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この本!~おすすめします~
この本! おすすめします 応用情報学者の見た基礎情報学
中山 伸一
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2016 年 58 巻 12 号 p. 942-945

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私は誰かから「専門領域は何ですか」と聞かれたとき,「応用情報学です」と答えることにしている。実際には,情報化学,情報生化学,図書館情報学,知識科学,創造学,感性工学,認知心理学などの領域について少しずつかじっているにすぎないが,それを一言で表す言葉を考えた結果,応用情報学という言葉を思いついた(その当時(30年ほど前)は,あまり見かけない言葉であったが,現在は結構使われているようである)。出身は化学であるが,卒論や修論では有機合成,生化学,機器分析を専門とする複数の先生から指導を受けた。また,図書館情報大学では,人文・社会・理学・工学というあらゆる専門領域の教員の間で,いろいろな研究があることを経験した。そのためか,専門領域という意識が希薄なようである。

さて現在,縁あって情報メディア学会の会長を務めている。情報メディア学会も文理融合的な幅広い対象領域をもつ学会で,多彩な研究者が集まっている。昨年度までは事務局長を務めており,その時会長だったのが西垣通先生である。西垣先生は「基礎情報学」という看板を東大の研究室に掲げていたということで,面白い対比だとは思っていたが,残念ながら学会では事務的な話が中心で,学問談義に至ったことはなかった。

先日大学広報から,学内広報誌の企画として学長・副学長の対談のシリーズがあり,順番が回って来たので誰かと対談をせよ,というお達しがあった。そこで,この機会に基礎情報学の話をお聞きしようと思い,西垣先生にぜひにとお願いして対談(実際には私から西垣先生へのインタビューだが)が実現した。その際,少し先生の本を読んでおこうと手に取ったのが『スローネット:IT社会の新たなかたち』である。現状のインターネットをファストネットと扱い,その対比としてスローネットという考えを提唱している。用語からは転送速度の遅いネットワークの使い方を想像してしまうが,スローネットはネットを使う利用者の生き方を提案するものである。ファストフードに対するスローフードのアナロジーで,Googleに代表されるファストネットの利用が人間にとって果たしてよいことなのだろうかという疑問から生まれた造語である。この本の中ではファストネットの目的を,人類全てが同じ目的の下に同じ考え方ができるような環境を提供しようというものととらえている。そして,それがいかに危ういことであるかを説明したうえで,地域独自の文化やコミュニティーを大切にすることが重要であると主張している。

情報工学の研究者を出発点としながら,人文・社会学の研究者との交流により多様な視点を獲得した西垣先生の,軽妙で説得力のある本書の論考は,大変わかりやすい(対談で,先生の父上が文学の大学教員であり,もともと文系の素養があったことがわかり納得した)。そうだなあ,もっともだなあと思いつつあっという間に読み終えていた。現在私は副学長兼附属図書館長を務めており,大学運営にも深くかかわっている。本書の視点でみると,現在の大学は,さまざまな面でファストネットの考え方の下に活動が行われているようにみえる。スローネットの考え方を大学経営に生かす必要性を強く感じた。

『スローネット IT社会の新たなかたち』西垣通著 春秋社,2010年,1,700円(税別) http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-33306-8/

さて,対談では西垣先生が行っている最近の研究の方向性として集合知が話題になった。集合知とは多くのアマチュアのもつ知識を総合的にまとめた知識のことであり,専門家が深く研究を行って得た専門知と対比されるものである。集合知について書かれた西垣先生の著作としては,『集合知とは何か:ネット時代の「知」のゆくえ』と『ネット社会の「正義」とは何か:集合知と新しい民主主義』が連作のような位置付けである。

前書は冒頭で3.11の原発事故にふれながら専門家の専門知に対する不信が広がっていること(最近の研究不正もこれに拍車をかけているようであるが)を起点として,集合知の可能性とインターネットを使った集合知への期待が高まっていることを述べている。そして,その限界を示しつつも,基礎情報学と関係の深いネオサイバネティクスの考えが新たな知の潮流となりつつあることを主張している。さらに,ネット集合知の形成過程に関するシミュレーション結果を引用して,人間を閉鎖システムとして存続させることが社会のメリットとなることを示そうとしている。

後書はあとがきに前書の続編と位置付けることもできると述べているように,前半は『集合知とは何か』と似たような展開をとりつつ「ウエッブ2.0」,「一般意志2.0」,「民主主義2.0」をキーワードとして,集合知を再考している。そして後半では,正義とは何かという正解のないような命題を設定し,サンデルの白熱教室の事例等を使いながら,集合知を形成していくプロセスについて考察している。取り上げられた事例の解題やエピソードを紹介している文章は,小説も書いておられる西垣先生ならではで,それだけでもちょっと読みごたえのある短編小説のようである。

インターネットが普及した現代は多数決等によって手軽に集合知のようなものを得ることができるようになった。そのような集合知は,場合によっては専門家のもつ専門知よりも正しい,もしくは専門知では得られない知見を与える可能性があるというのが前書の主張だとするなら,後書では,正解が存在しないような課題に対して,集合知の果たす役割とその作成方法についての思索を行っている。これらの本は,『スローネット』に比べて若干読むのが困難である。関連する先行研究を検証しながら自らの主張を展開するという人社系の王道となっている論理展開を行っているため,大きな流れがとらえづらいのが要因かもしれない。逆にいえば,『スローネット』が主張を展開するのに直感的な論理を主として使っていたのに対し,集合知の主張の展開はいかに論理的に精緻に行うのかに重きが置かれている。

集合知に関するこれら2冊の本は,3.11の後に書かれたもので,領域を狭めた専門家のもつ専門知に対する警鐘が底流に流れているように感じられた。われわれ専門家が行っている研究は,知の探求が中心であり,新しいことがわかればそれでよいという側面を多分にもっており,昔はそれを社会が容認していた。一方,私が大学教員になったころから,「社会への説明責任」というキーワードが研究に対して与えられるようになり,社会への貢献や利便性の追求が研究目的の設定に必要になった。その結果,たとえば情報工学はインターネットやソーシャルネットワークサービスに代表されるように,社会構造や人間の生活様式を含めて,世の中を大きく変える役割を果たした。そのような中で「基礎情報学」は,情報工学が目指した社会への貢献や利便性によって変容した社会が,人間にどのような影響を与えるのかに立ち戻って考え,果たして人間は何を求めているのかを考究することが必要であることを提唱している。そして,人間の求めていることを明らかにするには,人間を生物としてとらえることから始まる,というのがネオサイバネティクスの考えのようである。

われわれは,情報をたくさん得られることがよいことであるというのを,何の疑問も感じずに納得している。しかし,それは果たして正しいのだろうか。生物としての人間にとって,よりよく生きるということを真面目に考え,それに向かってどのような研究を行っていく必要があるのかを考える基礎情報学は,道徳を科学するように大変困難なことである。応用情報学を唱える私は,そのようなことになるべくかかわらないよう,それぞれの応用領域で問題になっている事柄に情報(工)学の手段がどのように使えるのかを考えるのが精いっぱいである。しかし,これからの研究者は,何が人間にとってよい研究となりうるのかを考えることが重要になるであろう。基礎情報学の研究成果は,さまざまな研究領域で応用できそうである。本稿で取り上げた本を一読されると,皆さんの研究や仕事に対する考え方が少し変わるかもしれない。

『集合知とは何か ネット時代の「知」のゆくえ』西垣通著 中公新書,2013年,820円(税別) https://www.chuko.co.jp/shinsho/2013/02/102203.html
『ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義』西垣通著 株式会社KADOKAWA,2014年,1,700円(税別) http://www.kadokawa.co.jp/product/321406000033/

執筆者略歴

  • 中山 伸一(なかやま しんいち)

1956年生まれ。1981年埼玉大学理学研究科化学専攻修了後,(財)相模中央科学研究所研究員補。1982年図書館情報大学助手。2000年同大教授。2002年大学統合により筑波大学教授。図書館情報メディア研究科長,情報学群長を経て2012年より附属図書館長。2015年より副学長(学術情報担当)兼任。専門は応用情報学。

 
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