スポーツ社会学研究
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原著論文
体力とテクノロジーの「これから」を考える
―スポーツ的身体のメタモルファシスに注目して―
佐伯 年詩雄
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2009 年 17 巻 1 号 p. 45-57

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抄録

 北京五輪では近未来型のスポーツ的身体を予兆させる2つのイノベーションが注目された。スピード社の「レーザー・レーサー」と障害者スプリンター、オスカー・ピストリウスの「カーボン義足」である。前者は、水の抵抗を減少するだけでなく体型をスイミング用に変形する装置であり、後者は、健常者の下肢よりも優れた疾走機能を発揮する機器である。このイノベーションの導入は、肉体とテクノロジーを融合したアンドロイド・アスリートやサイボーグ・アスリートの誕生を暗示し、そこには「体力とテクノロジーのこれから」を考える重要な問題が隠されていよう。
 スポーツ的身体の歴史的変容を概括すると、古代ギリシャの軍事テクノロジーによる武装化した肉体を誇る「闘技者」、道徳のテクノロジーによって教育化した肉体をレスペクトする「スポーツマン」、そしてテクノロジーによって目的合理的に肉体をスポーツ化した「アスリート」が浮かび上がる。このスポーツ的身体のメタモルファシスに注目するとき、そこにはテクノ化した肉体に隠されている理想化した身体のイデオロギーが見えるのである。
 そもそも「体力」という概念は、抽象的労働力と抽象的兵力という標準化身体の需要に対応する概念であり、身体検査と徴兵検査という肉体を近代化するためのフォーマット装置によって実体化した。この概念化の成功は、「技能」の概念を死語とすることによって具体的な作業から肉体を引き離し、肉体をテクノロジーに順応する資源とした。つまり肉体のためのテクノロジーではなく、テクノロジーのための肉体である。アスリートのスポーツ化身体は、最も具体的な肉体でありながら最も抽象的(意味喪失)な肉体であることによって、現代における体力とテクノロジーの関係の近未来を予兆するのである。

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© 2009 日本スポーツ社会学会
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