全日本鍼灸学会雑誌
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フランスにおける鍼灸の発展史
アラン ブリオ
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2005 年 55 巻 1 号 p. 77-85

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抄録

鍼灸医学の知識がフランスに初めてもたらされたのは1671年、フランス人イエズス会士の執筆にかかるパンフレットを通じてであった。この中国の脈診について論じたパンフレットはクライエルや、テン・ライネ、ボイムらの著作による鍼灸の紹介に十年以上先立つものである。
17世紀のフランス社会では中国趣味が広まったこともあり、中国医学についても北京に駐在するイエズス会士達の記録を通じて多くが知られるに至った。しかしながら当時においては、薬物や脈診といったトピックから東西医学の相互関係を論議することに焦点が置かれたため、ケンペルが著作のなかで鍼灸医学について多くのことを伝えたにもかかわらず、中国医学に対する関心は総じて異国趣味の域を出るものではなく、医療としても非科学的な施術という認識しかなかったといえる。
フランスでは19世紀初頭、Berlioz、Cloquet、およびその後継者達によって初めて本格的に鍼灸が臨床で応用された。そして彼等からやや遅れてSarlandièreが鍼への通電を初めて試みた。しかしこれらの先駆者による鍼灸の実践は、いずれも個人的な実践に終始し、しかもその内実は疼痛箇所への刺鍼でしかなかった。彼らの鍼灸医学に対する誤解、臨床での過剰刺激は、結果として19世紀半ばにおける鍼灸の衰退を招くことになる。19世紀半ばにはDabry de Thiersantが中国伝統医学に関する優れた著作を世に問うたが、上述の傾向をおしとどめることはできなかったのである。
フランスにおいて中国の鍼灸が真の意味で再興を遂げたのは1930年代であり、その立役者となったのは中国文化に対して深い理解をもつSoulié de Morantであった。彼の後継者達は、多くの鍼灸学校での教育を通じてフランスにおける鍼灸の発展に貢献してきた。これらの鍼灸学校は今日でも続いており、伝統派、科学派を問わず多くの人材を輩出している。
またフランス鍼灸の発展過程には、散発的ながら日本の鍼灸の影響も見受けられる。本稿ではこうした日本鍼灸の影響についても、いくつかの事例を挙げて説明した。

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