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「総合的学生情報データ分析システム」の構築 山形大学におけるエンロールメント・マネジメントとインスティテューショナル・リサーチ
福島 真司
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2015 年 58 巻 1 号 p. 2-11

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著者抄録

エンロールメント・マネジメント(EM)の要諦は,データ分析等の科学的マーケティング手法を用いて,大学マネジメントのPDCAサイクルを永続させることである。マーケティングの現代的な意味は,学生募集や寄付募集だけをさすのではなく,学生の価値を創造し,その価値の最大化を実現し続けるための組織一体となった活動をさす。そこにはインスティテューショナル・リサーチ(IR)が欠かせない。入学前の接触情報から,入試成績,入学時の期待,在学中の成績,教育内容や学生生活の満足度,就職状況,卒業後の大学教育への満足度等を調査分析することなしには,学生を知り抜くことはできない。山形大学EM部では,2010年度より学生データを統合して分析するため「総合的学生情報データ分析システム」の構築を始めた。本稿は,実践事例をもとに,大学マネジメントのPDCAサイクルにIRをいかに実際的に機能させるのかを目的として論じるものである。

1. はじめに

近年,日本の大学においても,エンロールメント・マネジメント(以下,EM)の重要性が認識されつつある。

日本の大学において,EMの専任教職員等を置く組織の設置に関しては,2006年7月に山形大学が「エンロールメント・マネジメント室」を設置注1)したことが最初の事例である。時期をほぼ同じくして,京都光華女子大学は2007年度にEMを学生支援策の柱に置くことを打ち出し,その推進体制強化のため,2012年4月に「EM・IR部」を設置した。東京未来大学では,2012年4月に事務局の名称を「EM局」に刷新し,EMの実現をミッションの中心に置くことを鮮明に打ち出した。

日本では,EMは,「学生支援策」や「教育の考え方」等に表現されることもあるが,米国大学のEM部門の管理者たちはしばしば「EMはデーターベースド・マネジメントである」と表現する。EMはその業務の遂行上,学生データ等の諸データを重視するため,インスティテューショナル・リサーチ(以下,IR)と深い関係性をもっている。

本稿では,まず,EMの定義やEMとIRとの関わりについて議論し,その後,山形大学EM部の実践事例について,IRのICT基盤である総合的学生情報データ分析システムの運用などを中心に報告し,大学マネジメント上の課題解決に対し,IRが果たす役割について考察するものである。

2. EMとは何か

2.1 マーケティングの考え方

EMは,1970年代に米国マサチューセッツ州ボストンカレッジでアドミッション部署のディレクターとして活躍し,母校であるボストンカレッジの危機的状況をターン・アラウンドさせたジョン・マグワイヤ博士が最初に提唱した大学マネジメント手法である1)。マグワイヤ博士は,科学的なマーケティング・リサーチの重要性を説き,学生募集戦略にレベニュー・マネジメントを適用した奨学金モデルを構築したり,在籍率の向上(退学率の減少)に学生満足度をキーにした改善モデルを策定する等のEMのモデル化を行い,大学マネジメントに始めて本格的なマーケティング手法を持ち込んだ注2)

大学を始め,教育の世界にマーケティングの考え方を取り入れる議論を好まない人々もいるであろう。マーケティングは,ビジネスにおいて成果を導くために生まれた概念である。教育とビジネスの在り方が本質的に相容れないものとする立場からは,無理のないこととも考えられる。しかしながら,現代のマーケティングの定義は,ビジネス・マネジメントにとどまらない概念である。

2007年に,アメリカ・マーケティング協会は,マーケティングを次のように再定義した。「マーケティングとは,顧客,依頼人,パートナー,社会全体にとって価値のある提供物を創造・伝達・配達・交換するための活動であり,一連の制度,そしてプロセスである」注3)。これを大学に置き換えれば,大学の本来的な責務である教育・研究・社会貢献活動を通じて,学生を始め,保護者,高校,企業,地域,教職員等を含めた社会全体にとっての価値を創造し,その価値を有用に機能させるため,大学の制度や組織一体となったプロセスでマネジメントすることと言える。

教育活動において,価値を創造する活動とは,一人ひとりの学生の知識,技術,それらを含めた人間的な力を伸ばすことである。成長した学生が社会で活躍することで,新たな価値を生み出し,社会は発展する。一方で,大学は,社会から教育活動を高く評価されることで,入学希望者を増加させたり,関係者から有形無形の寄付を得るなどし,より大きな価値の創造が可能となる。このサイクルに関わるステークホルダーのうち,誰かが一方的に利益を得るのではなく,マーケティング活動の成果は,社会を含めた全てのステークホルダーにもたらされる。これが現代的なマーケティングの考え方である。Druckerは,「マーケティングの目的はセリング(売り込み)を不要にすること」2)と説いたが,狭義の利益,広義の利益を含めた相互の利益が循環し続けることで,関係者は,このサイクルに,自然に,加わり続ける。誰もが誰かに売り込むことの必要がない状態,これが,マーケティングの理想である。

2.2 大学マネジメントに果たす科学的マーケティング手法の役割

現代的なマーケティングの概念は,ビジネスよりもむしろ大学等の非営利組織のマネジメントと親和性が高いとも言える。大学と社会とは,従来から相互に利益を与え合う関係であったはずだからだ。すなわち,「大学マネジメントにマーケティングの概念を取り入れる」と言うよりも,「ビジネス・マネジメントが大学等の非営利組織の在り方に近づいた」と言う文脈ではないか。それでは,大学マネジメントにマーケティング手法を導入することで得られるインパクトはなにか。

従来の大学教育では,個々の教職員が学生教育に対してしっかりとした思い入れを持ち,個々の教育的な考え方や手法で学生教育に向かえば,問題のない姿勢とされてきた。ただし,このやり方においては,教職員の教育活動は個々の教育観に任されている状態であり,大学全体として方向性を整えた教学マネジメントは,機能していない状態と言える。

仮に,個々の教職員の方向性が全く異なった場合,お互いの活動が相互に干渉し合い,個々の活動の効果が打ち消されることもあり得る。そうなれば,個々の教職員の活動量の総和に対して,小さな成果しか実現されなくなることもあり得る。大学が組織一体となって学生の価値の創造やその最大化を図る上では,一致した方向性のもとで,教育活動をマネジメントする必要が生じるが,そのためには,学生データを始め,大学に関する諸データを収集・分析し,PDCAを実際的に機能させるための科学的マーケティング手法が有用となる。

2.3 EMの定義とIR

山形大学EM部では,EMを「大学調査などによって支えられ,戦略的なプランニングによって組織され,学生の大学選択,大学入学,在学中の教育サービス,休学・退学の阻止,(卒業後も含めた)学生の将来などに関わる支援諸活動を総合的にマネジメントすること」と定義している。「大学調査」とは,学生調査を含めたIRのことをさす。すなわち,EMの要諦は,IR等をマーケティング調査に活かし,一致した方向性のもと,組織一体となった大学マネジメントのPDCAを永続することである。

一人の受験生が,大学に興味を持った時点からEMはスタートする。伝統,学風も含めた大学の持つ教育的なリソースや自学の特長や魅力に関する十分な情報提供を行い,受験の誘導だけではなく,進学先として本人の志向性や能力等と合致しているかのマッチングを行う。志願し,合格すれば,確実に入学するように働きかける。入学後は,十分に期待に見合う満足な学生生活を送れるよう諸支援を行い,卒業時には満足度の高い進路を実現させる。卒業後も,卒業生サービスなどの活動を通して一定の関与を継続することで深い関係性を実現し,家族,親族や関係者の入学や,遺産の寄贈も含めた有形無形の寄付の提供を受ける。EMは,正に,一人の学生との一生涯の関わりをマネジメントする活動と言えるが,その成功には,大学の構成員が,組織一体となって取り組むプロセスが必須である。

学生募集,教育,就業力支援,同窓会サービスなどの業務ごとに分かれたそれぞれの部署には,それぞれに沿革や文化があり,異なるビジネスプロセスを持つ。経営資源に制約が厳しい中で予算や人的資源等を要求する場面では,同一機関内の部署同士が競合関係となる場合もある。切磋琢磨(せっさたくま)がなされていると捉えればネガティブな状況とは言えないが,個々の部門が視野を狭め,個々の成果だけをめざすこととなれば,状況はネガティブなものとなる。大学マネジメントは,ここにおいて重要な役割を発揮するが,そこには異なる部署間での共通言語としてのデータが欠かせない。部署を超えて共有されるデータの存在があって初めて客観的な議論が実現される。大学に関する調査分析によって大学マネジメント上の有用な情報を提供するIRと,組織一体となった取り組みプロセスを支援するEMは,不可分なものである。

3. 山形大学EM部の実践事例

3.1 山形大学EM部の業務と沿革

2006年7月に山形大学に事務職員3名で設置されたEM室(発足当時)は,2007年7月に専任教員の配置等の人員増を行い,2007年9月には学長直下であった組織にEM担当理事が配置された。2010年4月にEMに関するIRの事業提案に対し,文部科学省概算要求事業(2010年度から3年間)の採択を受けると,2011年4月には組織強化のためにEM部へと昇格した。その後,新たな文部科学省概算要求事業(2013年度から3年間)の採択も受け2014年4月に3課体制となった。

現在,旧EM室の業務はEM企画課が担当しているが,その業務内容は全学的なマーケティング活動である。入学前の学生に対しては学生募集を,入学後の学生に対してはEMに関するIRを,卒業後の学生に対しては卒業生サービスを行っている。

学生募集では,戦略的なプランニングと高校訪問や学生募集に関するイベントの実施,入試広報に関する媒体の運営等の事業を担当する。志願倍率などの関連の数値にも責任を持つ。IRについては,在学中の学生に関する調査分析は当然のこと,学生募集関連のマーケット調査を含めた諸調査,入試に関する分析,在学生の満足度調査やGPA,学籍異動に関する諸調査,保護者や卒業生の満足等の調査に加え,卒業生を受け入れる企業等の調査分析等の多岐に亘る調査を実施している。卒業生サービスについては,全学的なホームカミングデーの企画,運営,各学部同窓会活動の支援,卒業生データベースの整備等を行っており,将来の全学的な寄付募集活動へとつなげる予定である。

EM室が発足した当初は,学生募集が業務全体の60%程度を占めていたが,近年は,文部科学省概算要求事業である「総合的学生情報分析システム」の整備やそれを基盤としたIRの業務割合が大きくなりつつある。

なお,山形大学には,IRを担当する部署として,機関別認証評価や国立大学法人評価度に関するデータ収集や集約を担う評価分析室と,EM部の2つの部署が存在する。前者は法制に従った間違いのない情報開示を行うためのIR業務を中心としており,後者は,学生満足度調査や授業の出欠情報,個々の学生のGPA等の公開を前提としないデータも含めて収集し,分析する等のIR業務を中心としている。企業に例えれば,法律に従って粛々とデータの公表が求められる財務会計と,顧客満足度や従業員満足度といった定性的なデータも収集分析し,経営判断や組織内部の評価の支援を目的とする管理会計に,部署を分けている。

この両者のIR業務を混同すると,大学や学生の真の姿を把握することが困難になる。法制に従い,機関が設定した目標を,計画通りに達成した証拠を示すための調査と,大学が抱える課題や将来のリスクを発見し,解決や改善方法を探るための調査とは,調査設計や分析方法が異なるからである。データ収集や調査分析は,その目的に応じて実施されるべきである。

3.2 総合的学生情報データ分析システムの概要

山形大学では,EMに関するIR事業である「学生の大学への期待,満足度,成長の自覚,目標達成感等を向上させることを中心においた教育改革マネジメント・サイクルの実現」が,2010年度文部科学省概算要求事業の採択を受けたことで,「総合的学生情報データ分析システム(以下,本分析システム)」の構築や整備に着手し,学生等のさまざまな情報を統合・分析を始めている。このシステムの分析に関するコンセプトは,1の通りである。

本分析システムに投入するデータは,まず,入学前の接触データである。山形大学が情報を掲載しているweb媒体などを利用して『大学案内』や『一般入試学生募集要項』等の資料請求をした者,オープンキャンパスのweb申込をした者,ホテル等の会場や高等学校内で開催される進学相談会や大学説明会等で山形大学のブースに訪れた者等のデータを収集している。これらのデータは,その後入試データと結合され,入学前の様々な接触機会が,実際の入試に対する志願,受験,合格,入学につながったのかどうかの分析に利用される。受験した者については,入試での成績データとも結合できるため,接触機会の学生募集に対する成果や質を評価するための有用な分析につながる。受験に合格した者に対しては,アンケート調査への回答を求めている注4)。合格した時点での「志望順位」「出願を決定した時期」「進学先としての山形大学の満足度」「併願校」「有用だった入試情報の媒体」「大学卒業後に希望する進路」等の約30項目を調査している。

次に,在学中は,セメスターごとの在籍情報やGPA等の成績情報,当該セメスターを振り返っての満足度や達成感に関するアンケート調査を実施している。また,ICチップを搭載した学生証による出欠情報の収集も1年生を中心とする基盤教育の全授業科目と,希望する学部の専門の授業科目でも収集している注5)。加えて,希望する学部では記名式での授業評価アンケートや卒業論文提出時点での就職活動に関するアンケート調査等も実施しており,これらのデータも投入する。このデータと入試データを結合することで,推薦入試や一般入試等の入試区分に分けられた学生のグループが,その後どのような成績を出しているのかが理解される。また,就職状況と結合することで,入試や在学中の成績等が,就職とどのような関係にあるのかも分析することができる。2は,現在山形大学のある学部で実施している就職に関する要因分析のうち,ある採用試験の結果のツリー分析の結果を示したものである。なお,山形大学EM部で実施している諸調査については,結果は原則非公開であるため,数値等は伏せている。

卒業後に関しては,約5年に1度の周期で,卒業後3~10年の社会経験を経た卒業生を対象にした卒業生アンケート調査を実施する。これは,社会人として一定の経験を積んだ上で,山形大学での教育や学生生活を振り返って,満足度や有用度を質問したり,忌憚(きたん)のない意見や要望を求めるものである。本分析システムは2010年度からデータの蓄積を開始している。そのため,次々回の卒業生アンケート調査から,この結果と,入学前の接触データや入試データ,在学中データ等のデータが完全に結合されることとなる。そうなれば,卒業生アンケート調査の結果から,社会人経験を経た現在,振り返って山形大学の教育や学生生活に満足している卒業生のグループが,どのような入学前から在学中のプロフィールであったのかが明確になり,山形大学の強みや弱みの把握への活用等,より詳細な分析につながることが期待されている注6)

図1 山形大学総合的学生情報データ分析システムのコンセプト
図2 山形大学EM部による分析事例(**学部**採用試験合格要因に関するツリー分析)

3.3 本分析システム構築上の課題と解決

本分析システムの構築をEM部が中心となって取り組むこととなったのは,山形大学の学生募集を中心とする入試対策事業において,入試情報等調査分析チーム(以下,分析チーム)を所掌した経緯があったからである。分析するデータが,入学前の接触情報から,入学直後のアンケート調査データ,在学中の満足度調査や卒業生調査等まで急速に拡大する中で,汎用ソフトでの解析やデータ管理が困難になり,システム基盤の構築が必要となったことが,2010年度文部科学省概算要求事業へ本システム構築を核とした事業申請へとつながった。ただし,分析チームでは,合格者アンケート調査や学生満足度調査,卒業生調査等の新規に分析チームが提案し,実施するオリジナルの学生調査等の分析を中心として行ってきたため,入試データや学生の成績データなどの学生の個人情報を各学部や部署等から入手した経験がなかった。そこで,本分析システムの構築には,まず,各学部等や関係する部署等への事業の説明を行い,理解を得た上で,必要なデータ提供を受けるための手続きのフローを新規に作る必要があった。

2010年6月からEM部が実施した各学部長等との懇談が始まったが,そこでは懸案事項が厳しく指摘された。本分析システムが個々の学内教職員の人事考課に影響を与える分析結果を示すことへの危惧や,情報セキュリティや個人情報保護法等の学生の個人情報の取り扱いに関する配慮や,既存の組織評価等とは別に諸データを提供すること等の事務負担増への対応等が,その中心であった。2回目の懇談でもこの懸案は払拭されなかったため,2010年10月に,全学部から1名以上の教員が委員として参加する「総合的学生情報データ分析システムワーキンググループ」を設置し,丁寧な議論をもとに事業を進めることとした。

その中で,事業目的を,各学部の教育改善等の支援のためのデータ分析や情報提供であることを明確にし,本分析システム上の各学部等の情報へのアクセス権を各学部等自身で決定することで,人事考課に影響を与えるリスクを排除した。学生の個人情報に関する情報セキュリティ上の問題は,蓄積されたデータに堅牢(けんろう)な暗号化を行ったり,本分析システムを学内ネットワーク内に置き,学内アクセスのみに限定すること等でシステム的な安全性を確立した。また個人情報保護法の専門家をワーキンググループに招聘(しょうへい)し,本分析システムの目的や運営が「独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律」に照らし問題がないことを講演や質疑等を通して,確認した3)。また,学生の個人情報は学生が所属する各学部からの分析要望がない限り本分析システムに投入しないこととし,データ提供の前に,本分析システムに責任を持つEM担当理事と各学部長との間で正式な文書を取り交わすというプロセスを作り,データ授受に関する責任の所在を明確にした。本分析システムへのデータ提供に関する事務負担増については,当面の事務作業は概算事業経費で雇用した専任の教職員が行うこととし,新規の事務作業を最小限に抑えることで合意形成を図った。これらの議論を本分析システムの構築と同時進行で行い,2年程度の時間をかけ,本分析システム構築上の当初の課題を解決した。2010年10月に始まったワーキンググループは,2ヶ月から3ヶ月に1度程度の頻度で開催され,2015年1月現在で25回の開催を数えている。

3.4 本分析システムの改善

本分析システムの設計当初は,専門性の高い複雑な分析を表現することを目標に,ITベンダーとその実現をめざして議論し構築に着手したが,結果としてその方向性は失敗であった。本分析システムは,構築するだけでは意味をなさない。専門性の高い複雑な分析は分かり難くて敬遠されたことと,それを実現するためにシステムのユーザビリティやインターフェイスの明快さ等が損なわれたため,誰も使いたがらないシステムになってしまった。本分析システムが存在しても,分析結果が活用され,教育活動の評価や改善につながらなければシステムは機能しているとは言えない。システムは,データ分析結果がわかりやすく共有されることで初めて機能し,それを共通言語として議論することで,データや事実をもとに意思決定するという文化の醸成が行われる。

2013年文部科学省概算要求事業として採択された事業「戦略的意思決定のための全学統合型IRシステム構築による大学教育マネジメント・サイクルの持続的発展」では,まず,既存の本分析システムの改善点を明確にした。すなわち,見てわかりやすく,美しいダッシュボードを構成し,操作性に優れ,さわって楽しく,各学部等の分析要望に素早く対応出来るものをめざして改善を図ったわけである。

それまでの本分析システムの財産であるMicrosoft社のSQL ServerとSharePointとの連携によるシステムの作り込み部分は,毎年度決まった時期にデータ更新し,定型的なテンプレートによって学内の情報共有を図るファクトブックに特化して利用することとした。このことにより,データ分析要望の度に,学外のSEに作業依頼するコスト負担を大幅に軽減した。ITベンダーも,それまでよりも1工数当たりの単価が低く,一方で,大学IRに関して経験が豊富で,大学マネジメントの文脈を理解した上でシステム運用もできるITベンダーに刷新するなど,運用体制も抜本的に見直した。本分析システムで最も重要なダッシュボード部分については,SAS社のVisual Analyticsを導入することで,柔軟性や拡張性を担保し,学部等からの要求に迅速に対応し,かつ,導入コスト,ランニングコストを軽減することに成功した。

旧来のシステムに比較して,新しいシステムへの学内の反応は良好で,データ分析結果を議論する場の活性化に明確に寄与しているように見える。データ分析の手法や仕組みだけではなく,データの見せ方が,データ活用を促すための重要な要因となることを示唆している。

4. IRの大学マネジメントへの活用に向けて

大学マネジメントにおいて,教職員の経験や勘は重要なものとして無視できない。しかしながら,それだけで意思決定するのではなく,トップマネジメント層も,学生に近い立場である教職員も,データや事実を確認しながら意思決定するという組織文化を醸成することが重要である。そのために,問題の発見と問題の本質的な理解,仮説の立案,解決方法の議論と決定,計画作成,成果指標の設定,アクション,事後の評価といったPDCAサイクルに,データ活用のプロセスを埋め込むことが必須となる。

IRをうまく機能させるためには,単純化すれば,次の3層の組織構成の考え方が大切である。

①データを活用して,起案,改善する層(各学部等や部署の教職員)

②データの活用を推進・推奨する層(各学部や部署の管理者的な教職員)

③データの分析結果を形づくる層(IRに責任を持つ教職員)

各大学の文脈にフィットした組織構成が肝要であるが,陥りがちな失敗は,③の層を必要以上に重要視してしまうことである。IRの専門家を配置し,権限を付与することだけではIRは機能しない。IRはツールでしかない。学内に改善すべき問題があった場合,実際にそれを解決するのは他ならぬ各学部や部署等の教職員である。③の層を最上位に置くのではなく,あくまで③の層は,①や②の層の支援に徹する立場である。

IRの導入時に,③の層に求められることは,データを収集する仕組みをつくり,実際にデータを集め,学内の要望に応えて分析し,分析のテンプレートを作成し,分析結果をもとに現場の教職員と共に議論し,IRの分析結果が確実に活用されるようにすることである。統計解析の専門的な知識や技術があることも大切であるが,それ以上に,各学部や部署等の教職員としっかりとコミュニケーションできることが重要となる。

IRの必要性の理解が学内で進まなかったり,学内の各学部や部署等からデータ提供を得られないといった状況は,③の層と各学部や部署等との信頼関係の欠如に起因する場合が多い。相互のコミュニケーションの量を増やし,データ分析の実績を小さくとも積み上げ,各学部や部署等のデータ分析要望に確実に応えることで,信頼関係を築くことにつながる。一方で,学生調査をはじめとする諸調査の設計や実施,統計解析等は,調査の目的が明確であれば,大学外の企業等にアウトソーシングすることも可能である。IRは目的ではなく,意思決定を支援する一つの手段でしかない。データ分析結果を形づくることよりも,データ分析結果を活用することのプライオリティが高いことを,誤解してはならない。

これからIRを導入する場合,IR部署の構成や権限の付与に時間をかけるのではなく,データや事実を確認しながら意思決定するという組織文化の醸成に,最も時間をかけるべきである。最初は,学内で共有しやすい問題に取り組み,その解決にIRを活用することで,IRの意義が浸透しやすくなる。

5. おわりに

以上,EMの概念や定義,EMとIRとの関わりとその大学マネジメントにおける重要性,加えて,山形大学EM部のIRに関する実践事例について報告し,IRをどのように大学マネジメントのPDCAサイクルに機能させるのかを論じた。

学生調査やデータ分析,その情報活用について付言すべきことは,情報には,定量的なデータの分析結果の他に,学生のインタビュー記録やアンケート調査での自由記述等の情報や教職員の経験則等の数値化に適さない定性的な情報の重要性である。これらの情報は,データ分析の解釈に厚みを加える上でも,分析の切り口に有用な示唆を与える意味でも,また,調査設計時の仮説を構築する上でも,極めて有用な情報であり,この活用で,数値主義の限界を突破することが可能となる。数字だけを過度に重視する姿勢や,専門家への依存状態や,前年度主義の上に学内議論が進むのであれば,それはマネジメント上,極めてリスクが高い状況とも言える。自分たちの学生や大学を最も深く知り抜くことができるのは,そこで実際に学生と向き合う教職員自身である。

大切なことは,自分たちの大学の学生を,そして,自分たちの大学自身を知り抜くための努力とそのための仕組みづくり,そして,自分たちの学生の価値の創造とその最大化を実現するための組織一体となった歩みを継続し続けることである。

執筆者略歴

福島 真司(ふくしま しんじ)

広島大学大学院,桜美林大学大学院,ビジネス・ブレイクスルー大学大学院修了。修士(教育学),修士(大学アドミニストレーション),MBA。

山陽女子短期大学助教授,宮崎国際大学助教授,鳥取大学准教授等を経て,2007年より現職。主な専門は,大学マネジメント,大学マーケティング,大学入学者選抜研究。2011年よりEMIR勉強会を主宰。

本文の注
注1)  山形大学エンロールメント・マネジメント室は,その後組織改編を経て,2011年4月より政策課,入試課の2課体制からなるエンロールメント・マネジメント部に昇格した。また,2014年4月からは,EM企画課,入試課,社会連携課の3課体制となっている。

注2)  学生募集や寄付募集の諸手法だけをマーケティング手法と考えるのであれば,米国で最初の大学であるハーバード大学では設立当初の1600年代から寄付募集などを行っていたが,ここでは科学的な調査分析等のマーケティング手法のことをさす。

注3)  高橋(2008)4)の訳による。

注4)  EM部が実施するアンケートは,現在,総合的学生情報データ分析システム内にあるアンケートシステムを中心にして実施している。紙でのアンケート調査に比較して回答率は下がる傾向にあるが,調査データのデジタル化に関するコストを下げるためと,自由記述の回答内容の質を上げるためである。なお,授業評価アンケートは他部署で実施しているため,紙でのアンケート調査を継続している。

注5)  2011年10月に工学部にて試行を開始したICチップを搭載した学生証による出欠情報収集は,2015年1月時点で394名の教員が利用するまで,利用拡大がなされている。また,1年生については,丸3日間連続で,全ての授業で出席が確認されない場合,自動的にアラートメールが学生課担当に送られる仕組みとなっており,休退学のリスクにつながる学生の早期の把握と適宜必要な指導につなげている。

注6)  分析モデルについては,多種多様なものが考えられるが,木村(2013)5)では,そのうちのいくつかを抜粋した上で,詳細に説明している。

参考文献
  • 1)   Maguire,  John. To the organized, go for students. Boston College Bridge Magazine. 1976, vol . 39, no. 1, p. 16-22.
  • 2)   Drucker,  Peter F. Management: Tasks, Responsibilities, Practices. Harper & Row. 1973. p.64.
  • 3)  独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律(平成十五年五月三十日法律第五十九号). 最終改正:平成二六年六月一三日法律第六九号. 第9条の2四項.
  • 4)   高橋 郁夫. マーケティング研究の今とこれから. 日本商業学会第58回全国大会報告要旨集. 2008. p. 11.
  • 5)   木村 誠. 学生生活と学びをデータベース化して効果的にサポート―山形大学のエンロールメント・マネジメント. 学研・進学情報. 2013. 9月号. p.6-9.
 
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