日本官能評価学会誌
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論文
ストレス状態における味の感受性
中川 正乾 隆子
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1997 年 1 巻 1 号 p. 18-23

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1. 緒言

人が食べ物の味, 特に「おいしさ」などを判定するとき, いわゆる五感すべてを用いて判定している。ビールを例にとって考えてみると, いわゆる甘酸辛苦だけでなく, のどごし, きれ, コク, 泡立ち, 後味などいろんな味の表わしかたがある。また, 味だけでなくそれらを食するときの状況, 例えば, 仕事に疲れて会社帰りのいっぱいのビールのうまさ, 上司に嫌みをいわれたりねちねちと説教を受けた後の酒のまずさなど, そのときの人の気分なども味に大きく影響する(Bulundell 1991)。

味の感受性に影響する要因として, 島田らは味覚感受性の変化の要因として, 特においしさを例にとって説明している(島田 1990)。おいしさに影響する要因としては直接要因, 間接要因, 背景要因の3つの要因があげられる。おいしさ, すなわち味感覚の最終的判断は情報の宝庫である脳が行なうわけであるから, 最終判断を下すまでにいろんな情報と照合したり, 情報伝達の状況変化が起こりうる。当然食物自身の化学的, 物理的特性, すなわち, 構成成分や温度, 外観が変われば味感覚は変わる。また, それ以外に, その人が育った生活環境の違いがある。北海道, 東北, 関東, 関西, 九州などそれぞれの地方には独特の食文化があり, 関東は味付けが濃く, 関西は薄味であったり, 関東は豚肉, 関西は牛肉が多いといった地域特異性があったりする。そのため久しぶりに東の方に出張して食事をして味の違いを大きく感じたりすることを経験する。したがって, そういった環境で育った子供にもそれぞれの家庭の味が存在し, 同じ物を食べても味の感じ方は大きく違ってくる。また, それ以上に大きな原因としてそのヒトのその時の生理状態や心理状態の違いによって味の感じ方が変化する。村元等(1995)は女子大生94名を用いて精神的なストレスを被験者に加えることによって, 苦味を有した食品の味がどの様に変化するかをテストした。精神的なストレス課題としては内田クレペリン精神検査用紙I型を用いて40分間の負荷をかけた。苦味食品は市販のチョコレートよりかなり苦めのチョコレートを調整してもちいた。チョコレートは課題前後に中味は同じであるが, 2種類の紙で包装していかにも別のチョコレートであるかのように与え, それぞれのチョコレートの苦味, 甘味, おいしさ等を評価させた。その結果, チョコレートのおいしさは苦いチョコレートであるにもかかわらず, ストレスを受けたことによりおいしさが増加する方向に変化することが認められた。一方, 甘味・苦味に対する感覚はストレス前後でストレス前より後の方が甘味を強く感じ, 苦味を弱く感じることが認められたと報告している。これは, 提供されたチョコレートが, 苦味を強調したものであるが, ストレスを負荷することによって, 苦味が感じにくくなったためなのか, 嗜好が変化し苦味を快く感じるようになったためかは不明である。いずれにしても苦味に対する感受性は変化したのものと考えられる。

これらの現象をさらに定量的に明らかにするため, 精神的および肉体的な疲労を人工的に作り出し, 精神的ストレスおよび肉体的ストレス状態における各種の味感受性の変化を実験的にしらベた(Nakagawa 1996 )。

2. 実験

2―1 方法

味物質としては, 蔗糖(2.63X10-2M)(甘味), クエン酸(1.37X10-2M)(酸味), キニーネ硫酸塩(1.82X10-5M)(苦味)の水溶液を用いた. 味感受性の測定は, 味の感覚強度と口中での持続時間が同時に測定できるTime Intensity法(Yoshida 1986, Guinard1985, 中川, 1994)を用いた。この方法を使い味の強度, 持続時間, 味総量をオンラインで記録した。方法は, 味溶液を口に含んで吐き出した後120秒後までの味感覚をストレス前後で比較した。精神的疲労は1日会社で仕事をした結果, 精神的疲労状態になったことを想定して, コンピュータによる作業「文字探索課題」を行わせた。課題内容は, コンピュータ画面に紛らわしい文字列が52桁10行が表示され, 指定された行中に指定された文字が何個あるかを一定時間内に数えコンピュータに入力させるもので, 一行終れば次の行に移り一画面で10行の作業を強制するものである。この作業をトータル40分間行わせ精神的な疲労, いわゆる眼精疲労を誘発させた。

肉体的な疲労状態は, 運動による疲労, 自転車エルゴメータで100W, 60rpmの負荷を10分間行わせた。

各作業負荷を与えた前後の気分状態の変化はPOM(Prifile of Mood State)を用いて評価した(McNaire 1964)。この評価は移り変わる気分状態の変化を評価するために開発されたもので, 緊張感, 活力感, 脱力感などに関する65項目を5段階尺度で評価するものである。

実験手順としては, 各被験者に負荷作業前に気分状態評価用紙(POMS)の記入をさせ, TI装置を用いて味感受性評価を行わせた。味サンプル10mlを口に含み10秒後にサンプルを吐き出した後, 後味の強度変化を120秒間, 5秒間隔で評価してもらった。続いて精神的あるいは肉体的負荷作業を行い, ただちに味サンプルのTI評価を行い, その後もう一度気分状態評価用紙の記入をおこなわせ, 作業前後の比較をした。TI評価は作業前後の味の最大強度, 持続時間, 味総量を比較した。

2-2 結果

(1)コンピューター作業負荷時における評価結果

作業負荷前後の各種味に対する感受性の変化をみると, コンピュータ作業負荷前後の気分状態評価(POMS)ではコンピュータ作業負荷後は「緊張感」「疲労感」が増加し「活力感」の低下が認められ, 明らかに精神的に疲労状態に陥っていることがわかった(Table 1)。この状況下でTI評価を行い各尺度に関して負荷前と負荷後の差の検定を行ったところ, すべての味において味総量, 持続時間が負荷前にくらべて負荷後に有意に減少することが認められた。さらに, 苦味では最大強度の減少も認められた (Fig. 1)。

(2)運動負荷による味感受性変化

運動負荷においては, 自転車エルゴメーターをもちいた負荷により「疲労感」が増加し, 「活力感」もやや増加傾向にあることから, 運動によって身体的に疲労は感じているが意識は活性化されることが伺える。その時のTI評価結果では苦味および甘味感受性の変化は全く見られず, 酸味感受性だけが低下した(Fig. 2)。

Table 1

Scores of mood state before and after mental or physical workload.

2-3 考察

精神的疲労および肉体的疲労状態を人工的に作り出し, 味の感受性を測定したが, クレペリン検査やコンピュータ作業では精神的疲労に加え眼の疲れや, 肉体の疲労が伴ういわゆる眼精疲労があり, その様な状態では中枢性の味感受性に対する抑制が働いたものと考えられる。しかし, ここで苦味だけに強度の低下が認められたことは, 中枢性だけでなく末梢性の抑制も起こったと考えられる。一方, 運動による疲労は, 肉体的な疲労はあるが精神的な疲労は伴わない負荷であり, その様な時には酸味のみに感受性の低下が認められ, 苦味, 甘味感受性の変化は認められないことがわかった。これは, 日頃私達が激しい運動をしたとき普通の状態では出来ないレモンのまるかじりが平気で出来ることからもうなずける。このように, なぜ精神的疲労状態では味の強度において苦味だけが低下し, 肉体疲労においては酸味感受性が低下するかを解明するため, 以下の仮説をたてた。すなわち味覚の受容において心理・生理変化によって味物質の味受容細胞への最初の運搬を司る唾液性状に何らかの変化が生じているのではないかと考えた。我々はすでに, 苦味物質を口に入れた後吐き出した後の後味評価の際, 唾液中の苦味物質の残存量を定量した結果(Fig. 3), 精神的疲労時に苦味物質が安静時より早く消失することを見出している(乾 1995)。桂木等(桂木 1995)は苦味抑制物質としてリン脂質, とくに酸性リン脂質であるフォスファチジルイノシトールが苦味レセプターに作用あるいは苦味物質との結合作用によって苦味を強く抑制する事を報告している。唾液中にはリン脂質成分として血小板凝集成分(PAF)が多く含有している事が知られている(Wardlow 1985)。唾液中の苦味物質の苦味強度が減少し, 後味が減少する原因として唾液成分のリン脂質が増加したため苦味物質と結合し洗い流し効価によって苦味強度が減少したと考えられる。また, 酸味の強さは味物質の酸性度に依存することが知られている(山本 1991)。すなわち, 運動疲労時に唾液の緩衝能が強ければ酸味物質に対して酸性度の低下が抑制され酸味を感じにくくなることが予測できる。我々は激しい運動後の唾液の成分変化を分析したところ, 唾液の分泌量は有意な変化はなかったが蛋白質含量が有意に増加することをすでに見出している(乾 1996)。

蛋白質は緩衝能が強く, 酸味感受性を低下する可能性がある。そこで, 肉体疲労時に唾液の緩衝能が増加しているかどうかを調べれば酸味感受性の低下原因を証明できる。そこで, 各疲労状態における唾液成分の変化状態を化学的に分析した。

Fig. 1

Time intensity curves of bitter, sour and sweet tastes before and after mental stress.

Solid lines are before workload (pre) and brokenlines are after workload (post).

* : p<0.05, ** : p<0.01, *** : p<0.001

Fig. 2

Time intensity curves of bitter, sour and sweet tastes before and after physical stress.

Solid lines are before (pre) workload and broken lines are after workload (post).

* : p<0.05, ** : p<0.01, *** : p<0.001

Fig. 3

Concentration of quinine sulfate in saliva before/after workload.

Fig. 4

(A) HPLC of phospho lipid fraction of saliva.

Conditions of HPLC : TSK gel Silica-60, Mobile phase : CHC13/MeOH/85% phospholic acid (900/95/5), detction : UV210 nm, SF=solvent, PI=phosphatidyl inositol, PS=phosphatidy lserine, PE=phosphatidyl ethanolamine, PC=phosphatidyl choline.

(B) Total amount of phospho lipid in saliva on each stage.

Total amount of phospho lipid in saliva were integrated the peak area from PI to PC.

3. 実験2

3-1 方法

(1)精神的疲労時における唾液中のリン脂質の定量

コンピュータによる精神的課題負荷終了後, 0~30秒, 30~60秒, 60~90, 90~120秒間の唾液を吐き出し法で採集し, クロロホルム/メタノール(95/5)で抽出し, HPLC(TSKgel Silica-60, CH3/MeOH/85%Phosphoric acid ; 900/95/5)で定量した。(Fig. 4)。

(2)肉体的疲労時における緩衝能

運動負荷後15分間吐き出し法により唾液を採集した。唾液の緩衝能は1mlの唾液に対して0.02 N HCl 0.125 mlづつ滴下して行き総量1mlになるまで滴下した。各段階におけるpHを測定し, 安静時の唾液と比較した。

3-2 結果

精神的疲労時および安静時におけるトータルリン脂質含量をHPLで定量した結果, 明らかに精神的疲労時のリン脂質含量が多いことが認められた(Fig. 4B)。また, 肉体疲労時の唾液の緩衝能調べた結果, 安静時に比較して肉体疲労時の緩衝能が増加していることがわかった(Fig. 5)。

Fig. 5

Buffering capacity of saliva before and after a workload. Buffering capacity wasmeasured by titration of 0.02 N HCl. The vertical axis is the pH value of saliva after titration. The horizontal axis is the additional amount of HCl added into 1 ml of saliva.

All values are means SE. ± *:p<0.05

4. 要約

以上, 精神的疲労や肉体的疲労を人工的に作り出し, その時の苦味, 酸味, 甘味の感受性に対する影響をTime Intensity法を用いて調べた結果, 精神的疲労時においては, 苦味, 酸味, 甘味すべての味において味総量減少, 後味持続時間の短縮が認められたが, 味強度においては苦味のみに減少が見られた。一方, 肉体的疲労時においては苦味, 甘味の感受性はまったく変化がなく, 酸味のみ感受性の著しい低下が認められた。精神的疲労時においてすべての味感受性に変化が生じたのは, このような負荷によって眼精疲労が生じ大脳レベルでかなりの混乱を生じ, 味感覚認知に影響を与えたのではないかと考えられる。その証拠として, POMSにおいて負荷により活力の低下, 緊張感, 疲労感の増加が現れていることからも予測できる。しかし, 味強度においては苦味のみに低下が認められたのは仮説に従い実験した結果, 精神的疲労時においては, 唾液中のリン脂質が増加したため, その苦味抑制作用のため強度が減少したものと考えられる。これについては, 唾液中のどんなリン脂質かを特定する必要があり今後の課題としたい。一方, 肉体疲労においては甘味, 苦味感受性はまったく変化が認められず, 酸味のみに感受性の低下が認められた。これは, POMSにおいて疲労感の増加は認められたが活力は逆に増加していることから, 大脳は活性化しているものと考えられる。そのため精神的疲労の時のような感受性低下が認められなかったものと考えられる。酸味に関しては, 仮説の通り唾液中の蛋白質含量が増大したため緩衝能の増大が生じ, 酸味の強度が減少したものと考えられる。その他の味として塩味, 旨み等もあり, これらがどのように変化するか興味あるが, 今後これらも合わせて研究して行きたい。

 

本論文は平成8年11月16日に開催された日本官能評価学会設立記念シンポジウムにおける研究発表に基づいて執筆されたものである。

引用文献
 
© 1997 日本官能評価学会
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