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自動化,そして余暇の汚染?
名和 小太郎
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2012 年 55 巻 6 号 p. 438-440

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1980年の前後,情報化の進んだ国々においては「マイクロエレクトロニクスの社会的影響」というテーマがしばしば論じられるようになった。いずれにおいても,そのキーワードは「自動化」そして「雇用」であった。つまり,これらの論議に潜在していたのは,マイクロエレクトロニクス技術は失業者を増大させ,これによって新しいラダイト運動を引き起こすのではないか,という懸念であった。

どの報告の論旨も,第一近似的には同じであった。それまでの自動化は,組立工業にせよ装置工業にせよ労働節約的ではあったが,資本節約的とはかならずしもいえなかった。だが,マイクロエレクトロニクスによる自動化は違う。労働節約的であり,かつ資本節約的である。したがって,その導入と普及とは蒸気機関や電力システムよりもはるかに急速に実現するだろう。社会はこれに対応できるのだろうか。

マイクロエレクトロニクスの中心にあったものは半導体素子であった。その生産はムーアの法則――当時は「ボストン・コンサルタント社の習熟曲線」と呼ばれた――にしたがって,年々,より大量に,より安価になりそれがすでに20年近くも続いていた。

したがってその製品をさばくためには,その素子のアプリケーションをより多様な形で,より多分野において開発しなければならなかった。結果として,「ネジが数グラム使われていれば,その周りにはびっくりするくらい大量のものがいろいろとある。IC,LSIも同じである」というようになった。これは情報工学者・森亮一さんの言葉であった。

この増大しつつあるマイクロエレクトロニクス素子は生産財にも,消費財にも利用され,それらは分野を問わずに自動化を進め,雇用の数を減らすのではないか,と予測された。

現に,植字工,電話交換手,タイピストなどの職種は消えつつあった(この時期,私は統計審議会の末席にいたが,職業分類表から消えてゆく職種は少なくなかった)。

とにかく,マイクロエレクトロニクス技術者は柔軟性をもつアプリケーションをつぎつぎと開発しなければならなかった。これを実現するためには,ソフトウェアの生産も増やさなければならない。

当時,ソフトウェアの需要は10年で10倍になると言われた。これをマクレアの法則と呼んだ。そのソフトウェアの生産は,原則,人手に頼らなければならない。スタンフォード研究所のE.D.ジョーンズは2025年にはすべての事業所は自動化つまり無人化され,地球上の総人口はプログラマーになるだろうと予言した。ここには自動化による失業のリスクはない。

ということで,マイクロエレクトロニクス技術の導入にともない,2つの論点が生じた。まず,ハードウェアの生産および利用については自動化が徹底され,ここでの雇用は急速かつ大幅に減少するだろう,という見通し。つぎに,これにともなうソフトウェアの生産と保守において自動化はまったく期待できず,こちらの雇用はとどまることなく増大するだろう,という見込み。

問題は,このような雇用の分野ごとの増減が均衡するのかどうか,また雇用の産業分野間の移動を円滑に実現できるのかどうか,ここにあった。この時代,ヨーロッパ諸国は,そして日本も,経済成長が鈍くなり,雇用の見通しが不安定であった。

この課題が多くの人の知るところとなったのは,英国から相次いで発表された悲観論であった。その一つ,英国産業省報告――通称『バロン報告』――は1990年代初頭,英国の雇用はマイクロエレクトロニクスによって200万~350万人は減少し,それは組立工,修理工,保安要員,単純事務職においてである,というものであった。

またフランス大統領府の『社会の情報化』(1978年)という報告――通称『ノラ・マンク報告』――は,銀行業と保険業においては自動化によって30%の雇用が失われるという予想を示していた。

これらの報告に敏感に反応し懸念をもったのが,OECDでありローマ・クラブであった。

日本ではどうであったか。『S家の一日:1990年5月21日』という,その官庁文書らしからぬ語り口で評判の文書があった。それは1980年に産業構造審議会情報産業部会の参考資料として発表された10年後の未来予測であった。

ここには「自動翻訳」「カナ漢字変換」「プリペード・カード」「電子新聞(たぶんビデオテックス)」「テレビ会議」「在宅勤務」「PC(ただし机一体型)」などが示されていた。しかし,「雇用」という言葉はここになかった。

1979年であったと記憶している。猪瀬博先生からお声をかけられた。この課題についてOECDへの日本報告を作成するので手伝え,ということであった。猪瀬先生は,当時,OECDのCSTP(Committee for Scientific and Technological Policy)において副議長をなさっておられた。国別の報告は,そのCSTPが下部組織のICCP(Working Party on Information Computer and Communications Policy)を通じて,各国に求めたのであった。

この検討チームでは,さまざまな視点から議論がなされた。当時の記録を改めてたどってみると,ここでは,日本の特別な労働慣行である終身雇用と企業別組合とでどこまでこの変化に対応できるか,また非正規雇用が増大するのではないか,あるいはワーク・シェアリング――当時は「時短」と言った――は実現するのか,さらに職種転換のための企業内教育は可能か,などという議論がなされている。

結論の一部を示せば,マイクロエレクトロニクス導入による雇用の80年代における増減は,日本においては,工場で21万~48万人減,百貨店で1万9,000~3万9,000人減,ソフトウェア要員で13万~65万人増と見積もられた。これらはまとめて1981年にOECDに送られた。

ローマ・クラブのほうは,その活動が政府と独立していたためか,闊達な議論がなされている。一例として,ここではその『よりよく,あるいは,より悪く』(1982年)――邦訳名『マイクロ電子技術と社会』――の最終章を紹介しよう。その著者はアダム・シャーフ,そのタイトルは「職業と労働」である。

シャーフは自動化の進んだ40ないし50年後の社会を想定し,そこに存在する人間活動――彼は労働とはいわない――はつぎの5つの型になると示した。第1群は創造的活動,つまり研究,芸術的創作など。第2群は自動システムの管理。第3群は社会奉仕,つまり社会的弱者に対するサービス。第4群は生産,サービスに関する品質保証。第5群は余暇の管理,例えばスポーツの指導。

シャーフはさらに進める。自動化によってだれもが余暇をもてるようになる。これを放置すれば「余暇の汚染」が生じる。麻薬中毒,暴力,非行など。このためには,だれかが余暇過剰時代の「生き甲斐」を示し,それを実践しなければならない。

このためには万人に他者に対する教育義務を課する。つまり,万人はたがいに自分の得意な能力を他人に伝授しなければならない。これを義務化,制度化する。この結果,その社会には生涯教育をよしとする「生き甲斐」が自ずと定着するはずである。このとき,生き甲斐は自分勝手なものではなく,さりとて政府主導によってでもなく,万人の共通感覚として鋳直されるだろう。これがシャーフの意見であった。

シャーフの予言後,すでに30年はたった。現実の社会はどのように動いたか。彼の示した職業は,第1群から第5群まで,それなりの規模で生まれている。だが,彼の思惑の通りにことが運ばれたわけではなかった。彼は,余暇が増大し,それが人々を豊かにすると主張していた。だが現実には,余暇はなく,過密な労働と失業とがあるのみ。仮に余暇があったとしても,それは汚染された余暇であるにすぎない。私たちは,それを実空間でもサイバー空間でも確認することができる。例えば,私たちの社会の知的活動は,現在,その多くがグーグルという巨大マシンの広告活動によって汚染されている。

とすれば,私たちの社会はマイクロエレクトロニクスによる自動化に対応できなかったのかもしれない。

参考資料

  1. a)   科学技術と経済の会. 特集 マイクロエレクトロニクスの雇用への影響. 技術と経済. 1979, no. 153.
  2. b)   産業構造審議会情報産業部会. S家の一日:1990年5月21日. 1980.
  3. c)   猪瀬博監修. マイクロコンピュータは失業を生むか:マイクロエレクトロニクスの雇用に与える影響. コンピュータエージ社, 1981.
  4. d)   G.フリードリヒス, A.シャーフ編. ローマ・クラブ第8レポート:マイクロ電子技術と社会. 森口繁一監訳. ダイヤモンド社, 1983.
  5. e)   通商産業省工業技術院総務部技術調査課編. 技術革新の衝撃:MEは産業・雇用をどう変えるか. 日本能率協会, 1983.

 
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