抄録
東日本大震災において,福島県立医科大学附属病院は基幹災害拠点病院として,そして原子力災害発生後は二次被ばく医療機関として,待ったなしの対応を迫られた.その中で実践に則したシミュレーションは大いに役立った.しかしながら今回の災害は,想像を絶する災害であり,多くの面で想定を超えたものであった.想定を超えるから災害が起こるのであって,いかに準備しようとも,完全な対応は不可能と思える.起こってしまったときに,いかに迅速に的確な対応をとれるかが,被害を最小限に抑える鍵であり,その鍵をかたどるのは個人の力ではとうてい及ばず,人の和の力である.そして,人の和を結集する鍵は調整であり,その調整を学ぶ場が望まれる.