情報管理
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リレーエッセー
つながれインフォプロ 第12回
須藤 公夫
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2014 年 57 巻 6 号 p. 417-419

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FARMDOC協議会とは

日本FARMDOC協議会(以下,JFA)の母体は,1963年に始まったDerwentの医薬関連特許情報サービス「Farmdoc」に採用された各種の索引システムを勉強し,改善を訴えるために集まったユーザー会「Farmdoc会員協議会」(初会合は1966年)である。1968年に会則等を整備し,設立総会を開催し,正式に設立した。活動の目的は製薬会社(または関連機関)の特許情報を扱う部署のメンバーによる交流とスキルアップである。

現在会員会社は23社で,会員には研究会に参加することと,順番で運営役員として活動することが義務づけられている。毎年8月ごろに研究テーマを募り,各自の参加表明・メンバー調整を経て,9月ごろ4~5グループを確定する。テーマ内容に沿った調査や解析を月に1回程度の会合でまとめ,5月に一堂に会してその発表会を行う。総会も併設され,1年の活動報告,次年度役員の確認を行い,8月のテーマ募集までに引き継ぎを行う(13)。

私は1992年ごろから参加しており,最古参の1人である(それゆえもはや末席を汚す身であるにもかかわらず,代表より執筆依頼の栄誉を得た者である)。

図1 2013年度研究発表会集合写真
図2 2014年役員引き継ぎ風景
図3 総会風景

JFAの変遷

発足の経緯にあるように,もともとはDerwentの「Farmdoc」というコンテンツのユーザー会として始まっている。「Manual Code」や「Chemical Fragmetation Code」はDerwentのCPI(Central Patents Index)フル会員でなければ利用できないという制限があったため,JFAでも参加メンバーはDerwent会員であることが条件で,研究会のテーマもWPI(World Patents Index)に関することを絡めるのが通常であった(初期にはChemicalCodeマニュアル翻訳という活動もあった)。

JFAは発足当時から研究会を活動の中心に据えていて,当初はデータベース(WPI等)の機能や使い勝手,データの正確性,索引の評価など,データベースの内容そのものを研究の対象とすることが多かった。また,1社ではなかなかできない規模の大きな検証作業をすることでデータベース作成側に根拠のある改善要望をつきつけるなど,データベースが限られていたがゆえの圧力団体的な性格(いい意味でのユーザーとベンダーとの緊張関係)があったと思う。

また,かつてはデータベースを扱うこと(検索作業そのもの)にスキルが必要で,かつ利用料金が高価であったため,その技術やノウハウを互いに伝え合うことも大きな目的の1つであった(45)。

図4 JFA会誌(25周年記念号)
図5 25周年記念総会

時代が移り,「特許は著作権なし,無料公開情報」という原則にデジタル技術の発展が加わり,各国の特許庁から1次情報として公開されるようになった(当初こそCD-ROM媒体などでの公開で,その検索閲覧システムと抱き合わせで高値で販売され,その評価が研究会テーマになったこともあったが,間もなくWebも充実して媒体販売は廃れた)。

WPIは「索引つきの情報」としての価値を保ち続けていたものの,「会員制度」で維持するというモデルは成り立ちにくくなり,CPIの「ChemicalCode」以外の情報は会員資格なしで利用できるようになっていった(その後Derwent自体が買収されてしまったことは象徴的である)。

前述のように特許情報のWeb公開に伴って各国特許庁のシステムも充実し,公開データを利用した多彩な全文検索システムが出現し,またさまざまな統合データベースに特許情報が載るなど,JFAで扱う内容も多岐にわたるようになった。

また,経済情勢もあり,製薬会社でもフル会員をやめるところが多くなったことやそれまでJFAに協力的であったDerwent自体が事実上「会員サポート」をやめてしまったことで,Derwent会員であることをJFA参加資格とする意味がなくなった。

さらにこのころ製薬各社で間接部門への風当たりが強くなり,「調査」部門の統廃合,分社化等の切り離し,アウトソーシングなどで,JFAに参加する人員確保が難しい等の理由による脱退や,会員会社の合併による会員数減少があり,会の運営上も,「役員に権限をもたせ,合議(根回し)で役員を選出して複数年運営にあたらせる」という従来の運営方法では役員のなり手を探すことが困難になった。会員の「定義」としても「製薬会社」に限定することへの疑問も出てきた。

そこで,2003年度の活動においてワーキンググループを作って会則改定を提案し,(1)会員資格変更(Derwent会員の条件削除,製薬会社とは限定せず関連調査を業務とする団体も受け入れる等),(2)運営役員の負担軽減と輪番制導入,年会費の廃止(会費から研究会の運営費を出すという金の流れをやめ,出納を東西合同発表会・総会の開催のみに限り,会費のプールを少なくして役員の会計業務負担を減らす)などの改革を行った。会則自体も,会則(本則)と細則(運営則)に分けて柔軟に運営できるように変更した。その後の会運営の流れは,上記のようにルーティン化している。細かい会則改定は適宜行われている。

現在のJFAは若手の参加も増え,特許情報に限らないテーマ(動向解析など)の研究や意見交換も活発で,活気を取り戻しつつある。ただ,参加を広く認めているとはいえ,基本的に現在の会員の推薦を条件にしており,研究会活動に有料データベースを用いたり(その費用は各社負担),研究会の会合の場所を各社持ち回りで提供したり(東西の支部分けがなくなったため遠距離出張もしばしば必要),輪番で会運営に携わったりするため,ある程度以上の「企業」でないと難しいので,会員数は拡大していない。また,研究会以外の活動を支援できるような運営体制ではないため,その紹介の場(Webサイトなど)もなく,かなりクローズドな団体である(クローズドならではのよさもあるが)。ただ発表された成果は各社に持ち帰り,社内共有することはできる。

製薬特許を扱うインフォプロの立場

『情報管理』誌の過去の投稿にもあったと思うが,高速ネット,強力検索エンジン,ビッグデータが当たり前の世の中となり,調査という業務に対する評価や組織的な存在感が薄れているのは確かなことである。索引に頼らない全文検索やマイニング技術が注目され,調査そのものは評価されにくい。

資料の面からいえば旧Derwentの資料はそのDocumentation Abstractに代表される索引者抄録を特徴とする人間味あふれる資料であったが,出願の増加に対応できず,その抄録クオリティは下がっている。量的なことへの対応ではCAS(Chemical Abstracts Service)など他の索引データベースでも同じである(トムソン・ロイターやCASという大組織でさえも索引に機械的な処理による部分が多くなっている)。また,システム自体にもコストダウンの影響がみられる。にもかかわらず,作成コストの名のもとに年々値上がりしていて,調査コストに跳ね返り,調査担当者は頭が痛いと感じている向きも多いのではないだろうか。

このような状況の中,製薬関係の資料はその特殊性・多面性から調査そのものにある程度のスキルを必要とするうえに,結果に対する評価も重要であり,単なる「検索屋」にとどまらない「インフォプロ」としての存在価値は高いと信じている。特許調査においても,医薬特許の特殊性,化学構造や配列などへのアプローチのスキルの価値は昔と変わらない。JFAのような「学びと経験の場」を利用して,いかに効率的かつ網羅的に目的の調査をするか,いかなるデータベースがありどう使うとよいのかという知識とノウハウを蓄積することは非常に重要な意味をもっていると確信している。

執筆者略歴

須藤 公夫(すどう きみお)

大塚製薬へは合成研究員として入社。1990年に情報調査部門に移り,2008年知的財産部に統合され,現在に至る。ここ数年は日本製薬情報協議会に軸足を移している。

 
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