農業農村工学会誌
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その先の水を求めて懸崖絶壁に開削した天保堰
河村 勉
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2008 年 76 巻 6 号 p. 523-526,a2

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抄録

山形県庄内地方南東部の東山々麓一帯は延田原と呼ばれ, 凹凸高低の激しい荒地続きの土地で, 地勢が高燥のため水に恵まれない不毛の地であった。大館藤兵衛元貞が延田原に, 田沢川から水を取り入れることを藩庁に願い出たことから天保堰開削の一大事業が始まった。
延田堰の開削に始まり, その後, さらに水を求めてその上流に, 天保堰, 横倉堰, 濁沢堰が開削された。先人の水に対する情熱が, 不毛の地であった延田原に, 数百haにも及ぶ新田開発を可能にした。
藤沢周平の「風の果て」のモデルになったのが天保堰開削であるといわれており, 作品から時代背景などが読み取れる。

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