情報管理
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情報論議 根掘り葉掘り
X・アズ・ア・サービスの時代
名和 小太郎
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2013 年 56 巻 9 号 p. 643-646

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ハーバード大学の情報資源政策プログラムというチームが1980年に「情報ビジネス地図」という報告を発表している。これを簡略化して1に示す1)。かつて本欄でも扱ったことがあるが2)3),環境が大幅に変わったものの,その内容には棄てがたい点もあるので,現在の視点で,もう一度紹介したい。

1980年の情報ビジネス地図

情報ビジネス地図(以下,地図)は市場に出ている情報財を2つの軸で分類している。まず,東西軸については東方を「コンテンツ」,西方を「コンテナ」――あるいは「コンジット」――とし,ついで南北軸については北方を「サービス」,南方を「プロダクト」としている。

図1 情報ビジネス地図(1980年)

それぞれにどんな情報財が入っているのか。東北域は人の専門的資格がものをいうサービス,東南域は知的財産権(以下,IPR)のかかわるコンテンツ,西北域はインフラ型のサービス,そして西南域はコンテンツの媒体となる日用品がある。以下,それぞれを専門家域,IPR域,インフラ域,日用品域,と呼ぼう。それぞれの領域はそれぞれの秩序をもっていた。

それぞれの秩序とはなにか。まず専門家域について。ここでのプロトタイプは宗教,そして教育となる。ここには梅棹忠夫の「お布施理論」という卓抜な説がある4)。お経は,その表現もその内容も標準化されており,だれが読んでも伝わる情報量は同じになるはず。だが,その対価つまりお布施は時と所によって違う。なぜか。

梅棹説によれば,それは僧侶――売り手――の格と檀家――買い手――の格とで決まり,今日の専門家サービスにおいてもひろく通用している,という。それでは「格」とはなにか。それは売り手にとっては,まず国家資格――医師,弁護士など――であり,ついで社会慣行――学位,出身校,所属組織,家系など――でもある,という。ただし買い手の格について梅棹説は弱い。視聴率,発行部数,引用数などを通じて,受け手の反応がそのサービスの価格に反映しているという。

つぎにIPR域について。ここにある財は,東西軸でみればコンテンツつまり無形,南北軸でみればプロダクトつまり有形,したがって「無形かつ有形」のものである。この「無形かつ有形」の財を取引するためには,その無形のコンテンツを占有可能なプロダクトとみなし,ここにコピーは不可という人為的な柵を設ける必要がある。これがIPRという制度となる。そのIPRとは,この文脈では,まず著作権,ついでソフトウェア特許,ビジネスモデル特許,医療特許などを含む。いずれも専門家サービスをプロダクトとして固定するものとなる。

つぎにインフラ域。ここではユニバーサル・サービスがその秩序となる。それは「遍(あまね)く等しく」かつ「安価」でのサービスという理念をもつ。

最後は日用品域。ここは工業製品の領域である。技術的には標準化,経済的には一物一価がよしとされる。とくに情報財としてみた場合,それは使い勝手のよいヒューマン・インターフェースをもつことが求められる。

コンピュータの位置

ここで歴史をまだコンピュータのなかった1世紀前――1880年――に戻し,この時点の情報ビジネス品目を1980年版の地図から拾い出してみよう。それが2となる。専門家域には専門サービスと金融サービスなど,IPR域には書籍,新聞など,インフラ域には郵便,小包サービスなど,日用品領域にはビジネス用紙,ファイル・キャビネットなど,がすでに存在していたはずである。だが,いずれの領域も1980年版に比べれば品目も少なく,特徴も素朴である。しかも地図の中心部は空白になっている。この時代,パンチ・カードもレコードも映画も事業化はされていなかった。

図2 情報ビジネス地図(1880年)

1980年版の地図にもどる。専門家域には放送や広告サービスなどが,IPR域にはLPやビデオなどが,インフラ域には電話や衛星サービスなどが,日用品域には複写機やTVセットなどが,それぞれ加わっている。さらに1世紀前には真っ白だった中央部にコンピュータ,そしてソフトウェア,データベース,コンピュータ網,ワープロなど,コンピュータ応用品目が現れてくる。

くわえて1980年には,専門家域の品目もIPR域の品目もインフラ域の品目も日用品域の品目も互いに重なってしまっている。その融合は地図の真ん中に両性具有的――「コンテンツかつコンテナ」そして「サービスかつプロダクト」――なコンピュータが現れたためである。

同時に1880年にはたがいに截然(せつぜん)と切り離されていた伝統的な秩序群も互いに重なり合い,その区別があいまいになった。この秩序の相互浸透が今日まで続いている5)

ここで1980年の地図から非コンピュータ系のサービスやプロダクトを除いてみよう。その地図は,中央にコンピュータとその関連サービスとをわずかに残すのみである。それらの特徴を改めて想起すると,まず高価であった。たとえば汎用コンピュータ。くわえて使い勝手の悪いヒューマン・インターフェースをもっていた。たとえばQWERTY配列。

いまにして思えば,1980年版の地図には,モノの時代から情報の時代への移行期の情報ビジネス像が示されていた。ここまでが,やや長すぎた前書き。

ゼロ年代の変化

ゼロ年代に入り,1980年には地図の中央部にやっとその姿を現していたコンピュータが,その姿を大きく変えた。それは地図の全域にその版図を拡大し,多様な情報処理を下支えするようになった。いわゆるクラウド・コンピューティングの出現である。それはすべてのアプリケーションを呑みこみつつある。

ここで時代を進め,2010年における地図を改めて作ってみよう。論点を明らかにするために,ビジネス品目をコンピュータ関連のものにかぎって,描いてみる。これを3に示す。

図3 情報ビジネス地図(2010年:コンピューター関連のみ)

まず専門家域について。ここでは人工知能がその存在感を高めている。たとえばIBMの人工知能「ワトソン」,あるいは金融サービスにおけるアルゴリズム取引,そして高頻度取引など。ここにはグーグルの検索エンジンも入るだろう。米国の法学雑誌には,サービスの人工知能化によって弁護士――つまり専門家――は消える,などという論文も発表されるようになった。ここでは人工知能に責任を問えるのかという新しい課題が現れる。なお,伝統的な専門家サービスの電子化も進んでいる。たとえばMOOC(Massive Open Online Course)など。

つぎにインフラ域について。ここには多くの情報通信インフラがある。インターネット,携帯電話網,高度モバイル通信サービスなど。1980年版の地図では独占市場であったが,その直後に競争政策が導入され,2010年版の地図においてはサービス内容が多様化している。にもかかわらず,あるいは,だからか,ユニバーサル・サービスは,その対象を社会教育や娯楽まで含めて,実質的に実現してしまった。

つぎにIPR域。かつてここには「無形かつ有形」型――つまり非コンピュータ系――のプロダクトが数多く残っていた。だが今日,その無形化すなわち脱プロダクト化が徹底し,いずれもサービスと化している。たとえば書籍に対する電子書籍。あるいはDVDに対するYouTubeなど。

くわえて,ここには多数のスマートフォン用のアプリケーションがビジネスとして出現し,逆に,ホームページ,ブログなどが,無料のサービスとして,かつてはエリートのものであったIPR型プロダクトを大衆化してしまった。

この領域では,ビジネスのさらなるサービス化にもかかわらず,その対価の徴収を在来型のIPR制度に頼っている。そのIPR制度は,さきに示したように無形を有形と仮想化する制度である。だが万人がパソコンそしてスマートフォンというコピー機を所有してしまった現在,この仮想化がいつまで通用するのか,これは悩ましい課題といえる。

もう1つ。かつて放送番組や新聞記事などの情報財は,その対価をユーザーにではなく広告業者に転嫁していた。この方式がいまやアフィリエイトとして,インターネット上の多くのアプリケーションにも組み込まれている。エンド・ユーザーはサービスの対価を意識することはない。

以上のあれこれの理由により,このIPR域にはすでにフリー・ソフトウェア,オープン・ジャーナルの普及があり,くわえてP2Pの乱用など,海賊行為が常態化している。IPRという制度は,今後,シジフォスの努力を続けなければならないだろう。

日用品域についてはどうか。わずかにプロダクトの論理が残っている。それはコンテナあるいはコンジットとしてエンド・ユーザーに提供される。現実には,文字,音響,画像などのプロダクトが,スマートフォン,そしてタブレット端末に置換された。

それらはプロダクトではあるが,すでに一物一価の論理を失っている。くわえて,そのプロダクトは過剰品質かつ短寿命という仕様をエンド・ユーザーに強いるものとなった。サービス産業の論理がプロダクト産業にも踏み込んできたということだろう。

新しい情報ビジネス

2010年には,情報ビジネス地図の様式では表現できないビジネス,つまりどこにそれを記入すべきかに迷うビジネスも数多く出現している。以下,それらを列挙しておこう。まずGPS,そしてM2M(Machine to Machine)型のアプリケーション。いずれもインフラ域のサービスとも専門家域のサービスとも見える。

どちらも計算量は大きい。したがってコストもかかる。だが多くの場合,エンド・ユーザーの行動記録を自動的に収集し,そのデータ群――ライフログなど――をビッグデータとして処理し,この出力を商品として関連事業者――交通事業者,医療事業者など――に売りつける。エンド・ユーザーにはなにも見えない。「プライバシー保護」は死語になるだろう。

新しい型のサービスとしてはSNSもある。これは高付加価値化したインフラ域のサービスとも,大衆化された専門家域のサービスとも,脱権利化したIPR域のサービスともみえる。

このSNSだが,まずそれは電話の発展型ともみえる。それは一対多の「つぶやき」の形で,つまり「人間の自己表出」を拡散するサービスである。なお「人間の自己表出」とは,「情報」に対して梅棹が示した定義でもある。

つぎに,それは情報の売り手の社会的格を自動生成する装置でもある。フォローの数やフォロー者の数が,その社会的な格を示すものとなる。さきに紹介したお布施理論は,ここでは大衆化される。

さらにそれは,遊戯性をもつ立ち入り自由のサービスでもある。とすれば脱権利化が徹底したIPR型サービスともみえる。

SNS以外でも,たとえばホームページやブログに対する検索エンジンのランキング・システムなど,これらも社会的な格の表示手段といえる。そのホームページ,ブログのいずれも,どの領域に置くべきなのか,迷う。

最後に日用品域においてはどうか。IPR域とのあいだには3Dプリンター,インフラ域とのあいだにはネット・オークションなど,けったいなサービス(?)が出現している。

いずれにせよ,エンド・ユーザーからみると,2010年の情報サービスはすぐれた特徴をもっている。それは,第1に低価格,あるいは無料であること,第2に子供でも使えるような,あるいは無意識のうちに使えてしまうヒューマン・インターフェースをもっていること,第3にサービスのための装置や情報がどこの国にあるのか見えないこと,である。あげてXaaS(X as a Service)の時代となったためである。

XaaSは,そのうえに載せるアプリケーションをサービスとして扱う技術である6)。いうまでもないが,それを下支えするものがインターネットとユーザーのもつパソコン群であり,さらにそれを仮想化するクラウド・コンピューティングである。

XaaSの‘X’は,たとえば‘S’(Software)と化してSaaSとなり,あるいは‘P’(Platform)と変じてPaaSとなり,さらには‘I’(Infrastructure)と転じてIaaSとなる。いや,‘H’(Hardware)すらありうる。たとえばスマートフォンや3Dプリンター。いまやユーザーはこれらを重ね合わせ,情報ビジネスのアプリケーションを選択し,入手することができる。

参考文献
 
© 2013 Japan Science and Technology Agency
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