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学術出版は生き残るか
竹内 比呂也
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2013 年 56 巻 2 号 p. 123-125

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『「本を生み出す力」― 学術出版の組織アイデンティティ』佐藤郁哉,芳賀学,山田真茂留 新曜社,2011年,5,040円(税込)
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1221-4.htm

かつて不況に強いと言われていた出版業界は,目下長期的な構造不況の渦中にいる。情報ネットワークの普及によって,誰もが簡単かつ迅速に情報を発信,収集できるようになっている状況下において,速報性をセールスポイントとしてきた雑誌のようなメディアがその相対的な地位を下げるのは当然といえば当然である。しかしながら,このような状況であるからといって,新しい形の雑誌(このようなものが伝統的な意味での雑誌と呼べるものの範疇に入るかどうかは別問題として)が刊行されるようになったといった話があるわけではないところに問題の根深さがあるように思われる。このような状況下で学術書(今回お勧めする本の中では,厳密に定義されているが,私は一般的な用語としてこれを使う)の出版はどのようになっていくのだろうか。吉見俊哉は,現在のような電子情報環境の下で,必要な知識の入手先という意味では大学と書店の重要性は同時並行的に低下していると指摘している1)が,おそらくこれは覆い隠しようのない事実であって,出版に依存することなく新しい知識の発信,入手は可能となっている。このことは,例えば,京都大学の望月新一教授がabc予想を証明する論文をまず自らのWebサイトで公表したことからも明らかである。しかしながら,高等教育に関わる者としては,新たな知識としての研究成果を公表,普及する手段としての研究書やある研究領域におけるスタンダードな知識を伝える道具としてのテキストブックといった著作物の安定供給が不可欠であること,またそのことが我が国の高等教育を支える根幹の1つであり知識基盤社会にとって不可欠であるという立場から,現下の出版業界全体が直面している困難が,高等教育に対するコンテンツ供給の隘路(あいろ)となることに対してたいへん危惧している。このような危惧に対して,学術書の出版にはまだ希望があることを本書は示してくれるだろうか。知識の普及が必ずしも出版という行為を介さなくともできてしまうような状況下で,学術出版に関わる出版社はその機能をどのように変えていくのだろうか。

本書は,日本の学術出版社(大学出版会など)4社を調査対象としたエスノグラフィックな手法による研究を報告するものであるが,このような研究を行う上での中心的な問いは「出版社はどのようにして,全体的な刊行ラインナップの構成や個々の書籍の刊行に関わる意思決定を,組織としておこなっているのか?」というものである。この問いの背景には出版社を知的生産活動における「ゲートキーパー」機能を担うものとしてとらえ,その役割について検討しようとすることがある。この問いに対する答えを探る上で,「複合ポートフォリオ戦略」と「組織アイデンティティ」という2つの概念を用いている。複合ポートフォリオとは経済的な利益を確保しようとするだけでなく,自社の威信や名声あるいは著者との人脈的つながりといった非経済的な利害関心を追求していく上での基本的な組織戦略のことである。組織アイデンティティについては,「文化と商業」あるいは「職人性と官僚制」といった対立軸を設定し,刊行意思決定プロセスとの間の関係を描き出そうとしている。

このように本書はきわめて強固な概念設定の上に書かれた研究書であって,先に述べたような私の勝手な希望を直接的に満たしてくれるような著作ではない。しかし,本書で報告されている事例研究はさまざまな新たな発見を私にもたらしてくれる。図書館情報学における学術コミュニケーションの研究が,特に日本ではと言うべきかとは思うが,情報の生産者であり,また同時に利用者である研究者の情報行動や学術雑誌あるいはそれに掲載される論文を主要な研究対象とし,学術書やその出版流通を対象とした研究があまり行われてこなかったということもあり,本書の著者たちの意図とは異なる読み方かもしれないが,日本の学術コミュニケーションを支える基盤的制度としての学術出版社の実情と考え方を知る上で極めて興味深い著作と言えるのである。

野次馬的に読んでいておもしろいと思う点はたくさんあるのだが,その中で特に挙げるとすれば,「組織」のアイデンティティと言いながらも出版社が編集者という個人の集積であるという,これまでの私自身の仕事を通じて何となく感じてきたことが,明確に示されていることである。このことは,エディターシップの専門職としての独立性ということと出版社が個人事業者の集まりのような色彩を帯びていることと重なっており,企業文化という観点からは他業種とは異なるものであることが示唆される。しかしそれほど単純な話ではないことが,有斐閣の事例の中で「職人性と官僚制」を対比する形で描き出されている。このバランスの中でこの会社がかつての経営危機を乗り越えている姿には感動すらおぼえる。

少しまじめに自分の仕事との関わりという点から本書を見ると,大学教育と学術出版との関係についての記述に注目することになる。これは,出版におけるマーケットとの関係ということになるのだが,同時に,学術出版物の著者の多くが大学教育に関わっているという特殊性によって何がもたらされるのかという点に着目することにもなる。先に述べたように,私は学習あるいは教育に資するコンテンツの安定的供給の維持が重要であると考えているので,本書で「学校や教育なくして出版はうまくいかず,また書物がなかったら大衆教育はどうなっていただろう」というDennisらの見解を引用する形で描き出されるこの両者の関係についての記述は一言一句吟味したくなってしまう。ざっとみても,教科書として採用されるような図書の出版が学術出版社の経営を安定させる上で重要であること,どの出版社も「息の長い出版」をめざしていること,さまざまな新しいスタイルのテキストブックの企画のプロデューサーは教員ではなく出版社であるということ,カリキュラムの多様化がテキストブックの販売にとってはプラスに働いていないといったことはきわめて興味深い事実である。

しかしながら,このような記述を読んでいると,テキストブックのような大学内での利用を目的とする教育的資源の流通は,大学コミュニティというもっと閉じた環境に最適化した形で行われてもよいのではないかとも思わざるを得ない。学術出版は,販売経路等の点では全面的に小説などの商業出版物のそれに依存する形になっている。これまでの紙の本を主体とした出版流通においては,これはある程度合理性をもつものであったのだろう。しかし,今日学術情報の電子的流通はあたりまえになりつつある。また,今日の大学教育現場においては,その是非論はあるもののカリキュラムの多様化が進んでいる。その背景の1つにはかつて私立大学を中心にみられたマスプロ授業への批判があったはずであり,結果的に多種多様な教育的資源が求められるようになっていると言ってよい。本書においては,大教室でのマスプロ授業の減少が教科書の売り上げ減につながっているという記述がある。これは現象の記述としては正しいものであるが,これが大学に対する批判として主張されるのであれば,やはり反論せざるを得ない。

問題は,このような多品種少量出版という新たなニーズに従来の出版流通システムが対応できていないところにあるのだろう。本書において,アマゾンに代表されるようなネット注文の増加もあって,限られた専門家を対象に専門書を生産する小出版社にとって再販制度自体のメリットが薄くなっているのかもしれないという記述が見られることからもわかるように,すでに出版社自身もそのことに気がついてはいるのである。それではどうするのかということについて,おそらく多くの人たちが何らかのことを考えつつも,今だに具体的なアクションを起こすには至らない状況なのではないだろうか。ただし,その場合,これまでの学術出版の要素として残すべきは,紙の本を維持することではなく,電子情報環境下においても適用するような,本書の言うところの「職人性」,すなわち学術出版におけるエディターシップでなければならないのである。

執筆者略歴

竹内 比呂也(たけうち ひろや)

1961年福井県生まれ。東京大学附属図書館,ユネスコアジア太平洋地域中央事務所,静岡県立大学短期大学部等を経て,2003年より千葉大学文学部に勤務。現在,千葉大学附属図書館長,アカデミック・リンク・センター長,文学部教授(図書館情報学)。著書に『変わりゆく大学図書館』(勁草書房,2005)など。専門は図書館情報学,特に大学図書館,学術情報流通・政策に関心を持つ。

参考文献
  • 1)  吉見俊哉. 大学とは何か. 岩波書店, 2011, 270p.
 
© 2013 Japan Science and Technology Agency
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