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アイデア:特許とれない,とれる,とれれば
名和 小太郎
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2013 年 55 巻 11 号 p. 848-851

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トーマス・ジェファーソンは1813年につぎのような言葉を残している。

もし自然が,ほかのあらゆるものより排他的な所有のできないものを一つ創造したとすれば,それはアイデアという精神活動である。ただし,それは人がそれを自分のなかに自分のものとして隠しているかぎりであり,いったんそれが公表されてしまうと,それは万人の所有となる。にもかかわらず受け手はそれについて無関心であろう。

このジェファーソンの言葉は,アイデアの独占とその公表とがきわどい関係にあることを示唆していた。

そのジェファーソンは,特許法の制定者として,また特許審査官として,それぞれ米国で最初にかかわった人である。発明家でもあった。いずれも第3代大統領としての功績に隠されてしまってはいるが。

米国特許法の最初のバージョンは1790年に制定された。その草案のひとつは辞書編纂者として著名なノア・ウェブスターによって書かれたという。その1790年法は「特許性ある発明」として「技法,製造物,エンジン,機械,デバイス」が適格であると示していた。

1790年法はただちに1793年に改正された。最初のバージョンが扱いにくかったためである。特許に適格な対象は「技法,機械,製造物,組成物」と改められ,このまま20世紀半ばまで続いた。1790年法にせよ1793年法にせよ,そのあとに改正された1836年法にせよ,その発明の適格性の記述には,蒸気機関の時代の社会通念が反映していた。

1952年,連邦議会は「特許性ある発明」の対象は「プロセス(process),機械(machine),製品(manufacture),組成物(composition)」に限られると改め,その「プロセス」とは「プロセス,技法,または方法」を含む,とつけ加えた。この定義にも19世紀技術の枠組みがそのまま残っているが,それが21世紀初頭の現在まで続いている。

1790年法以来,特許法をめぐって一つの懸念がくりかえし論じられていた。発明の対象を広げれば発明家の利益を保護できるだろうが,広げすぎると公益を害するはず,と。たとえば,フランクリンの避雷針は発明としてよいが,ニュートンの法則は発明から外すべきだろう,と。

その発明の対象から外れるものはなにか。特許庁(PTO)は,そして法廷も,自然法則,自然現象,抽象概念がそう,と理解してきた。

ただし一般の社会人の理解はかならずしもそうではなく,19世紀末のインディアナ州議会は,円周率に使用料を課すという法案を論じたりしていた(『情報管理』50巻1号47頁記事)。

だが20世紀になると,1952年法あるいはその前身の1836年法の定義から外れるものが出現した。第1にビジネスの方法,第2にコンピュータ・プログラム,第3に生命科学の応用,とくに人体に関するもの,がある。これらは互いに絡み合って新しい議論をひき起こした。

ただし,ここでは第1と第2の話題を中心に話を進めよう。第3の話題については2011年に米国特許法が特許の対象から「人体のオーガニズム」を除いたことのみを紹介しておきたい(生命科学特許については『情報管理』49巻3号145頁,4号202頁記事)。

まず,ビジネス方法の特許に関して。1908年,ホテル・セキュリティ・チェッキング社の「キャッシュ・レジスタおよびアカウント・チェッキングのための方法および手段」という特許について,その可否が問われた。この特許は従業員の着服防止手段に対するものであった。連邦控訴審(CAFC)は,特許の対象になるものはビジネス方法の実施手段にとどまり,ビジネス方法それ自体には及ばない,と示した。この判断は,その後,「ビジネス方法の例外」基準として関係者に理解された。

20世紀の後半になると,ここにコンピュータ・プログラムの特許が割り込んでくる。まず評判になったものは,ゲーリ・ベンソンとアーサー・タボット(ウェスタン・エレクトリック社)による「信号を2進化10進数の形式から2進数の形式に変換する方法」という発明であった。

これについて連邦最高裁判所(SCUS)は,この特許はアルゴリズムに対するものであり,したがって特許には不適格である,と示した。そしてその不適格とする基準を,(1)自然法則,またはその数学的表現,(2)抽象的なアイデアそれ自体,(3)自然現象の発見,と列挙し,アルゴリズムはこのどれかに入る,とまとめた。これが,その後「コンピュータ・プログラムの例外」基準として,プログラムに対する特許を縛ることになる。

この時代,特許には「天才の閃き」が不可欠だなどと言われていた。アンチ・パテントの時代であった。

だが,1980年代になると,風向きが変わる。米国はプロパテントへと政策を転換し,法廷もこれに呼応するようになる。じつは1952年法の検討のとき,議会の委員会は特許の対象を「太陽のもと,人間によって作られたすべてのもの」であると主張していた。プロパテントの時代になると,この言葉がしばしば引用されるようになる。プログラム特許もコンピュータ関連特許として認められるようになる。

1981年,ジェームス・ディーアとセオドール・ラットン(ハネウェル社)が「ゴム成型プレスのデジタル制御」という出願を法廷にもちこんだ。その実体は制御にアレーニウスの式を使うプログラムであった。SCUSはこれを特許不適格にはならないと示した。

その後,プログラムについても,(1)特定の装置と関連している,あるいは(2)特定のものを異なる状態やものに変化させれば,特許適格になる,という判断基準が設けられた。これを「機械あるいは変換」基準と呼ぶ。同時に「コンピュータ・プログラムの例外」基準は棄てられた。この後,堰を切ったようにコンピュータ関連特許が出現する。

1994年,CAFCはさらに踏み出した。「有用,具体的,かつ知覚的な結果を生み出す数学的アルゴリズムの実際的応用」は特許になると言ったのである。これを「有用(useful),具体的(concrete),かつ知覚的(tangible)」基準と呼ぶ。このときに対象になった特許は「オッシロスコープのギザギザの波形を滑らかな波形にする装置」に対するものであった。

この流れのなかで注目すべき特許が出現した。それはAT&T社のナレンド・カーマーカーによる「最適資源割当方法」という特許であった。だが,その実体は線形計画法に関する問題を効率的に解くアルゴリズムの一つにすぎなかった。

カーマーカー特許は米国および欧州では特許として認められたが,日本ではそうならなかった。篤志の研究者がいて,公知同然のアルゴリズムをだれかの私有にすべきではない,と果敢な法廷闘争をしたからであった。その研究者は今野浩氏であった。

つけ加えれば,カーマーカー特許について言及するロイヤーはいない。奇妙なことである。たぶん,ロイヤーは権利を拡張することにのみ関心をもつためであろう。この点,理工系の研究者は知的財産の共有をよしとする気概をもっている。

ここで息を吹き返したのがビジネス方法の特許であった。1998年,シグナチャー・ファイナンシャル・グループ社の「ハブ・スポーク型金融サービスのためのデータ処理システム」という特許に対して,ステイト・ストリート・バンク社が異議を申し立てたものである。だが,CAFCはこの特許が成り立つ,という判断を示した。

この判決は,ビジネス方法についても「有用,具体的,かつ知覚的な結果」基準をよしとし,さらに「ビジネス方法の例外」基準は誤った認識であった,と示した。

この後,産業界はビジネス方法特許の取得に狂奔する。「デート習慣を設定する方法」「不動産投資の納税を延期する方法」「陪審員を選択する方法」「経験に基づく書き方を教える方法」「人間の性格を評価する方法」「単一のプロットをもつ物語を中継する方法」など。

ところが,である。21世紀に入り,話が振り出しにもどった。1997年,B.L. ビルスキーが「商品取引におけるリスク・ヘッジの方法」という出願をし,これが揉めたのであった。というのは,この方法の実体が,コンピュータと関係なく,さらにいかなる物理的な変化も生じない,ことにあった。

当然ながら,PTOも,CAFCも,SCUSもこの出願の特許性を否定した。2008年,CAFCは「有用,具体的,かつ知覚的」基準は棄て,「機械あるいは変換」基準をとった。

2010年,SCUSは「機械あるいは変換」基準は有用ではあるが,それは唯一の基準ではない,と示した。そして続けた。なぜならば,発明が物理的,あるいは有形物にとどまらない時代においては,この基準ではこぼれてしまうものがある,それはソフトウェア,先端的医療診断技術,線形計画法,データ圧縮,デジタル信号の操作などである,と。そしてつけ加えた。だから,一律の基準は必要ない,と。

この後,CAFCはコンピュータ関連発明について揺れた判断を示している。まず,「インターネット上のクレジット取引において詐欺をみつける方法」に対するものがある。法廷は,この出願について思考プロセスをコンピュータ・プログラムにしただけのものと判定し,これのみでは「機械あるいは変換」基準を充たすことができないとし,この特許適格性を否定した。

つぎに,「著作物のインターネット上の配信において,消費者はそれを広告とともに無料で受信し,広告業者が著作物の使用料を支払う方法」に対するものがある。法廷は,この出願を「通貨としての広告」という一般的概念を実用化したものである,として特許性ありと認めた。そして続けた。ここではプログラムがそのコンピュータを特定の機械にしてしまう,と。

事情はさらに拡散する。2008年以降,プロメテウス・ラボラトリ社の特許が,連邦地方裁判所→CAFC→SCUS→CAFC→SCUS,と迷走している。それは「炎症性腸疾患に有効な治療法に関し,副作用が最小限で,かつ,最適な治療効果となる薬の投与量を決定する方法」という出願についてであった。

なにが問題になったのか。主題の特許適格性についてであった。CAFCは2度「イエス」と言い,SCUSは2度「ノー」と示した。その特許適格性とは,この特許のばあい,自然法則ではないのか,思考プロセスではないのか,にあった。

CAFCは,ここに「機械あるいは変換」基準が適用できるとした。薬も,その代謝産物も変化している,と示した。だが,SCUSはそれを拒んだ。この特許の対象は自然法則それ自体であり,「自然法則の例外」基準は「機械あるいは変換」基準に優先する,と。そしてつけ加えた。

自然法則,自然現象および抽象的アイデアは特許の対象にならない。アインシュタインはE=mc2の法則を特許の対象にできないし,ニュートンは万有引力の法則を特許の対象にできない。

そしてダメを押した。「自然法則の例外」基準にこだわるのは自然法則の独占が将来の研究を制約することになるから,と。

日本ではどうか。じつは特許の定義が米国と異なる。だから,一方では「信号を2進化10進数の形式から2進数の形式に変換する方法」を認め,他方では「ハブ・スポーク型金融サービスのためのデータ処理システム」を拒んでいる。ただし,大きな流れを見ると,判断基準を米国の動向に合わせて変化させている。ただ一つ,米国でもできなかった荒業をした。それは,2002年に,ソフトウェアを「物」として定義したことである。この後,インターネットを流れるプログラムも「物」ということになった。さすがモノづくり大国,である。

ジェファーソンにもどる。かれが「アイデアという精神活動」の非排他的な特性を指摘してから,すでに200年も経ている。特許制度については,法律も整備され,判例も蓄積しているはずである。だが,それでもなお,私たちは「アイデアという精神活動」を扱いかねている。

参考資料

  1. a)   H.W.A.M. ハネマン. コンピュータソフトウェアの特許適格性. ソフトウェア技術者協会, ソフトウェア法的保護分科会訳. 日刊工業新聞社, 1993, 367p.
  2. b)   今野浩. カーマーカー特許とソフトウェア. 中央公論社, 1995, 197p.
  3. c)   平嶋竜太. アメリカ特許法における保護対象の変容. 知財研フォーラム. 2000, vol. 41, p. 23-33.
  4. d)   名和小太郎. 太陽のもと人間の創造したものすべて. 情報管理. 2006, vol. 49, no.3, 4, p. 145-146, p. 202-204.
  5. e)   Matsuura, Jeffrey H. Jefferson vs. the Patent Trolls. University of Virginia Press, 2008, 154p.
  6. f)   小宮山展隆, 小栗久典. Bilski vs. Kappos連邦SCUS判決について. 知財研フォーラム. 2011, vol. 84, p. 11-26.
  7. g)   山下弘鋼. 最高裁判所Bilski判決以降の特許対象発明に関する連邦巡回控訴裁判所の判決. 特許研究. 2012, no. 53, p. 15-26.
  8. h)   飯田浩隆. 新たな指針は示されたのか. 知財研フォーラム. 2012, vol. 91, p. 72-80.

 
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