2020 年 69 巻 2 号 p. 165-176
目的:原子力発電所等に事故が生じた場合,放射性ヨウ素が環境中へ放出することがある.それが呼吸や飲食物を通じて人体に取り込まれると甲状腺に集積し,放射線被ばくにより数年~数十年後に甲状腺がんを発生させる可能性がある.だが安定ヨウ素剤を服用すれば甲状腺内部被ばくを低減させることができる.本研究では,性別および年齢階層別の甲状腺がん発症リスクを考慮したリスク・ベネフィット分析と介入シミュレーションから,地域における住民中心の安定ヨウ素剤予防服用体制の構築等について考察する.
方法:利用できるデータより低LET電離放射線の急性甲状腺被ばくによる甲状腺がん過剰発症数,そして甲状腺がん発症の生涯リスクを性別および年齢階層別に推測する.安定ヨウ素剤服用に係る正味のベネフィットが得られると考えられる,介入レベルとなる甲状腺予測等価線量をリスク・ベネフィット分析から算出する.さらに,仮想地域における安定ヨウ素剤服用の介入シミュレーションから,甲状腺がん発症数,安定ヨウ素剤予防服用に関連する有害事象の発生数を予測する.
結果:被ばく時 5 歳未満の女児や男児において,単位甲状腺等価線量(1Sv)あたりの生涯甲状腺がん発症リスクが,1,000人あたりでそれぞれ10.5と3.3と最大となる.介入レベルとなる甲状腺予測等価線量は,有害事象の程度が重篤になるほど,そして服用による被ばく低減に係る効果が高いほど小さくなった.地域介入シミュレーションでは,生涯リスクが小さい高齢者グループで有害事象の予測発生数が多くなることが示された.
結論:安定ヨウ素剤服用は,地域の住民を一括して対象とするよりも性別や年齢を考慮して住民のなかでも生涯リスクが大きいグループを服用対象とすることもできる.しかし,それには緊急時の医療体制や期待される効果等,地域で考慮しなければならない事情があり,地域行政機関と地域住民の間でリスクコミュニケーションを介して協働的にそれらを明確化する必要がある.そして,地域住民が納得できる,地域特性に合致した安定ヨウ素剤予防服用の体制,すなわち住民中心の安定ヨウ素剤予防服用の体制を構築すべきである.