2018 年 41 巻 5 号 p. 5_863-5_874
本稿では,療育教室に参加する母親が身につける子どもを理解するための考え方を,コミュニケーションという視座から提示するとともに,子どもを理解していく対話における看護者の役割を提案する。参与観察,第一著者と母親の継続的な対話によるフィールドワークを行い,子どもを理解するための考え方とその変化を記述した。母親は,子どもを理解するための相反する見方の狭間で葛藤しながら,親子としての考え方を見つけることで,子どもの見方を変えていくしなやかさを身につけていった。親子としての考え方とは,子どもと親,周囲の人々とのかかわりあいとして,素直な要求による素のままの私たちとして,子どもの見方を変え続ける過程として,子どもを理解することであった。対話では看護者自身も変化の主体であり,看護者の役割は,対話において,子どもを理解する看護者自身の考え方を問い直しながら,母親とともに子どもを理解するプロセスを歩むことである。