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専門知識の発信による学会の社会貢献 土木学会応用力学委員会のウィキペディアプロジェクト
山川 優樹柴田 俊文中井 健太郎
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2013 年 55 巻 11 号 p. 819-825

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著者抄録

土木学会応用力学委員会では,学術団体による社会貢献の取り組みとして,ウィキペディアを通じて土木工学や応用力学に関する専門知識・情報を体系的に社会に発信・還元することを目的に「応用力学ウィキペディアプロジェクト」を進めている。本稿ではこの「応用力学ウィキペディアプロジェクト」の活動を紹介する。また,学術団体による活動である当プロジェクトが情報発信のプラットフォームとしてウィキペディアを用いることの意義,利点,課題についても議論する。

1. はじめに

専門用語の意味を調べる際には,一般的な百科事典に掲載されていることもあるが,そうでない場合にはその分野の専門書や用語辞典を参照する必要があった。しかし,その分野を専門としない一般の人が専門書などにアクセスするのは容易でない場合が多く,調べようとしている用語にたどり着くための親切なパスファインダーさえ整備が十分でないこともある。近年,インターネット上のフリー百科事典であるウィキペディアの充実が急速に進んでおり,かなり専門的な事項であっても,手間を掛けて専門書などにアクセスすることなく,容易に意味を調べたり情報を収集したりすることが可能になってきている。

こうした状況を背景に,土木学会応用力学委員会では学術団体による社会貢献として,ウィキペディアを通じて土木工学および応用力学に関する正しい専門知識や情報を社会に発信・還元することを目的に「応用力学ウィキペディアプロジェクト」(http://www.jsce.or.jp/committee/amc/wiki/wiki.html)を進めている。具体的には,専門家による用語解説などを信頼性の高いウィキペディアの記事として整備・体系化することを活動の基本としている。本稿では,この「応用力学ウィキペディアプロジェクト」の活動を紹介する。また,学術団体による活動である当プロジェクトが情報発信のプラットフォームとしてウィキペディアを用いることの意義,利点,そして課題についても議論する。

2. 応用力学ウィキペディアプロジェクトの概要

応用力学ウィキペディアプロジェクトは,土木学会応用力学委員会の下部組織である応用力学ウィキペディア小委員会が運営にあたっている。土木学会は現在約36,000人の個人会員を有する公益社団法人で,会員構成は教育・研究機関のほか,建設業,コンサルタント,官公庁など多岐にわたっている。土木工学は,道路,鉄道,橋梁,河川,海岸,港湾,空港,地盤,交通,都市計画,廃棄物処理,上下水道などインフラ施設に関わる技術全般を守備範囲とするため,構造,水理,地盤,計画,コンクリート,建設技術マネジメント,環境・エネルギーなどに関する広範な分野により構成される。技術進展に伴い分野の細分化が進む中で,土木工学の力学分野に共通の基盤を整え,理論的・解析的・実験的力学ならびに計算力学の発展に寄与することを目的として,1994年に応用力学委員会が発足した。応用力学は土木工学の諸分野を理論的・数学的アプローチにより横断的に取り扱うという特徴がある。

応用力学ウィキペディアプロジェクトは,応用力学委員会のワーキンググループとして2007年4月に発足した。以下に当時のプロジェクト設立趣旨を引用する。

土木学会が有する専門知識を社会に発信するため,ウィキペディアを利用することが考えられる。ウィキペディアは,若年層がほぼ普遍的に利用するネットワーク百科事典であり,専門用語の意味や解説を調べ業務や研究に利用されている。その第一歩として,本プロジェクトでは,応用力学委員会が主体となり,さまざまな土木工学分野の専門知識を縦糸とし,応用力学という横糸で束ね,正しい情報を体系的に発信するための運用方法を検討する。

以来,試行活動を含めた約3年間の活動を経て,プロジェクト運営組織として2010年1月に応用力学ウィキペディア小委員会が設置され,現在に至っている。

応用力学ウィキペディア小委員会の委員は主に大学や高等専門学校(高専)の教員・研究者で構成されるが,ウィキペディア記事の編集・執筆では土木工学や応用力学を専攻する大学院生(修士課程・博士課程)も中心的役割を果たしている。

3. プロジェクト活動の三本柱

前述の通り,応用力学ウィキペディアプロジェクトの目的は,ウィキペディアを通じて専門知識を社会に発信・還元することによる学術団体としての社会貢献である。活動の三本柱として,(1)ウィキペディアによる専門知識の発信,(2)編集作業を通じた学生教育,(3)学術団体による社会貢献の新形態の提案,を掲げている。

プロジェクト活動の第1の柱は,土木工学や応用力学の専門家による用語解説などをウィキペディアの記事として整備・体系化することである。誰もが容易にアクセスできる情報源として高い認知度を得ているウィキペディアを専門知識の発信・提供の場として用いることは,「公共的な知識のインフラ」としてのオンライン百科事典1)を整備する活動への参加とも言え,学術団体としての社会貢献をより効果的に実現できるものと考えている。

第2の柱は,編集作業を通じた学生教育である。前述のように当プロジェクトにおけるウィキペディア記事の執筆・編集作業では,プロジェクト運営にあたる委員だけでなく,大学院生も中心的役割を果たしている。自らの知識や文献等に基づいて記事を執筆・編集する作業を通じて,より正確で確実な専門知識の習得,文献検索技術や文章作成能力の向上といった教育効果が期待できる。詳しくは後述するが,当プロジェクトでは執筆した記事原稿をウィキペディアに直接掲載するのではなく,掲載前に審査を経て記述の正確性と信頼性を保証している。審査の過程でプロジェクトメンバーから出された意見や指摘を反映させて記事を修正する作業を行っている。また,ウィキペディアの記事は,編集方針とガイドラインにさえ従えば誰でも新規作成や編集・更新が可能なオープンコンテントであり,記事をウィキペディアに掲載した後も,プロジェクト外の人も含む編集者により恒常的に変更・修正が重ねられて記事の質が向上していく。ウィキペディアでは記事の更新履歴はすべて版として記録されているため,自分が担当した記事の履歴を追跡でき,それにより記事の不備な点を確認し,記事内容に関する他者の理解の仕方を学べるという教育効果も期待できる。学生によるウィキペディア編集や教育目的のウィキペディア利用については議論があるが,当プロジェクトは学生教育を目的としたウィキペディア利用ではなく,専門家集団として責任ある記事執筆・編集を通じて得られる副次的なものとして教育効果を位置づけており,このことはここで強調しておく必要がある。

第3の柱として,学術団体による社会貢献の新しい形態として,当プロジェクトを他団体に提案していきたいと考えている。プロジェクト発足当時も,他学会が独自で作成・公開したオンライン用語辞典等はあったが,主として学会構成員が閲覧するものであった。当プロジェクトは,学会構成員でなくても容易に専門用語を調べることができるように,ウィキペディアを媒体とした記事執筆を行っている事例の先駆けとして関心を集めた2)。2010年のウィキメディア・カンファレンス・ジャパン(WCJ2010)では,ウィキペディアと学術団体との協同に関する多くの議論がなされた。

4. プロジェクトの活動

応用力学ウィキペディアプロジェクトの具体的な活動を紹介する。常時継続的な活動としては,記事の執筆・編集作業を行っている。プロジェクトメンバーが執筆・編集を担当する記事は,基本的にはメンバー自身が専門とする分野から自主的に選定するスタイルを取っている。特に学生の場合は,自身が普段取り組んでいる研究テーマに直接的に関連する用語を集中的に選ぶようにして,記事の充実だけでなく学生への教育効果にも配慮している。ただし,このような記事選定方法では特定の分野や研究テーマに関連した用語に偏ってしまい,土木工学・応用力学の用語を体系的・網羅的に整備するには十分ではない。そこで,ウィキペディアに未登録の用語や,すでに掲載されている用語の中で説明の追加・修正が必要と思われるものを調査・リストアップし,どの用語を優先的・重点的に整備していくかも議論している。

当プロジェクトは学術団体としての活動であることから,高い質と信頼性のある記事を提供することが重要である。どのような形で質と信頼性を確保するかが問題となるが,当プロジェクトでは執筆した記事をウィキペディアに掲載する前にプロジェクトメンバーで検討・審査し,必要に応じて修正を行うこととしている。記事の検討・審査の際には,記述が正確であるかの確認はもちろんであるが,大学生の学部レベルの学習等での利用や,専門外の人がちょっとした機会に調べようという需要への対応を念頭に置いて,その記事がそもそも百科事典としてのウィキペディアへの掲載に適したものであるか,また,専門用語を駆使した専門家向けの解説ではなく,記述の正確さを損なわない範囲で平易な言葉でわかりやすく解説されているか,などについても検討を行うようにしている。

当プロジェクトではMediaWiki注1)(メディアウィキ)による「記事下書き・事前検討用ページ」を設置しており,ここで記事の執筆・審査・修正作業を行っている。なお,この「下書きページ」には,ウィキペディアの記法に慣れていない執筆者のために独自の「編集雛形」(図1)を用意している。

図1 当プロジェクトの「記事下書き・事前検討用ページ」に用意している編集雛形

記事の審査は「下書きページ」上でのオンライン作業でも可能であるが,現時点では編集会議と編集合宿(図2)で行っており,それぞれ年1回程度のペースで開催している。編集会議は,プロジェクトメンバーが全国から集まりやすい機会として土木学会全国大会の開催期間に合わせて行っている。編集合宿は当プロジェクトの恒例行事となっており,1泊2日程度で記事執筆の報告,検討・審査と修正,編集方針の検討等を行っている。毎回,教員・研究者・学生などのプロジェクトメンバーが計10~15名前後参加し,記事1編あたり20~30分程度の時間をかけて検討と審査を行っており,学生からも建設的な意見が出される。記事の検討・審査で議論を重ねる過程では,用語解説の上で引用が必要な関連用語など,新たに執筆を要する用語が見いだされることもあり,体系的・網羅的な記事の整備を進める上でも有効なプロセスとなっている。

図2 編集合宿における記事検討・審査の模様(2010年11月,那須で開催)

当プロジェクト主催行事としては,「応用力学ウィキペディアフォーラム」を2010年6月と2012年7月の2回開催している(図3)。このフォーラムでは,プロジェクト活動報告のほか,ウィキペディア日本語版管理者や学術情報の研究者による招待講演および記事編集の心構えに関する講義,プロジェクトメンバーによる編集作業デモンストレーションを行っており,これからプロジェクトで活動を始めようとする学生等のスタートアップの機会にもなっている。

図3 第2回応用力学ウィキペディアフォーラム(2012年7月26日,東京で開催)

上述の活動のほか,当プロジェクトでは対外的活動も積極的に行っている。WCJでのプロジェクト活動紹介やディスカッション参加など,ウィキペディア関連行事への参加,ウィキペディア管理者や学術情報研究者との情報交換などを通じて,学術団体としての取り組みである当プロジェクトとウィキペディアとの協同から生み出される可能性を引き続き探っていきたいと考えている。

5. ウィキペディアを用いることの意義と課題

ウィキペディアが誕生からわずか10年あまりで一般的な百科事典を凌駕するほどまでに急速に発展し,多くの人々に日常的に利用されるほど高い認知度を獲得したのは,インターネット上にあって閲覧のためのアクセスが容易であることが大きな要因であろう。また,一般的な百科事典や専門分野の用語辞典と大きく異なるウィキペディアの特徴のひとつとして,オープンコンテントであることが挙げられる。一旦掲載した記事を随時更新できることも,これまでの百科事典などにはない特徴である。こうしたウィキペディアの特徴を踏まえ,当プロジェクトにおいてウィキペディアを用いることの意義と課題について考えてみる。

上述したウィキペディアの特徴は,当プロジェクトにおいても恒常的・継続的な記事整備作業により最新の状態を維持できることを意味している。新しい用語や追記事項が生じた場合にも記事を随時更新し,それを即座に公共の閲覧に供することができるという,これまでの専門用語辞典にはない特徴を有する。その際には,ウィキペディアの内容に関する三大方針のひとつ「独自研究は載せない」に則っているか,百科事典への掲載に相応しい内容であるかに留意する必要があるが,当プロジェクトでは研究の最新トピックの紹介記事ではなく注2),土木工学や応用力学において基礎となる用語・事項の解説記事を中心に整備している。

ウィキペディアがオープンコンテントであることによりもたらされるメリットとして,複数の編集者によって恒常的に更新が続けられる過程で記述の充実と洗練がなされ,誤りがあれば修正がなされる3)ということが挙げられる。しかしながら,ウィキペディアの信頼性と質がいかに向上していくかは,個々の閲覧者が記事の不備な点に気づいて自発的に執筆・修正に参加してくれるかどうかに依っている部分が大きい。また,学会刊行書籍のように専門家によるクローズした執筆体制によるものとは異なり,誰でも編集が可能なウィキペディアにおいて記事の質や信頼性は確実であるか,網羅的・体系的に記事が整備されているかについて十分な保証があるかといえば,必ずしもそう言い切れるものばかりではなく注3),記事の整備に対して専門家の立場から貢献できる部分が大きいと考えられる。学会による社会貢献としての当プロジェクトの意義はここにあると考えている。

一方,オープンコンテントであることにより,プロジェクトメンバー以外による記事編集が許容されていることは,専門家の責任ある編集による信頼性の高い記事の提供を旨とする当プロジェクトにおいては,むしろデメリットとして作用するように思われる。しかしながら,良識ある編集である限り,当プロジェクトで作成した記事を他者が変更することを拒んではいない。なぜなら,ウィキペディアではすべての変更履歴は版として記録されており,当プロジェクトで信頼性を保証した記事であることを版に明示することが可能だからである。記事の変更点は版の差分としてあらゆる閲覧者・編集者に明示され,変更・修正が適切であるか否かの判断を行うための環境と機能がウィキペディアには設けられている。記事の変更・修正の是非の判断において,プロジェクト内外での合意形成作業を要するケースも発生しうるが,「公開されたベータ版」である発展途中の百科事典の信頼性向上1)に向けた共同作業に専門家の立場で参加するという形で,社会貢献としての当プロジェクト活動を進めている。

応用力学という学問分野の性質によるものかはわからないが,記事の記述に関する指摘等を除けば,この合意形成に多大なエネルギーを要するようなケースは現時点では発生していない。しかしいずれにせよ,オープンコンテントであるウィキペディアの特性を踏まえつつ,当プロジェクトがいかにしてウィキペディアが期待する「専門家の役割注4)」を果たしうるか,記事の充実と質の向上に向けて貢献できるかを探求していくことは,学術団体とウィキペディアとの協同の上で不可欠であり,また,ウィキペディアを用いた学術団体の取り組みに求められる課題でもある4)

本文の注
注1)  MediaWikiはGNU General Public Licenseで配布されるウィキソフトウェア。これを用いて,Webブラウザを利用してWebサーバー上のハイパーテキスト文書を書き換えるシステム,すなわちウィキを構築できる。

注2)  この点に関連する議論が「WikipediaをJ-Globalの科学技術用語集の代替とすることへの問題点」,http://d.hatena.ne.jp/next49/20111214/p1(本稿著者による最終閲覧:2012年7月21日)でなされている。

注3)  ウィキペディアの信頼性確保については,日本経済新聞電子版(2011年2月13日13時35分):「ウィキペディア誕生10年 信頼性向上へ悪戦苦闘 専門家が精査,学生・主婦らが勉強会」,http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG10025_Q1A210C1000000/(本稿著者による最終閲覧:2011年2月17日)で取り上げられている。なお,この記事では,信頼性向上に向けた専門家集団による取り組みのひとつとして当プロジェクトも紹介されている。

注4)  ウィキペディア日本語版の方針として,「Wikipedia:独自研究は載せない」,http://ja.wikipedia.org/wiki/独自研究(本稿著者による最終閲覧:2012年12月14日)にウィキペディアにおける「専門家の役割」が示されている。

参考文献
 
© 2013 Japan Science and Technology Agency
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