抄録
本研究の目的は,《体験》(ドイツ語の《Erlebnis》の日本語訳)を自己の哲学の鍵概念としているドイツ語圏の哲学者たちが用いる《体験》という語の哲学的意味を明らかにし,日本の質的看護研究において使用する「体験」と「経験」を考察することである。
Dilthey,Husserl,Heidegger,Shütz,Gadamerの文献を検討した結果,質的看護研究が追究しようとする《体験》の多くは,Diltheyがいうところの〈心的生〉であり,かつ研究の対象となる患者・家族や看護師が,自らの体験を反省的な眼差しによってとらえなおした〈有意味な体験〉であると考えられた。さらに,そうした研究は,その理論的基盤をDiltheyからHusserl,Heidegger,Shütz,Gadamerに引き継がれてきた生の哲学や解釈学に置いていることが示唆された。