応用地質
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高島北海と日本最初の広域地質図
金折 裕司
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2012 年 53 巻 2 号 p. 89-97

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抄録

 画家として名声の高い高島北海(本名得三)は明治 7 (1874)年10月生野銀山にいたときに,故郷萩への帰省の往路(山陽道)と復路(山陰道)で観察した地質を,『山陽山陰地質記事』(稿本)としてまとめた.これと同時に作成された『山陽山陰地質記事』の原図が下関市立美術館に保存されていることが判明した.原図には,中国地方の地形図(約100万分の 1 )とその左側に約150万分の 1 で〈山陰地域の地質図〉が描かれている.これまで日本最初の広域地質図はライマン(B. S. Lyman)による『日本蝦夷地質要略之圖』とされてきた.この図の完成は明治 9 (1876)年 5 月である.〈山陰地域の地質図〉の作成はその前々年の10月なので,高島北海の方が 1 年半ほど早いことになる.さらに,高島北海は明治11(1878)年 2 月には,単独で『山口縣地質分色圖』(約30万分の 1)も作成しており,その完成度の高さから,地域地質図の作成も彼が日本人として最初であることは言を俟たない.同時に,その図幅説明書とされる『山口縣地質圖説』も執筆している.これら地質調査および地質図作成にかかわる高島北海の業績は,地質学史上高く再評価されなければならない.

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© 2012 一般社団法人 日本応用地質学会
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