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デジタル副教材の社会的コスト:公的サービスとデジタル市場のギャップ
有田 正規
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2016 年 58 巻 10 号 p. 755-762

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著者抄録

義務教育や高校で利用するデジタル教科書(デジタル副教材)の開発が進む。参考にすべきは,企業に主導権を握られる形でデジタル化を進めた結果,コスト高にあえぐ学術情報の分野である。デジタル教材の導入は,学校間の格差を広げ,公教育とは呼べない状況を引き起こしかねない。見過ごされがちなのは,デジタル化による課金方法の変化である。紙の教科書は1度購入すればモノが手元に残る。しかしデジタル版はアクセス権維持やアップデートを通じて従来と違うコストが発生する。紙版とは異なる情報のリテラシーも必要になる。とりわけ参考になるのは公共図書館における電子書籍貸し出しや,大学図書館が契約する学術雑誌の電子ライブラリーの状況だ。いずれの場合もデジタル化を契機に価格が高騰した。紙の書籍ですら教科書の変更には労力が要る。教科書のデジタル化は長期的にどのような影響を及ぼすのか。維持コストや乗り換えコスト,リテラシーといった側面からも慎重な検討が必要だ。

1. デジタル教科書はよいことばかり?

文部科学省の資料によれば,デジタル教科書の定義は以下になる1)

「『デジタル機器や情報端末向けの教材のうち,既存の教科書の内容と,それを閲覧するためのソフトウェアに加え,編集,移動,追加,削除などの基本機能を備えるもの』であり,主に教員が電子黒板等により子どもたちに提示して指導するためのデジタル教科書と,主に子どもたちが個々の情報端末で学習するためのデジタル教科書に大別される」。

つまり,検定教科書だけでなく副教材も含んでいる。これら副教材のメリットは音声,動画,3Dなどのいわゆるマルチメディアであり,紙と対比させた学習効果がさまざまに議論されてきた。世界各国の政府や団体はおおむね推進の立場を取る2)。国内でも民間団体「デジタル教科書教材協議会(DiTT: Digital Textbook and Teaching)」のほかに,複数の団体が推進する。DiTTのWebサイトを見ると,幹事として名を連ねるのは,携帯電話を扱う通信大手やタブレット等を扱う電子機器メーカーだ。世界の教育市場は4兆ドルで,自動車産業よりも大きい3)。多くのIT企業が参画するのもうなずける。日本はこれから少子化時代を迎える。1人当たりの教育投資額は格段に増えるだろう。小中学校から個々の生徒にタブレット端末を導入する方針は,低迷が続く日本経済界にはありがたい話である。また教育をキーワードにIT企業とかかわれる文部科学省にもよい話である。そもそもデジタル化は教育の質や幅を広げるのだから,望ましい動きともいえる。しかし,教育効果や従来教育との整合性以外のことが,あまりに議論されていないのではないか。主にコストの観点から問題点を指摘したい。

2. 紙の書籍の価格はどう決まるか

書籍の価格は再販売価格維持制度(再販制度)によって一定に保たれている。これを定価という。普段は気にも留めないが,新聞や書籍の値段が全国で均一なのは驚くべきことである。価格が一定に保たれるのは,書籍・雑誌・新聞・音楽ソフトのメディア4品目,それにたばこらしい4)6)。メディア4品目が独占禁止法の例外措置となる理由は文化保護とある注1)。日本は国民1人当たりの書店数が米国の30倍7),書籍の市場規模(1人当たり売上高)が2倍8)もある。これは再販制度と委託(返品条件付取引)販売制度によるところが大きい。

書籍の定価は,直接の製造原価と発行部数に基づいている。たとえば,部数が少ない学術書は値段が高い。高い完成度のわりに学習辞書は安い。当たり前だが,価格決定には本の著者も関与する。作家たちは作品ごとに出版権という契約を出版社と結ぶ。そこで著作の定価,部数,印税率などが決まるため,出版社が一方的な価格設定をできない仕組みになっている。

初等中等教育の教科書にも定価がある。教科書は著者が匿名になっているが,文部科学省が定価の上限や出版社目録をインターネット上で公開している9)。たとえば,平成27(2015)年における中学校社会科で使う地図の価格上限は1,078円である。高等学校理科・化学の教科書は1,085円である。薄い新書1冊が同等価格のことを考えると,発行部数が多いぶん,教科書は安価である。

定価のおかげで,日本の出版界は多様性に満ちている。日本の出版市場に超大手はなく,上位39社でようやく市場の半分を占める10)。しかし,多様な出版物が共存することは自由競争が妨げられていることの裏返しでもある。書籍をディスカウント販売する米国では,小さな書店が生き残れない。米国ではBig 5と呼ばれる大手出版社(Hachette, HarperCollins, Macmillan, Simon & SchusterおよびPenguin Random House)が市場の2/3を占める11)。そのぶん図書館が充実し,市民社会に浸透している。

3. 電子書籍の価格はどう決まるか

紙の本と違い,電子書籍には流通コストや複製コストがない。売れ残りや古本という概念もない。定価という発想もなく,再販制度は適用されない。価格の決定は市場に任され,その方針は国・地域によっても異なる注2)。たとえば,米国Amazon社は紙版の半額に近いディスカウントを行う。しかし日本国内では紙版と大差ない価格が多い。

もともとAmazonや楽天,Appleといったネット販売業者は出版社から独立して価格を設定できる注3)。しかし現実は,出版元との関係維持も重要になる。したがって,ネット販売業者は自社のタブレット端末シェアを伸ばしつつ利益を最大化する価格を採用する。紙版が定価で売られる日本は,電子書籍だけを大きくディスカウントできないと思われる。

さらに各社はデジタル著作権管理(DRM)と呼ばれるプロテクト機能を電子書籍に付けている。AmazonのKindleで購入した電子書籍は,そのまま楽天のKoboやAppleのiPad/iPhoneで読むことはできないし,逆もそうである注4)。結果として,ユーザーが他社端末に切り替えると,それまでに購入した書籍を失う危機にさらされる。そのうえ購読者の多くは,個々の端末の寿命が数年であることをあまり認識していない。

まとめると,デジタルコンテンツの価格は原価の概念が希薄で,その時々の消費者の購買力に基づいて販売される。今の電子書籍が紙版より若干安いのは利用促進のためにすぎず,値段は自在に変化しうる。

紙の本は1度購入したら数十年は利用できる。しかし劣化しないはずのデジタル版は定期的に投資を必要とする。そのぶん,当面の価格は安くみえるかもしれない。しかし長期的には紙よりコストがかかる。具体的には,数年おきに情報端末を買い替えねばならない。また10年もすれば閲覧ソフト自体の変更も余儀なくされる。既存のメディア市場をみてもらいたい。Microsoft社がパソコンOSのWindows 10を無償で配布するのにWindows XPが多く残るのはなぜか。これまで購入したソフトウェアや周辺機器が新しいOSに対応しないからである。テレビのDVDレコーダー間で録画番組のコピーが制限されるのはなぜか。海賊版を防ぐという建前と同時に,他社機器への乗り換えを防ぐためでもある。デジタル化は便利な反面,コストも多くかかっている。

4. サービスとしてのデジタルコンテンツ

デジタルコンテンツである以上,テレビ,PC,スマートフォンのどれからもアクセスしたい。かといって自由にダウンロードさせると違法コピーが流通してしまう。このジレンマの解決策として主流となる販売モデルが「アズ・ア・サービス」である。期間限定でアクセス権の購入契約を結び,本人認証に基づいてさまざまな端末から自由に利用させる。この仕組みは音楽・映像配信サービス,コンピューターソフトウェアですでに普及している。いずれ電子書籍やデジタル副教材でも普及するだろう。しかし,この方式は図書館のような公共サービスとは相性が悪いことも明らかになりつつある。

まず市町村にある公共図書館を考えてみよう。図書館側は,アクセスできる書籍の総数が年間予算に依存しては困る。そのため,毎年の予算で電子書籍の永久アクセス権を購入したい。しかし出版社側は,それを無制限に貸し出されると困る。その結果(電子書籍の複製コストが無料であるにもかかわらず),貸し出しを1回につき1人とし,回数も限定するモデルに落ち着く11)。そしてアクセス権を管理する図書館向け貸し出しプラットフォーム(ソフトウェア)を導入する。そうすると,サービス自体がプラットフォーム依存になり,他社への切り替えが困難になる。プラットフォームを通じた個人情報や閲覧履歴の流出問題も発生する。こうした問題については参考文献11)のほか,佐賀県武雄市をはじめとするTSUTAYA図書館問題でのさまざまな意見が参考になる注5)

次に大学図書館を考えてみよう。大学図書館が契約する大手学術出版社は,電子ジャーナルの中身をPDF形式でダウンロードさせる。だからプラットフォームに依存せず,貸し出し制限もない。出版社がこれを許可できる理由は,図書館側が新刊だけでなく過去の全コンテンツを必要とするからである。それを見越した出版社側は,雑誌ごとの切り売りをせず,パッケージで提供する包括契約(ビッグディール契約)を図書館側に要求する。そうして年々購読料をつり上げることにより,シリアルズ・クライシスと呼ばれる図書館の破綻状況を招いている12)。価格高騰のために大手出版社の電子ジャーナルを契約できない大学が続出し,大学間の情報格差を引き起こしている。

それにもかかわらず,契約を続行できる大学図書館は電子ジャーナルへのアクセスを職員と学生に限定する。紙版の時代は,大学図書館を訪れれば誰でも学術雑誌を閲覧できた。しかし,電子化とともに大学図書館の公共性は失われた。この変化は新聞記者のようなメディア関係者や定年退官した教員をはじめ,科学に興味をもつ一般市民に大きな影響を及ぼしている注6)

デジタル化に由来するこうした確執は,米国では顕在化している11)。大手出版社が市場を寡占する一方で,図書館が市民社会に溶け込んでいるからだろう。しかし日本は電子書籍がこれから普及する段階にすぎない。また学術出版社の値上げに窮する大学図書館も,市民どころか学内にすらその窮状をアピールしきれていない。つまり国内には,デジタル出版が社会に与える影響について議論するのに十分な素地がない。そうした議論を経ないで導入されようとしているのが,義務教育や高校が利用するデジタル教科書なのである。

5. デジタル化に際しての検討事項

デジタル教科書には,学びの効果以外にさまざまな論点が付随する。ここでは筆者が思いつく点をいくつか挙げておきたい。

5.1 特定ハードウェア,教材とのロック・イン

デジタル化最大のメリットは3Dや動画などのマルチメディア化にある。そこで要求される高度な機能をタブレットで実現するには,どうしてもハードウェア依存の箇所が出てくるだろう。たとえばニンテンドー3DSは立体画面のゲームを楽しめるが,立体ゲームはこの端末でしか遊べない。このように必要技術が特定企業の特許に抵触したり,特定のデバイスにおいて実現しやすい場合,ハードウェアを事実上限定してしまう。つまり,ロック・イン注7)を引き起こす。だからといって使い古された技術だけで魅力的なマルチメディアを実現できるとは思えない。そして当然のことながら,教育事業に参画する企業側はロック・インを狙ってくる。予備校や学習塾などと連携する副教材も出てくるだろう。特定の教科書と相性のよい副教材や,学習塾と連携するぶん価格が抑えられた副教材が利用できる場合,その利便性や価格を学校側はどう判断すればよいのか。多様なコンテンツを共通のプラットフォームで公平に実現するための施策が必要ではないか。

5.2 小中学校における情報教育の策定

小学校からタブレットを使う場合,文字入力やメニュー操作など,情報リテラシーの基礎も授業に導入せざるをえないだろう。また対話型ソフトウェアが導入される場合,機械との対話と,人間との対話の違いも教えたほうがよい。教科書の内容とインターネット上の情報との比較も必要かもしれない。つまり学習指導要領の中に「情報」という項目を入れる必要が生じる13)。日本語の入力法1つをとっても,自分たちが利用するのは数あるうちの1つにすぎず,最適と呼ぶには程遠いという教育も重要だ注8)。つまりハードウェア同様,ソフトウェアに対するロック・インにも留意する必要がある。

5.3 教科書や副教材の価格

副教材のコストは保護者の負担となり,国が無償で支給するものではない。学校の指示に従って,保護者が半ば強制的に購入させられる。数年おきに交換が必要なタブレット端末のみならず,毎年改訂されるソフトウェアのコストも保護者が負担するのだろうか。絵の具や習字のセットなら上級生のお古を使えるかもしれない。しかしソフト・ハードウェアの場合,そうはいかない。利用中のものですら,不具合が見つかればアップデートが必要になる。PCや携帯電話でわかるように,デジタルコンテンツを維持するコストは決して安くない。

保護者が副教材コストを全額負担しない場合でも,税金などのかたちで一般社会が負担することに違いはない。社会が高いコストを払わされる事態を避ける良策はあるのだろうか。価格にはコンテンツの利用形態も影響する。たとえば,企業側が個人情報を自由に利用する代償に価格が安くなるかもしれない。また有名進学校にはディスカウントするなど,学校によって利用料が異なるかもしれない。それでも公教育と相いれるだろうか。

5.4 コンテンツアクセス権の範囲

デジタルコンテンツの利用料はアクセスする権利に対して支払う場合が多い。就学期間だけアクセス可能という条件で契約を結ぶ場合,転校生はどのように料金を支払うのか。通常の契約であれば,利用者都合で契約を中断する場合,払った金額は戻らない。そして翌日からコンテンツにアクセスできなくなる注9)

導入の検討段階においても,紙の教材であれば教員がパラパラめくって中身を概観できる。しかしデジタルの場合,学校や保護者が事前に中身を確認するのは極めて困難だ。よいところずくめのデモを営業担当者に見せられ,見掛けが安い契約料でスタートしてから次第に料金を上げられた場合,学校側はその契約から抜け出せるのか。保護者は更新内容をチェックできるのか。公共図書館や大学図書館の窮状をみる限り,簡単な解決法があるとは思えない。しかも副教材を巡る論争に発展するのは,学校と保護者の間であり,企業ではない。

6. おわりに

筆者は教科書のタブレット化やデジタル化に反対の立場ではない。デジタル化はアナログを補完し,教育の幅を広げる点で望ましい動きである。しかしデジタル教育についての確固とした指針や政策がないままに企業主導の方針決めを認めていると,そのコストは非常に高くつく。大学図書館の間に大きな情報格差が生まれたように,学校間の格差を広げ,公教育とは呼べない状況を引き起こさないか心配である。

たとえば筆者が所属する組織(大学院大学)では,某学術出版社が提供する文献データベースを長期トライアルとして3年間,半額以下で契約した。3年間も契約するとそれを使い慣れる研究者が増える。トライアル後は通常価格に戻り,毎年値上げもされる。しかし,図書館が契約を止めようとしても研究者の反対に遭う。そして,ずるずると高い料金を支払う羽目に陥っている。これは筆者の機関だけではない。世界中の大学図書館が直面する危機である。上述のロック・インはこうした状況を生みやすく,逆に企業側はこれを狙ってハード・ソフトウェアのサービスを売り込んでくる。

公教育である以上,デジタルコンテンツが自由にコピー・ペーストできる状態にあり,それらが自由研究や課外活動にも使えたら便利と思うのは筆者だけではあるまい。理想的には,クリエイティブ・コモンズライセンスのCC BY(情報源を明記すれば,営利目的も含め,自由に複製・再配布できる)のような形態で,企業も個人も自由に使えるべきではないか。しかしそうしたライセンシングは利潤を最大化したい企業の目標とは相いれない。また,検定教科書が無償公開されたとしても,それと密接に連携した副教材がコスト高であれば問題は解決しない注9)

公教育のデジタル化問題に責任をもって妥協点を見いだす組織はどこなのか。そもそも公教育をアズ・ア・サービス形式で実現できるのか。教育効果に関する議論は学会等でさまざまに行われる一方,デジタル化のコストやオープン化についての議論は足りていない。この文章を読んでくれた方々が,そうした議論に参加してくれることを期待する。

謝辞

JST知識基盤情報部の恒松直幸氏には,ロック・インやデジタルコンテンツ価格に関して,有益な助言や情報をいただきました。ここに謝意を記します。

執筆者略歴

  • 有田 正規(ありた まさのり)

1999年東京大学大学院理学系研究科情報科学専攻博士後期課程満期退学。同年博士(理学)。電子技術総合研究所と生命情報科学研究センター(経済産業省)を経て2003年より東京大学大学院新領域創成科学研究科情報生命科学専攻(助教授)。その後同大学理学系研究科生物化学専攻を経て2013年11月より現職(教授)。

本文の注
注1)  書籍や音楽といっても出版形態に依存する。たとえば同じ音楽でもCDは保護対象だが,DVDとして発行すると対象外になる。

注2)  日本では2015年1月に施行された著作権法の改正で,電子書籍も考慮した出版権が定められた。ここでは(著者ではなく)出版社による海賊版の差し止めや,インターネット配信を認めている(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1348813.htm)。出版権の詳細については経団連の政策提言がわかりやすい(https://www.keidanren.or.jp/policy/2013/016.html)。

注3)  電子書籍の価格を,ネット販売業者が設定するモデルをホールセール(卸売),出版元が設定するモデルをエージェンシー(代理店)モデルと呼ぶ。米国では代理店モデルが独占禁止法に違反する。

注4)  Amazonで購入した書籍はKindle無料アプリをダウンロードすればiPad/iPhoneでも読める。しかしiPad/iPhoneなどのiOS端末上のKindleからAmazon書籍の購入はできない。逆にiBooks StoreはApple製品でのみ利用できるソフトウェアである。iBooks Storeで購入した書籍をKindleで読むにはDRMを外さなくてはならない(各社のDRMを解除するソフトウェアはインターネット上で販売されている)。個人でDRMを外す行為が違法かどうか,筆者は知らない。また移行先の端末によっては,DRM解除だけでなく書籍データのフォーマット変換も必要になる。

注5)  TSUTAYA図書館は個人情報管理や公共性の観点で大きな問題を抱えている。「ツタヤ運営?市立図書館,情報保護策示さず 宮城」朝日新聞 2014年4月17日朝刊 宮城全県・1地方 http://book.asahi.com/booknews/update/2014042100001.html

注6)  実は大学図書館側が一般の来館者に対して電子ジャーナルを利用させる権利をもつ場合もあるらしい(東大図書館員との私信)。しかし,端末整備や大量ダウンロードへの警戒といった運用上の観点から,各大学は所属する職員と学生にしかアクセスさせていない。筆者の知るかぎり,来館者が自由に電子ジャーナルを利用できる大学図書館はない。国公立では国立国会図書館が可能である。

注7)  特定企業の製品やサービスを採用した結果,他社の同等品への乗り換えが困難になる状況をロック・インと呼ぶ。典型例がApple社の販売戦略である。たとえばiPhoneに加えてApple Watchなどの関連製品を利用し始めると,他社の携帯端末に乗り換えにくい。ロック・インすると企業側が価格の決定権を握るため,高コスト体質になる。

注8)  多くのスマートフォンは複数の入力法の中から選べるが,もっと便利な入力法が今後出てくるかもしれない。文字入力法の一覧は増井俊之氏のWebサイトに詳しい。http://www.pitecan.com/OpenPOBox/info/InputMethods.html(このサイトはChromeブラウザだと文字化けして見えるがIEやFirefoxでは閲覧できる)

注9)  佐賀県が好例に思われる。県教育委員会は2014年度より,すべての県立高校入学生に,指定のWindowsパソコンの購入を義務付けた(Microsoft Officeや電子辞書を搭載済み)。利用する教材のライセンス期間は1年,つまり進級と同時にアクセスできなくなる契約であった。ところが,「学校や生徒から『復習にも使いたい』『ソフトに保存したメモまで消えるのは納得いかない』などの声が上がっていた」(佐賀新聞2015年6月9日「『1年限定』高校タブレット教材,契約期間延長」より抜粋)ため,県教育委員会は教材メーカーと利用期間を延長する交渉を余儀なくされた。同記事は,契約した教材メーカー23社中16社が利用期間を「在学中」に延長し,購入費用は据え置きの1億数千万円としている。佐賀県の1~2学年の生徒は1万4,000人のため,年間のアクセス料は1人約1万円とわかる。

パソコン導入反対派の意見は,Web上のニュースサイト・ハンターで見られる(http://hunter-investigate.jp/news/2015/02/23-saga-pc.html)。2015年2月23日付 「佐賀県立高パソコン授業の惨状」によると,購入させられるタブレット端末(キーボード付属)は1台8万5,000円で,生徒負担額は5万円。タブレット端末をすでに持つ人も強制的に買わされている。県で使う6,579台を一括受注した学映システム(佐賀市)は「トラブルへの対応およびセキュリティ管理」も年間約8,800万円で請け負ったが,月々数百件のトラブル完了率は75%程度,つまり25%は月内に未解決とある。同サイトの別記事(2015年2月18日付「佐賀県立高パソコン授業の背景 業務委託契約で疑われる『官製談合』」)では,「先進的ICT利活用教育推進事業にかかるモデル指導資料作成等サポート業務」をベネッセコーポレーションが2億952万円で落札したとある。つまり端末代金や教材へのアクセス費用以外に,トラブル対応や教材利用のサポートに年間約3億円かかっている(1人当たり約2万円)。

しかし同スペックのタブレット端末を3年間保証付きで購入したら10万円以下にはならない。自分のPCが欲しかった生徒にはよい機会ともとれる(保証等の詳細は佐賀県のWebサイトhttp://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1018/_77455/_77607.htmlを参照)。問題の本質は,こうした施策が公教育としてふさわしいかどうか,そしてその費用対効果であろう。

参考文献
 
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