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視点
語源を楽しむ
赤松 幹之
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2012 年 55 巻 3 号 p. 203-206

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仕事の関係で語源を知りたいと思うことが時々ある。言葉というものは日常で当たり前に使っているために,その語源を意識することはなく,なぜそういう語を使うのかにわかにはわからない。しかし,語源を知ることで,その事象が生まれた背景がわかり,その本質的に意味することが浮かび上がってくる。その語が生まれたきっかけがあり,それが語として定着するプロセスを経て,現在われわれが使っている語になったことがわかり,今まで何の気なしに使ってきた語に新しい光が当たるのである。

レストランはフランス語

誰でも知っている言葉にレストランという言葉がある。スペルから推察できるように,これは元は英語ではなくフランス語である。おそらく,世界中で最も広く使われているフランス語ではないかと思う。世界中どこに行っても食堂という意味で使ってわかってもらえる万国共通語のようなものである。しかし,よく考えると,なぜどこの国でもレストランという言葉が使われているのだろうか。アメリカ人など英語国民に,なぜ食堂のことをレストランというのかを尋ねても,英語起源ではないことから答えは持っていない。では,フランス人は知っているのだろうか。近くにフランス人がいたら,ぜひ尋ねてみてほしい。フランス人にはレストランがフランス語であることはもちろんわかっているが,なぜ食堂のことをレストランというのかを質問しても,私が試した限りにおいては,皆「うーん,知らないな」と答えてくる。

語源というものは,その起源が古いものになると,現代のわれわれにはなぜその語になったのかを論理的には理解しにくく,古代の人がそういう語を充てていたと理解するしかない。フランス語の場合には,ラテン語起源の語が多いので,このフランス語はラテン語のこの語から来ていると説明されれば,そう納得することになる。では,レストランの語源がラテン語なのかというと,そうではない。実はレストランという語は,わずか250年ほど前に生まれた語なのである。

レストランはフランス語のレストレ(restaurer)から来ている。英語でいえば,レストア(restore)である。古い家や古い車をレストアする,という言い方をするが,ものを修復して元の状態に戻すことである。すなわち,レストアとは修復する,復元する,回復するという意味である。しかし,これだけでは回復することと食堂とは結びつかない。なぜ,食堂が回復する所なのであろうか。

中世における外食は

飲食できる店を指す言葉でギリシャ・ローマ時代から使われているのがタベルナあるいはタベルヌであり,フランス語でも使われている。これはラテン語起源で,ワインを売っている場所を指していた。イタリア料理屋でタベルナという名をつけている所があるのが思い当たるであろう。タベルナは市場に集まってきた人たちが一杯飲みながらちょっとお腹を満たすための屋台に毛の生えたような軽食屋であり,ちゃんとした料理を供する飲食店ではなかった。

中世ヨーロッパでは職業を守るためにギルド制がしかれていた。それは料理を供する飲食店も例外ではなかった。飲食店は25のギルドにわかれており,それぞれの店で出せるものは決まっていた。例えば,ロスティエールではロースト料理のみ(焼き肉屋ということになろうか),シャルキュティエは豚料理のみを出していた。唯一,日によって違う料理を出せるのが仕出し屋(定食屋)であり,トレトゥールと呼ばれた。イタリア料理屋にトラットリアと名をつけている所があるが,同じ語である。

独立した飲食店だけでなく宿屋でも宿泊客に食事を提供していたが,トレトゥールであっても宿屋であっても,当時の客への食事の提供の仕方はほぼ同じであった。すなわち,ターブル・ドット=主人のテーブルと呼ばれる大テーブルを客が囲み,そのテーブルの上に主人が作った料理が大皿にのった状態で運ばれてきて,それをそれぞれの客が取り分けながら食べるというものであった。その情景を想像すると,和気あいあいとした楽しい食事のひと時のようなものを思い浮かべてしまうかもしれない。しかしながら,実際には,多くの場合には見ず知らずの他人,おそらくむさ苦しいおじさんが横に座ることになる。それが不躾な奴であれば何やら話しかけてきて,人のことを詮索してきたりするだろう。また,隣の人と一言も話さないのも気詰まりなことであるから,適当な話題がないか気を遣うことにもなる。さらに,隣が図々しい奴であれば,大皿の料理のおいしそうなところを独り占めしようとするであろう。気の小さい人にとっては,いかに落ち着かない状態になるかは想像に難くない。それが当時の外食の状況であった。

レストランはベンチャービジネスだった

18世紀のパリはもちろん大都会であり,江戸を考えてもらえればわかるように,都会では外食が発達する。都会には仕事があることから色々な人が集まり,働き口を探してやって来た独り者も多い。こういった人たちは家で食事を作るのが面倒なので,外で食事をとることになり,外食が盛んになる。パリにはアパートが建ち並んでいるが,都会ゆえに狭い所に人が集まってせわしなく暮らしていることから,大都会での生活がストレスになり,神経質な人は体調を崩したであろう。また,この頃のパリはすでに文化や芸術の都であり,思想家や知識人たちも生まれている。こういった人たちは,がつがつと食事を食べる粗野な人たちとは対極の繊細な人たちであり,むしろ繊細であることが重要な特質であった。そういった繊細な人たちや体調を崩した人たちにとって,煩わしい赤の他人と隣り合って食べなければならないとなると,それは苦痛な時間であった。

こういった人たちのために,シャワントワゾーという人が考え出したのが,体調のすぐれない人のために消化の良い食べ物,すなわちコンソメやブイヨン,ライスプディングなどを出す飲食店であった。こういった料理のことをレストレ=回復と呼び,悪くなった体調を回復させるために消化に良いレストレ料理を出す店,それがレストランであった。健康回復のための食事を出す店ということから,レストランはメゾン・ド・サンテ=健康の館と呼ばれ,既存のギルドには支配されない新しい飲食店となった。しかし,なぜ消化に良い料理を出す店の名称であるレストランという語が,ここまで広まったのであろうか。

レストランでの外食

レストランの特徴は単に消化に良い食べ物を出すだけではなかった。他人と大テーブルで一緒に食べることの煩わしさをなくすために,客ごとに個別のテーブルを用意して料理を提供した。また,主人が作ったお仕着せの料理を出すのではなく,体調の悪い人が食べられそうなものをリストにしておき,その中から客が体調に応じて料理を選べるようにした。さらに,幾らお金が掛かるかを気にしながら食べるのも身体に良くないと考え,それぞれの料理の価格を明記した。まさにわれわれが当たり前だと思っているレストランの客ごとのテーブルとメニューである。このレストランのスタイルは,体調の悪い人たちのために考え出された外食の形だったのである。

レストランによって,食事にまつわるストレスをなくして料理を食べることがいかに快適かを人々は知ることになり,それによって料理そのものを楽しむことが生まれたのである。これが流行となり,このスタイルの飲食店がレストランと名をつけてパリ中に広まっていったのである。レストランは,もう体調の悪い人の外食の場ではなく,パリという都会に住む人たちの娯楽の場となった(図1)。しばらくパリ以外にはレストランの流行が広まることはなく,19世紀に入ってもイギリスの旅行ガイドブックには,パリに行ったらぜひレストランという所で食事をしてみようと書かれていたそうである。19世紀中頃からレストランは世界に広まっていき,今では飲食店を指す一般名詞となったのである。

図1 オペラでの舞踏会のあとで:最後の一本 Le Journal illustré, No.50, 1865 挿画

グルメはフランス文化であると信じるフランス人であっても,グルメの場であるレストランがなぜレストランというようになったかを知る人は少ない。フランス文化を代表するようなレストランの語源を,レストランで食事しながらフランス人に教えるのは,正直いってちょっと痛快な気分である。

フランス人の数字の書き方

語源とは少し違うことであるが,実はもう1つフランス人を相手にした時のとっておきの話がある。われわれは数字を書く時に図2の上段に示すような数字の書き方をする。アメリカ人もイギリス人もほぼ同じである。20年ほど前になるが,共同研究のためにフランスに滞在していたことがあった。その時に,フランス人は図2の2段目に示すような数字の書き方をすることを知った。変な書き方をするものだなと思ったものである。

図2 数字の書き方

その特徴は,1の頭のヒゲの部分がえらく長いこと,4を一筆書きのように書くこと,7の真ん中にスラッシュをいれること,9は妙にくねくねしていることである。フランス人たちは当たり前にこのように書くので,なぜこういう書き方なのかを聞いても答えがあるわけではない。われわれなりに考えた理由は,次のようなものであった。数字もアルファベットの文字のように連続的に滑らかに書きたがっているのだろう。だから1のヒゲは下から伸びていくように書き,1をそのように書くと字の傾きによっては7と区別がつかなくなるので,7には7とわかるようにスラッシュを入れる。4を一筆書きのように書くと,4の縦線が横線と交差しなくなるので,9と混同し易くなる。そのために,9は途中でクリッとさせ,下に向かった線も直線にせずに,くるっと曲げて書くのだろうと。こうすることで数字を読み間違えることをなくしているのだろうと考えていた。その解釈は,小切手の書き方から考えても納得できるものだった。当時はクレジットカードも使われていたものの,まだ小切手が一般に使われていた。小切手を切る時には,金額の数値を書くとともに,数値をスペルに書き下したものも書かなければならなかった。92を4つの20と12と読む,あの嫌らしいフランス語の数値の読み方をその場で思い出しながら,スペルを間違えずに書くのは結構大変なことであった。わざわざ数字の読み方をスペルに落として書くというのも,数値を間違えないようにするためである。

アラビア数字の起源

ずっとこう思っていたのであるが,ある時なぜ数字をこのように書くのかの理由を知ることになった。われわれの解釈はまったく的外れで,実はこの書き方には数学的な意味があるのだった。これを教えてくれたのは日本人で,特にフランス人の数字の書き方を知っている人でもなく,酒の席で単なる雑学として教えてくれた。その時の話ではインド人の発明ということであった。

数字は数値を表す記号である。それは本来は直線から構成されていた。図2の3段目にあるように,1は矢じり,2はZ,3はMを横にしたもの,4は右に横線がはみ出さない4,5と6は数字をカクカクと直線で書いたもの,7は横スラッシュを直線をつないで書き,8は三角を上下に合わせたもの,9はくねくねとしている。これを見て,私は正直びっくりした。これはフランス人の数字の書き方ではないかと。なんと,この書き方は,数を直接的に表す数記号なのである。

この数記号においては,線と線のなす角のうちの鋭角(直角を含む)の数によって数が表現されている。1は矢じりの頭の部分に鋭角が1つ,2はZなので錯角の関係にある鋭角が2つ,3はMなので3つ,4は上の三角にある鋭角3つに加えて,下に伸びる直線とのなす直角で4つ,5は下をはねないようにすれば直角が5つ,6も上のヒゲを下に向けないようにすれば直角が6つ,7は右上の角に加えて一筆書きで横スラッシュを書くことで6つの鋭角ができて,合わせて7つ,8は3角2つで6つの鋭角に三角の頭を合わせることでもう2つの鋭角ができ,合わせて8つ,そして9はくねくねと書くことで鋭角が9つできあがる(図中最下段のドット参照)。そうか,そういうことだったのか。だから,0(ゼロ)には角が存在しない丸を充てるのか。あまりにも明解である。

インド人の発明という話だったので,インドから来た数学系の研究者に数字をどのように書くかを尋ねたところ,その書き方はわれわれの書き方とほとんど同じであった。上のような説明をしたが,その研究者はこの話を知らなかったので,果たしてインド人の発明であるかどうかは定かではない。

フランス人の数字の書き方を知らない人に話しても,ああそうなんだ,なるほどねという程度の反応であるが,なんといっても楽しいのが,これをフランス人に話す時である。自分たちがまったく当たり前のように書いている数字が単なるフランス流の書き方なのではなく,数記号の起源を残した書き方になっていることを知った時には,特に理工系の人にとっては大きな驚きになる。雑学的な知識であっても,相手や状況に合わせて使えば,ちょっとした尊敬のまなざしで見てもらえるものである。

執筆者略歴

赤松 幹之(あかまつ もとゆき)

通商産業省工業技術院製品科学研究所に入所。2001年の改組に伴い,(独)産業技術総合研究所となる。この間,人間工学一般,生体計測,ヒューマンインターフェースの研究,行動計測技術の研究,人間行動の解析とモデル化の研究等に従事。2008年よりサービス工学研究センターに兼務。学術誌『Synthesiology』編集幹事。主な著書に『人間計測ハンドブック』(編著,朝倉書店),『サービス産業進化論』(共著,生産性出版)がある。

 
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