2011 年 19 巻 2 号 p. 5-18
本稿の目的は、「公共」概念を若干の視点から整理することを通して、「新しい公共」という言葉が、子どものスポーツの現場をより豊かなものにする道具となる条件を探ることにある。
「公共」概念の主要な諸性格は、「公的」「共通性」「公開性」の3つの側面を持つ。司法や国家に関係し、権利として制度的保障を受けるもの=公的、特定の人ではなくすべての人に共通なもの=共通性、誰でも等しく接近することができるもの=公開性、の3つである。このことからすると、結局のところ、スポーツに関する「公共」という概念は、とりわけ「公的」なものの主体性をめぐる議論に傾斜しがちなのではないかと思われる。
そこで、本稿では、ハーバーマスを下敷きにして放送の公共性について検討する水島の議論に示唆を得ながら、「子どものスポーツ」という制度が「公共性」に支えられて成立することではなく、「子どものスポーツ」によって「公共性」をいかに実現させるのかという、手段としての適合性を問うことが、求められる課題解決の糸口となることについて論じている。