2015 Volume 58 Issue 2 Pages 135-138
日本の科学とサイエンス型産業とが,ともに沈みゆこうとしている。
飯嶋秀樹と私は,2004年を契機に物性物理学・物質科学・分子生物学の分野で日本からの学術論文数が単調に急減し,今もそれが続いていることを見いだした1)。半導体産業やバイオ産業に直結しているもっとも重要なこの3部門で,科学のアクティビティーが下がっているということだ。一体この原因は何だろうか。
思い当たる原因として,2つの可能性がある。1つは,これらの分野における科学者たちの論文生産性が下がったという可能性だ。この第1の可能性は,取りも直さず研究ができなくなって論文が書けなくなった科学者が増え始めたということになる。2004年といえば,大学法人化が始まった年なので,この頃から研究予算の重点配分が始まった。するとリサーチ・ユニバーシティーと見なされていない大学においては研究予算の大幅な縮小があり,研究ができなくなった,という推測だ。しかし,化学など他の分野では,この急減現象は見られないことから,この第1の可能性は考えにくい。
もう1つは,これらの分野において職業科学者の数が減り始めた,という可能性である。この第2の可能性を証明するには,博士後期課程の大学院生数の変遷を調べればよい。幸い物理学については,そのデータが存在し,たしかに1998年ころから物理学分野の大学院生の数が減り始めていることがわかった。分子生物学については,まだ定量的に調査できていないが,おそらくは同様の結果が得られると推測される。大学院生がプロの研究者になるための期間は,おおむね6~8年である。とすると,2004年ころから学術論文数が減少し始めたという事実をよく説明する。
では,なぜ物性物理学・物質科学や分子生物学の分野で特異的に博士後期課程の大学院生数が減り始めたのだろうか。それは,これらの分野で博士号を取り,職業科学者になっても未来への希望がもてないと,若者たちが考え始めたからではないだろうか。これについては,緻密なインタビュー調査をしなくてはならないものの,分子生物学の分野では,博士を取るとむしろ就職口がなくなる,とはよく耳にする。
この第2の可能性が正しければ,1990年代後半を契機として日本のエレクトロニクス企業や医薬品企業が一斉に中央研究所を縮小し,その結果,民間企業の科学者たちが書く論文数がつるべ落としに急減していった(つまり,民間企業の科学者がリストラされて研究できなくなった)2),3)いわゆる「中央研究所の時代の終焉(しゅうえん)」現象が,業態を超えて波及し,ついにその影響がアカデミアに及んだ,ということになる。だとすれば,企業が研究から撤退したことが,日本の産業競争力を急落させるとともに,科学の競争力まで落とさせていったという仮説が成立する。創造的な若者たちに創造の場を与えることこそが,国の責務である。日本という国が「沈みゆく船」になってしまったのは,1990年代の日本の産業政策の結果,その責務に思い至らず,無残にも創造的な若者たちがスポイルされていったためであると考えることができよう。
ならば米国でも同じ現象が起きなかったのは,なぜだろうか。むしろ米国では,1990年代以後,科学も産業もますます盛んになっていった。落ちぶれていったのは,日本だけだ。
というのも,「中央研究所の時代の終焉」現象は,米国発の現象だからである。最初に1990年にAT&Tベル研究所が研究から撤退することを決定。ほどなく1991年にIBMが研究から撤退を始めた。世界のイノベーションを牽引(けんいん)してきたこの2つの機関の動向が,世界中に波及した。それが「大企業中央研究所モデル」と呼ばれる20世紀イノベーション・モデルからの脱却であった。米国は,この20世紀イノベーション・モデルから脱却したのち,新しいモデルを獲得したに違いない。一体,そのイノベーション・モデルとは,どのようなものだろうか。
最初に,その結論を述べておこう。
米国は,1990年代初頭にこの20世紀型イノベーション・モデルから脱却したあと,開かれた「アメリカ合衆国中央研究所モデル」と名付けることができる新しいイノベーション・モデルを見つけ出した。それは,1982年に始めたSBIR(Small Business Innovation Research)プログラムと呼ばれる新しい制度設計に端を発する。この制度こそが,無名の若き科学者たちをイノベーターに仕立てることに成功した。その科学者たちこそが新しい産業を起こし,国を栄えさせたのである。
一方,同じように20世紀型イノベーション・モデルから脱却した日本は,この新しいイノベーション・モデルに移行することができずに漂流した。なぜか。それは,1999年にこの米国版SBIR制度をまねて日本版SBIR制度を開始したものの,米国版SBIR制度の思想的深淵をついに理解できなかったからである。その結果,日本版SBIR制度は,浅薄な思想のもと単なる従来型中小企業支援政策に成り果ててしまった。
なぜ米国版SBIRの思想的深淵を理解することができなかったのか。それは,本稿のタイトルにある「科学者とは何か」という問いへの答えの中に隠れている。私は2011年3月,東日本大震災直後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故をきっかけに,そのことに気づいた。そこで急ぎ,物理学者から数学者,哲学者に至るまで12名からなる超域分野(Trans-discipline)のチームを編成し,3年かけてこの謎を解き明かした。そしてその謎を解き明かすプロセスと謎の解答を,『イノベーション政策の科学-SBIRの評価と未来産業の創造』と題して,東京大学出版会から2015年3月に出版した4)。本稿の以下は,この書籍のダイジェストである。
米国版SBIR制度とは何か。その特徴をまとめておこう。
第1の特徴は,米国連邦政府の外部委託研究費(extramural research budget)の一定割合をスモール・ビジネスのために拠出することを義務づけている点である。この義務化によって,国防総省(Department of Defense: DoD),保健福祉省(Department of Health and Human Services: HHS),航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration: NASA),エネルギー省(Department of Energy: DoE),国立科学財団(National Science Foundation: NSF)など11の省庁は,外部委託研究予算の一定割合以上をSBIRに回さなければならない。その割合は,1997~2011年度までは2.5%。その後毎年0.1%ずつ上げられて,2015年度には2.9%となった。さらに2016年度には3.0%,2017年度以後は3.2%とすると定められている。
第2の特徴は,3段階の選抜方式で「賞金」(award)の授与者を決定するということである。第1段階(フェーズI)は,アイデアの実現可能性を探索するフェーズであって,競争率6倍程度で選抜された企業に対して最大15万ドルの「賞金」を約6か月~1年の期間で拠出する。第2段階(フェーズII)は,技術の商業化を試みるフェーズであって,競争率2倍程度で,フェーズIで良い評価を得た企業を選抜し,最大150万ドルの「賞金」を約2年の期間で拠出する。1社当たりの平均「賞金」額は2012年度においては約89万ドルであった。最後の第3段階(フェーズIII)は,実際に技術を商業化してイノベーションを成就させるフェーズであって,「賞金」はなく民間のベンチャー・キャピタル(VC)を紹介する。さらにDoDやDoEなどの場合は,生まれた新製品を各省庁が政府調達して,強制的に市場を創出する。「この世にないものをあらしめた」のだから,市場は存在しない。だから政府が市場を創りだしてSBIR被採択企業の成長のきっかけとしているという思想である。
すなわち米国版SBIRプログラムとは,連邦政府という名の「目利き力」の高いエンジェルにほかならない。米国は,このプログラムで,21世紀に入ってからは毎年1,500~2,000人に至る無名の科学者をベンチャー起業家に仕立ててきた。かくて,過去30年間で4万6,000社を超える技術ベンチャーが生まれ,ついに国家全体に開かれたイノベーション・エコシステムができあがった。それはポスト「大企業中央研究所モデル」として創られた「アメリカ合衆国中央研究所モデル」と呼ぶにふさわしい新たなイノベーション・モデルとなった。
対する日本は,中小企業技術革新制度(日本版SBIR制度)を1999年2月から施行した。当初は,5省庁(通商産業省,郵政省,科学技術庁,厚生労働省,農林水産省)がこの日本版SBIRに参加した。その後2000年度に環境省が参加し,2005年度に国土交通省が参加して,現在では7省(経済産業省,総務省,文部科学省,厚生労働省,農林水産省,環境省,国土交通省)が日本版SBIR制度に参加している。
この日本版SBIR制度の第1の特徴は,米国版SBIRとは異なって「政府の外部委託研究予算の一定割合をスモール・ビジネスのために拠出することを義務づけていない」という点である。法律で定められていないため,参加するかしないかは省庁の任意であって,その額は,2009年度こそ交付実績1,185億円と米国版SBIRに迫る勢いであるものの,通常は200~400億円程度と米国版SBIRの5分の1から10分の1である。しかもその実態は,すでに存在する補助金制度に後から「日本版SBIR」のレッテルを単に貼るにすぎない。したがって交付金は精算払いがほとんどで,会計検査院の検査も厳しいゆえ,米国のように「賞金」と呼ぶには程遠い。
第2の特徴は,やはり米国版SBIRとは異なって「多段階選抜制度ではない」という点である注1)。もとより大学で生まれた科学知を技術にまで昇華させ,それをもって新産業を創り出すという高邁(こうまい)な思想がないので,科学者をイノベーターにするための育成プロセスは存在しない。さらに政府による強制調達もなく,VCを紹介することもない。こうして日本版SBIRの被採択者は,ほとんどが既存の中小企業になってしまった。
第3の特徴は,解決すべき具体的課題(topic)が与えられないという点である。米国版SBIRにおいては,粒度の細かい具体的課題が出される。たとえば,「超高温で作動するセラミックのマイクロ波プロセッサーを創れ」であるとか,「樹林地帯におけるRFセンシング・トラッキングを創れ」,さらには「光スイッチを用いたイオンチャネル創薬を発見せよ」など。それは,今この世にないものをあらしめるべく挑戦せよという指令だ。科学行政官のミッションは,そのような未来産業創造に向かうべき課題をつくり,それを申請者に提示することである。しかし日本では,グリーン・イノベーションに資すること,という枠組みは提示されても,具体的課題は提示されない。そもそも未来の産業を創るような課題を思いつく「目利き力」が行政側に存在しない。科学行政官制度がないからである。
こうして結局のところ日本版SBIRは,米国版SBIRとは似て非なるものになってしまった。そもそも米国版SBIRとは異なり,日本版SBIRに採択されても名誉にはならない。実のある効果を伴わないので,話題にもならない。採択する側もされた側も,膨大な事務負担を伴う形式的で意味の乏しい施策になってしまった。
(次回[2015年9月号]に続く)
京都大学大学院 総合生存学館(思修館)教授。1955年,福岡市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了,理学博士(東京大学)。米国ノートルダム大学客員研究員,NTT基礎研究所主幹研究員,仏国IMRA Europe招聘研究員,経団連21世紀政策研究所研究主幹,同志社大学大学院教授,英国ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローなどを経て,2014年より現職。