2005 年 13 巻 p. 85-97,126
2002年日韓ワールドカップ開催のために、候補地自治体は各地で新しいスタジアムを建設した。埼玉県によって建設された県営埼玉スタジアム2002も、その一つである。埼玉県はスタジアム建設当初から地元のJリーグチーム、浦和レッズのホームスタジアム誘致をめざしてきた。しかし、スタジアム完成から3年以上が経過しても、浦和レッズのホームスタジアムは、さいたま市営の浦和駒場スタジアムのまま、移転はなされずにきた。
このホームスタジアム移転をめぐって、県とクラブはそれぞれの思惑で埼玉スタジアムの移転・使用の正当性の根拠として「公共性」を主張してきた。本稿ではまず、スポーツ社会学領域における公共性論を、暫定的に「スポーツの持つ公共性」を論じる立場と、「スポーツの創造する公共性」の可能性を探る立場という、二つの潮流として整理し、その上で、浦和レッズ・サポーターへの参与観察を元にした、事例研究を考察した。
埼玉スタジアムを核とした「スポーツによるまちづくり」という公共事業が公共性=公益性を担保する、というロジックを「大義」とした埼玉県の思惑にレッズ・サポーターは一方的に屈服してしまうことなく、また表立って抵抗するわけでもなかった。だがそれでもホームスタジアム移転をクラブは留保してきた。その理由を「聖地」駒場で築き上げてきたレッズ・サポーターの「浦和スタイル」に見出す。
本論文は、このホームスタジアムの移転に際して、これまで県やクラブの主張する公共性の「大義」に、レッズ・サポーターはかかわることがなかったことを踏まえ、それでもこの移転問題に「かかわらざるをえない」レッズ・サポーターを、その浦和スタイルから捉えかえす試みである。