1997 年 6 巻 p. 30-44,125
近代スポーツは近代性を大きな構成要素としていることを, 多くの研究が明らかにしてきた。本研究の関心は, 近代スポーツのもう一つの側面,〈反-近代〉にある。〈近代性〉は, 次のように定義された。主体は理性を活用することで十全に世界を制御できる, という錯認に帰因する諸現象。〈反-近代〉は, 次のように定義された。世界内での活動が主体に対して一挙に新しい自己性を与えるような神秘的な体験。本研究の仮説は, 近代スポーツが〈反-近代〉という局面を要素に持ち, 近代的主体に対して, 身体の恢復をもたらす効果を持つのではないか, ということである。
主な結果は以下の通りである。
1) 選手達にとって重要な試合の, その極限状況において, 間身体のパフォーマンスが実現することを明らかにした。そこにおいては, 選手達の自己意識や意図的身体制御が消失するのである。
2) 間身体のパフォーマンスの実現にあたって, 普段の練習におけるリズムの共有が重要な役割を果たしていることを明らかにした。
3) 間身体のパフォーマンスは, 選手達に身体の恢復をもたらし, 選手達は新しい自己性を獲得することを明らかにした。
4) 近代的スポーツの〈反-近代〉という局面は, 近代的主体に癒しを与える反面, 局所的小宇宙を閉鎖的に構成する効果を持つことを明らかにした。