時保健活動計画に活用している

2) アセスメント項目に対する情報収集・整理

A市では,保健事業の計画や評価様式は担当者の任意とされていたため,アセスメントシートの様式も独自に作成することとし,各アセスメント項目に対して,現状を示す情報及び情報源,実際に災害対応で経験した困難,課題を入力できるシート(図3)を作成した.

図3 

本研究で作成したアセスメントシート(一部抜粋)

市統括は,DHRAの各項目に関する情報収集や課題抽出を担い,研究者は,市統括の疑問や相談に応じて関係資料の提供を行うとともに,アセスメントシートの作成や入力等の作業をサポートした.また,収集できない情報についてはその理由を記載した.今回のDHARでは,要配慮者対策や災害時医療救護協定に関する情報等,防災部局が所管する情報の照会はスムーズに行えたものの,市統括が所属する保健部局内各課の情報(緊急時連絡体制,物品管理状況等)は,市統括の役割が不明確な現状では照会が難しく収集できなかった.

3) 健康危機対応を阻害する課題の抽出

情報収集とシートへの入力が終了した段階で,健康危機対応を阻害する組織体制の課題を列挙し,課題間の関係性に留意しながら一覧にまとめた.

課題を挙げる際には,研究者が市統括の言動に対して,意図やそう考えるに至った経緯を問いかけるようにし,市統括の中で各課題の背景や相互の関連性が整理されるようリフレクションを促した.例えば,市統括が地域防災計画中の保健師に関する記載が不十分だと考えることに対して,現状の記載ではどのような問題が起きるのか,どのように変えたいのか,そもそも地域防災計画の役割は何か等を振り返り,何が根本的な課題なのかを検討した.

4) 各課題の取組方針,着手の順序,優先度の検討

抽出された各課題について,解決のために調整が必要な相手先や調整順序,取組方針及び優先度を検討し,一覧に付記した.取組方針や優先度は,次年度の市の防災対策関連事業の動向,調整の容易さ等を踏まえて検討した.

DHRAの結果,A市保健部局においては,市の地域防災計画で策定が義務付けられている部局毎の災害対応計画が未策定であることが分かった.これが災害時の保健師の役割や活動体制の不明確さに繋がっているとともに,平常時においても,誰(どの課)が何を準備しておくのか定まらず,災害への備えが進まない要因となっていることが明らかになった.

4. 結果のリフレクション

DHRA終了後,市統括は,「保健師の役割が分からないって話していたのが,整理していったらこういう事なんだ(保健部局の災害対応が整理されていないことが保健師の役割の曖昧さに繋がっている)と腑に落ちました」と話した.さらに,「地域防災計画の事とか,国の流れがどうだとか,そういう説明をしないことには周りが動いてくれないということが分かってきた.保健師が保健師が…と最初はそんな傾向で(保健師側から見た健康危機管理の課題ばかり)言っていたと思うんですけど」と話し,【市の危機管理体制全体の中での保健活動の課題を認識できる】ようになり,【健康危機管理の課題の根拠を説明できるようになった】ことが分かった.また,市統括は,DHRAの成果として【健康危機管理の取組方針が立った】ことも評価した.さらに,市統括は,研究者とのアクションリサーチを通して,振り返りを促し共有することが大切だと思うようになり,保健師に向けて実践するようになったことを話しており,市統括と他の保健師のコミュニケーションが変化したことも分かった.

一方で,【DHRAを通常業務として実践するのは難しいと再認識】していた.今回は研究者がシートの作成や情報入力等の作業を担い,課題や取組方針を市統括と一緒に考えたが,そうしたサポートが無い場合,「考える時間が十分取れない」こと,「(シート作成等の)作業が入ると手が回らなくなる」こと,「アセスメントの視点に気づけない」こと,「相談相手がいない」ことでDHRAの実践が困難になると感じていた.また,市統括は,「健康危機管理には予算要求や議会報告等の年間の流れがない」こともDHRAを通常業務として回しにくい要因だと話した.これらの点については,今後A市の保健師全体で考えていかなければならない課題と判断された.

5. 次年度の行動計画

DHRAを通して,保健部局の災害対応計画が未策定であることを認識した市統括は,次年度の取組として,【保健部局内で市防災計画を勉強する機会を作る】ことを計画し,上司から防災担当職員による研修開催の許可を得た.さらに,地域防災計画の規定を根拠に【保健部局の災害対応計画を策定し保健師の役割を整理する】という意思を固めた.

また,市統括は,市役所の健康危機対応力だけではなく,地域の災害脆弱性や社会資源等のアセスメントを含めた包括的なDHRAの実践に向け,【組織横断的にDHRAに取り組める体制を整備する】決意を固めた.そして,分散配置下にある保健師が定期的に集合できる時間・場所を確保するため,必要な手続きや調整を具体的に検討するようになった.

IV. 考察

1. 統括的保健師のマネジメント力を引き出すDHRA

統括的立場の保健師には,「保健師の保健活動を組織横断的に総合調整及び推進し,技術的及び専門的側面から指導する役割」(厚生労働省健康局長,2013)が期待されている.組織横断的対応を要する健康危機管理は,この統括的立場の保健師によるマネジメントが不可欠と考えられ,実際に,統括的保健師の役割として最も多く共通している事項は「災害時の保健活動の総合調整」であるという(奥田ら,2016).

A市の市統括も,健康危機管理の推進は自身に期待される役割の一つと捉えていた.しかし,「何から手をつけたら良いのか分からない」という状況に置かれ,打開策としてDHRAに取り組んだ.その結果,健康危機管理の課題解決に向けた行動を計画・実践できるようになっていった.

DHRAを実践する以前,市統括は,保健活動の課題と組織を対峙させ,保健師が動きやすい体制を組織内にどう確保するかに意識を向けていた.しかし,DHRAを通して,保健活動を取り巻く組織体制の課題に目を向けることになった.市統括は,組織の健康危機管理という新たな文脈で現状を理解することを通して,より広い視野で保健活動の課題を捉え直すことができ,取組方針を構築できたのではないかと考える.また,市統括は当初,どのような健康危機管理体制を敷きたいかという具体的な目標を持っていなかった.明確な目標設定がパフォーマンスに影響を与えることは社会科学において広く知られているところであり,目標は,達成行動への注力,努力の継続,必要な知識・戦略への気づきや活用等を導くとされる(Locke et al., 2002).市統括が保健師長会のマニュアルを参考に抽出したDHRAの項目は,健康危機管理の具体的な目標設定となり,問題の構造を整理し,取組方針の導出を促す作用があったと考えられる.今回のアクションリサーチの結果から,DHRAは,統括的保健師のマネジメント力を引き出し,健康危機管理を推進する起点となる可能性が示唆されたと考える.

さらに,アクションリサーチの過程で,研究者は市統括の言動に対するリフレクションを意図的に促した.研究終盤,市統括は,振り返りを促し共有することが大切だと思うようになり保健師に向けて実践するようになったことを話しており,市統括自身が感じたリフレクションの効果を他の保健師に波及させていこうとする様子が見られた.小出ら(2015)は,保健師を対象にリフレクションを用いた保健指導技術向上のための介入プログラムを3か月間実施し,リフレクションの過程で「自己の強みと課題の自覚」,「課題に対する改善策の思案」,「学習方法の理解と学習への意欲」等の変化が保健師に生じたことを報告している.これは健康危機管理に限ったことではないが,保健事業の運営に困難を抱える時,リフレクションの実践が事業の推進を後押しする可能性にも注目すべきと考える.

2. 平常時に健康危機管理を推進する際の困難

市統括は,結果のリフレクションを通して,通常業務としてDHRAを実践するのは難しいと再認識している.この時,市統括が挙げたDHRAの実践が難しい理由は,平常時に健康危機管理を推進する際の困難に通じるものと考えられる.

まず,市統括は,サポートが無ければ「アセスメントの視点に気づけない」と話している.健康危機管理の困難のひとつは,災害対応等を経験する機会がそう多くはない中で,健康危機管理の知識・技術を修得し,継続的に更新していくことにあると考える.今回の市統括のように,統括的立場になったばかりの保健師や,健康危機管理の推進に困難を感じている統括的保健師に対しては,健康危機管理に精通する保健所保健師や専門家等の伴走型のサポートが必要と考えられる.

また,市統括は,「相談相手がいない」ことにも言及している.災害時の市町村保健師の公衆衛生看護活動に関する調査(宮﨑,2013)によれば,東日本大震災の時,副統括者の中心的な役割は,統括的保健師の思いや考えを具体的かつ実効性のある活動計画にするのを助けることであったという.発災時だけではなく,平常時の健康危機管理においても,統括的保健師を補佐する保健師の存在は大きいと考えられ,両者の協働が自治体の健康危機管理を推進する力になると考えられる.

さらに,市統括は,「健康危機管理には予算要求や議会報告等の年間の流れがない」ことを挙げている.某県内では,市町村における災害時要配慮者対策の主担当は,53.8%が保健福祉系部署,42.3%が防災・危機管理担当部署となっている(総務省消防庁,2017).災害時要配慮者の情報は,当該対策を担当する部署がどこかによって防災部局と保健部局の間を行き来しており,A市においては,発災時に要配慮者支援に携わると自認する保健師がその情報を共有できていない.また,災害時医療救護に関する協定も防災部局で管理されていた.市統括が指摘した “年間の流れ” は,予算を伴う事業担当課に生じることを考えると,健康危機管理の推進が困難な背景には,健康危機管理の事業としての位置づけの不明確さもあると考えられる.保健部局の危機管理体制の整備を進める上でも,防災業務と健康危機管理の差異を明確にし,保健部局(保健師)の専門性と防災部局の専門性をどのように分担・連携させるのか考えていくことも必要と考えられる.

3. 実践への示唆

A市におけるアクションリサーチを通して,自治体における健康危機管理の推進にあたっては,統括的保健師が明確な課題認識と取組方針を持つことが重要であり,DHRAは,この課題と取組方針の整理に有効である可能性が示された.本研究では,研究者がA市統括の取組を全面的にサポートしたが,健康危機管理の推進に課題を感じている統括的保健師に対しては,保健所保健師や健康危機管理の専門家等による伴走型のサポートも有効と考えられる.また,平常時から健康危機管理を事業として推進していくためには,防災業務と健康危機管理の差異を明確にし,自治体における防災部局と保健部局の役割分担と連携の在り方を整理することも重要と考えられる.

なお,A市における取組は始まったところであり,保健師がDHRAを実践し,健康危機管理のPDCAサイクルを展開できるようになるまで今後も様々な取組が試行されると考えられる.それら一連の取組の全体像を踏まえて,自治体の保健部局において健康危機管理を推進する際の困難やDHRAの意義を明確にしていく必要があると考える.また,本研究は,A市における保健師の視点や行動を追ったものであり,他の自治体への汎用性に言及するには限界がある.

謝辞

本研究の実施に際し,御多忙の中御協力をいただきましたA市及び県の保健師の皆様,その他関係職員の皆様に心より感謝申し上げます.また,アクションリサーチの実施にあたりご指導いただきました兵庫県立大学 増野園惠先生,高知県立大学 神原咲子先生,千葉大学 岩﨑弥生先生,東京医科歯科大学 佐々木吉子先生,日本赤十字看護大学 田村由美先生に厚くお礼申し上げます.

本研究に開示すべきCOI状態はない.

文献
 
© 2020 日本公衆衛生看護学会
feedback
Top