2004 年 12 巻 p. 49-60,107
第三世界とスポーツをめぐっては、1980年代後半以降飛躍的に研究が蓄積されてきた。グローバリゼーションの進展という現実が、スポーツ社会学者を第三世界へと向かわせたのである。第三世界という未知のフィールドを前にスポーツ社会学者たちは、文化帝国主義論や文化ヘゲモニー論といった政治経済的視点に基づく一般性の高い枠組みを当てはめることで、分析をおこなってきた。
ところが、こうしたマクロな政治経済に基点を置いた考察に対し、ミクロなフィールドの状況から論理を組み上げる必要性が唱えられた。抽象度の高い枠組みを措定するのではなく、それぞれの研究者が個別の現場と向かい合うなかから論理化作業を企てることが主張されたのである。
本稿は第三世界の個別の現場に出向く上で、方法論的認識論的に、スポーツ社会学者に何が要求されるのかを検討するものである。そのために、第三世界を対象とした既存の研究を辿るなかから、これまでの研究が何を見てこなかったのか論議する。
個別性に拘ったフィールドワークの成果として、マンデル夫妻やヴァカンの研究を敷衍しつつ、スポーツを介して形成される空間の構成原理を担い手の次元にまで降り立って議論する必要性を主張する。さらにそのことが、第三世界のミクロなフィールドに出向いた研究者が直面する、当事者性の問題であると指摘する。