2015 年 58 巻 3 号 p. 193-203
インターネット時代における灰色文献の動向について,灰色文献の定義の変容,灰色文献資源の政策策定に関するピサ宣言の2つの視点を中心に,さまざまな角度から考察する。まず,灰色文献の定義について整理する。次に,定義に関連して,インターネット時代における灰色文献の現状や課題について触れる。最後に,2014年に公表された,灰色文献資源の政策策定に関するピサ宣言を取り上げ,灰色文献をめぐる最新の動向について紹介する。
2014年12月に米国議会図書館で開催された第16回灰色文献国際会議の中で,イタリア上級衛生協会のPaola De Castroは,灰色文献を次のように言い表した。
「『灰色文献』は,出版物のシンデレラのような存在。価値があるのに,灰をかぶっている」
この灰かぶりというフレーズは,価値があることはわかっていてもそれ自身を見つけることが困難であるという,灰色文献の特性をうまく表現している。しかし,なぜ今でも灰色文献は,シンデレラのような存在としてとらえられているのだろうか。
今日,情報環境の変化により,多種多様な資料や情報がインターネット上に公開されるようになった。しかし,灰色文献という存在は今も消えてはいない。むしろデジタル環境の進展は,灰色文献の範疇(はんちゅう)を広げ,さらなる灰色文献を生み出し続けている。
筆者が2010年に「灰色文献をめぐる動向:灰色文献国際会議の議論を中心に」1)というテーマで,灰色文献を取り巻く状況を本誌で紹介してから5年の歳月が流れた。インターネットの普及,電子化の加速,オープンアクセスの隆盛,そしてさまざまな技術革新は,灰色文献にアクセスする環境にも大きな変化をもたらしている。
そこで本稿では,インターネット時代の灰色文献というテーマのもと,灰色文献の定義が変容していく過程,灰色文献資源の政策策定に関するピサ宣言を中心に,灰色文献を取り巻く最新の動きを紹介する。
灰色文献という言葉が最初に使われたのは,1970年に刊行されたドイツ語文献の“Graue Literatur”2)であるとされる。しかし,灰色文献関連の論文によっては,1976年のLibrary and Information Science Abstracts3),4)が文献上の初出として引用される場合もある注1)。
1970年以前は,テクニカル・レポート,会議録,学位論文など,個々の資料形態名で呼ばれていた。入手や流通の側面から,非市販資料(Non-conventional Literature),入手困難資料(Hard-to-get Literature),一過性資料(ephemera)注2),5)といわれることもあったが,当時は定義化はされていなかった。
“Grey Literature”という言葉が広く使われるきっかけとなったのは,1978年12月に英国のヨークで開催された,灰色文献に関するヨークセミナー(以下,ヨークセミナー)であるといわれている6)~8)。欧州ではその後,灰色文献という言葉が浸透していくが,米国では従来の呼び名であったテクニカル・レポートが一般的に使用されていた9)。
灰色文献に関する概念や定義は数多く存在している注3)。その背景には,長らく共通認識が得られた灰色文献の定義が存在しなかったため,灰色文献を論じるとき,個々人がそのときどきに応じて特徴や概念を定義してきたことが要因の1つとしてあげられる。この状況が,灰色文献の定義をより複雑なものにしてきたといってもよいだろう。
灰色文献の定義が,初めて国際的な場で定まるのは,1978年のヨークセミナーである(定義1)7),8)(表1参照,以降,定義のまとめは表1をつど参照)。灰色文献の定義を語るうえでヨークセミナーが重要視されるのは,定義困難とされた灰色文献を定義し,欧州共同体(European Community: EC)加盟国間でその定義に対して共通認識が得られた点にある10)。さらに,灰色文献と非市販資料はほぼ同じ意味という点,また定義上には明示されていないが「下書き文書は含まれない」という点についても共通認識が得られている。これにより,EC加盟国間だけではあるが,テクニカル・レポートや会議録などの資料群が,共通認識のもと同じ枠組みの中でとらえられるようになっていく。
ヨークセミナーから4年後の1982年,英国ロンドンでAslib Conferenceが開催される。この会議では,灰色文献の定義そのものについて議論はされなかったが,灰色文献と非市販資料は同じものであることが主張された10)。すなわち,非市販資料,入手困難な資料,一過性資料という呼称がある中,非市販資料と灰色文献が共通であるという点が強調されたことにより,商業出版ルートに乗るかどうかが灰色文献の特性であることがより具体的に示されたと考えることができる。この商業出版ルートという視点は,その後の定義にも大きく影響を与えていくことになる。
1995年,米国の省庁横断灰色文献ワーキング・グループ(Interagency Gray Literature Working Group: IGLWG)は,米国内のオープンソースを検討するにあたり,灰色文献と灰色文献以外の資料を区別するために,灰色文献を定義した(定義2)注4),11),12)。定義2では「国内外の公表された資料」という文言が入り,公開されたものが原則で,非公開資料や機密の情報は含まないという点が明文化された。これによって,商業出版ルート以外で刊行された資料であっても,非公開の資料は灰色文献には含まれないことが具体的に示された。
これらの(1)商業出版ルートの有無,(2)公表された資料(下書き文書を含まない)という2点が,この後1997年以降,灰色文献国際会議の中で長きにわたって検討されていく定義をめぐる議論の下地となっていく。
定義 | 開催年 | 会議名 | 開催地 | 定義名 | 灰色文献の定義 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1978年 | 灰色文献に関するヨークセミナー | 英国(ヨーク) | ヨークセミナー定義7) | 通常の出版ルートを通じて刊行されない資料。そのため,入手が困難。 |
2 | 1995年*1) | - | 米国の省庁横断灰色文献ワーキング・グループ(IGLWG)定義11) | 国内外の公表された資料で,通常,特別なルートを通じてしか入手できないもの。もしくは,正規のルートに乗らないもの,出版,販売,書誌コントロールがされないもの,取次や書店を通じての入手も困難であるとされるもの。 | |
3 | 1997年 | 第3回灰色文献国際会議(GL3) | ルクセンブルク (ルクセンブルク) |
ルクセンブルク定義13) | 紙や電子フォーマットで,政府,大学,ビジネス,産業のあらゆるレベルにおいて生み出されるもので,商業出版社によってコントロールされない。 |
4 | 2004年 | 第6回灰色文献国際会議(GL6) | 米国 (ニューヨーク) |
ニューヨーク・ルクセンブルク定義13) | 紙や電子フォーマットで,政府,大学,ビジネス,産業のあらゆるレベルにおいて生み出されるもので,商業出版社によってコントロールされない。すなわち,主たる活動が出版を本業としない組織によってコントロールされている*2)。 |
5 | 2010年頃 | - | - | ニューヨーク・ルクセンブルク定義+α*3),21) | 電子フォーマットや紙で,政府,大学,ビジネス,産業のあらゆるレベルにおいて生み出される情報で,商業出版社によってコントロールされない。すなわち,主たる活動が出版を本業としない組織によってコントロールされている。 |
6 | 2010年 | 第12回灰色文献国際会議(GL12) | チェコ(プラハ) | プラハ定義13) | 知的財産権により保護された紙や電子のフォーマットで,政府,大学,ビジネス,産業のあらゆるレベルにおいて生み出される多様なドキュメント形態で,図書館所蔵や機関リポジトリで収集,保存される十分な質をもつものを表す。しかし,商業出版社によってコントロールされているのではない。主たる活動が出版を本業としない組織によってコントロールされている。 |
*1)ワーキング・グループの検討のみで,国際会議は開催していないため,出版年を表示している。
*2)2004年の会議で追加された部分に筆者が下線を追記。
*3)2010年頃からGreyNetのWebサイトに掲載。ニューヨーク・ルクセンブルク定義と区別するために筆者が「+α」を追記。
1997年ころを境に,インターネットの急速な普及や情報の電子化が加速し始めると,情報を伝える媒体や流通方法などにも変化が現れる。その流れは,灰色文献やその定義にも大きく影響を与えるようになっていく。
1997年,灰色文献に関する国際的なネットワーク“GreyNet(Grey Literature Network Service)”は,第3回灰色文献国際会議(GL3)で,灰色文献の定義(定義3)を新たに提唱した。定義3は,開催された地名から,ルクセンブルク定義とも呼ばれる。定義1がEC加盟国間,定義2が米国内での議論が中心となって定めた経緯があるのに対し,定義3はより国際的なレベルで初めて定義された点が最大の特徴といえる。定義3は追加や改定の議論を経るが,その後の定義の枠組みの根幹として位置づけられている。
GL3から7年後の第6回灰色文献国際会議(GL6)において,定義3に「主たる活動が出版を本業としない組織によってコントロールされている」という一文が追加された。この定義は,会議開催地のニューヨークの地名から,ニューヨーク・ルクセンブルク定義(定義4)13)と呼ばれる。
定義4をもとにさらに修正したものに,ニューヨーク・ルクセンブルク定義(+α)(定義5)がある。定義5はプラハ定義の提唱のころまでGreyNetのWebサイトに掲載されていた。定義5がニューヨーク・ルクセンブルク定義という名前で引用される場合もある14)。
定義5の特徴は,インターネットの普及や電子化の加速に伴い,定義内で用いられる表現が「モノ」から「情報」に変化し,「電子フォーマット」の文言が紙より優先して先に表示されるなど,資料という形態から,情報という視点に重きが移った点にある。その結果,定義5に照らし合わせると100種類を超えるものが灰色文献に含まれる状況となった15)。
3.3 プラハ定義と質的側面フランスのリール第3大学のJoachim Schöpfelは,定義4の課題として,(1)定義が広範すぎること,(2)灰色文献の流通経路である商業出版ルートという経済的側面に重きが置かれていたこと,(3)インターネット上で刊行された灰色文献とそれ以外の文献の区別が行われていない,など技術が進歩する中での灰色文献の本質的な特性に関する視点の欠如等を課題として指摘した14)。そして,(1)灰色文献の形態の側面,(2)知的財産権などの法的性質の側面,(3)灰色文献の品質の側面,(4)図書館と図書館員の役割の4点を定義4に追加し,2010年の第12回灰色文献国際会議(GL12)においてプラハ定義(定義6)を提唱した14)。
定義6は,多種多様となってしまった灰色文献を区分し,より明確なものとしていくために,複数の視点が盛り込まれた。そして,あらゆるドキュメントが灰色文献となりえても,そこには一定の質を求めることとし,その尺度の1つとして図書館や機関リポジトリの収集,保存対象となりうる点が盛り込まれた。
しかし,何をもって図書館やリポジトリが収集対象となるかは,一概には言えない。報告書の形態をとっていても中身がない場合もあれば,1枚もののリーフレットであってもそれが貴重な資料であるかもしれない。定義6で灰色文献を分けようとするなら,今後ますます灰色文献の質を図る尺度については議論が必要になると思われる。その一方で,定義の中に図書館が位置づけられたことは,灰色文献の収集,整 理,提供,保存といった関係の中において,これまで以上に図書館や図書館員が 担うべき役割が重要になりつつあるといえるだろう。
2012年の第13回灰色文献国際会議(GL13)において著作権法などの知的財産の視点を中心に再度定義6に関する議論が行われた16)。しかし,米国の参加者が法制度が異なるため米国等他国に適用できないと異議を唱え継続審議となった17)。現在,定義6はまだ共通認識を得られないまま継続審議の状態となっている。
インターネット上で数多くの情報や資料が公開されることにより,灰色文献のアクセス環境は改善されると思われた。たとえば,従来は冊子体のみで作成され資料交換の目的で特定機関だけに配布されていたテクニカル・レポートは近年では発行元機関のWebサイトからフルテキストを閲覧できるようになり,会議録も会議のサイトなどに掲載されることも増え,紀要や学位論文も大学の機関リポジトリに登載されるようになりつつある。
灰色文献の定義では,定義1と2では明確にうたわれていた「入手が困難」という言葉がなくなり,定義3以降では「電子フォーマット」という言葉が含まれるようになったことに象徴されるように,全文情報へ到達する可能性は格段に増したように思える。
しかし,インターネット上にある情報は,電子化された全文情報がインターネット上で閲覧やダウンロードができる状態にあるだけで,恒久的なアクセスが保証されているわけではない。提供側の都合による公開の取りやめやリンク切れが原因で,突然その情報源へアクセスができなくなる可能性もはらんでいるなど,情報の保存や流通の面においては課題が数多く存在している。
筆者は,拙稿において,灰色文献の定義が国際的に明確化されていく中で,世界中至るところで生み出される資料や情報が,灰色文献に区分される可能性を述べたが18),この状況はより拡大しているといえるだろう。これは,インターネット上の灰色文献とは何かという点について十分な議論がなされなかったためであると考える。しかし,爆発的にインターネットが普及し,電子化が進む当時の状況下で,その全体像やその後の進展を予測することは困難だったのは確かだろう。しかし,結果としてその状況でインターネット上の情報までも視野に入れ,定義5の中で「あらゆる情報」を対象としたことが,灰色文献の範囲が拡大し,より曖昧(あいまい)なものとなってしまった要因ではないだろうか。定義6を提唱する際のSchöpfelの指摘にもあるように,インターネット上で刊行された灰色文献についての区別がいまだ十分に行われていない点が,大きな課題であることは間違いないだろう。
また,筆者は,灰色文献となりうる状況は,(1)「商業出版ルートに乗らない」ため「入手が困難」な文献であることが前提,(2)存在しているにもかかわらず種々の理由で全文情報にたどり着くことができない「結果的に入手が困難」な文献という側面,という2段階の解釈が存在することを述べた19)。
近年のオープンアクセスの隆盛注5),20),セマンティックWebなどの技術革新,オープンメタデータなどの書誌情報の標準化は,今後さらに灰色文献を取り巻く環境にも大きな影響をもたらすだろう。すなわち,全文情報にたどり着ける可能性とともに,メタデータの整備やデータベースの活用により灰色文献自体の存在を知る機会はますます増加していくものと思われる。それゆえに,今後はアーカイブしてどのように保存していくかといった,恒久的なアクセスを保証することが課題となるだろう。
従来の灰色文献の議論は,収集,整理,提供の視点が主で,中には作成機関における事例紹介的なものもあったが,多くの場合はすでに作成された灰色文献をどのように扱うかという受動的な視点が多かったように思われる。
2014年5月16日,GreyNetは「灰色文献資源の政策策定に関するピサ宣言(Pisa Declaration on Policy Development for Grey Literature Resources)」(以下,ピサ宣言)(資料1参照注6))を公表した。ピサ宣言は,図書館情報学分野における,過去数十年にわたり蓄積され続けてきた知見をもとに灰色文献に関する今後の目標や取り組むべき事柄を示したロードマップである。そして,地域,国,国際社会が,灰色文献の恩恵を最大限に受けられるよう,灰色文献の価値や重要性を,政府や学術界,利害関係者に向かって訴えかけていくものである。2015年5月13日現在,28か国,107機関の126人がピサ宣言に署名している注6)。
すなわち,ピサ宣言は,灰色文献を作成する側に対して働き掛けを行っていこうという意思を示したものであり,より主体的な動きであるととらえることができる。
ピサ宣言が取りまとめられるまでには,次のような経緯があった。2013年10月,フランスのナンシーにおいて,イタリアの国立研究議会情報科学技術研究所(以下,ISTI-CNR),フランスの国立科学研究センター/国立科学技術情報研究所(以下,INIST-CNRS),欧州連合(EU)のOpenAIRE(EUにおけるオープンアクセス推進のネットワーク)およびGreyNetの代表者が集まり会議が行われた。
会議では,灰色文献の資源,コレクション,サービス,そしてこれらを登載しているリポジトリ間のさらなる連携を目指すため,作業委員会の設置が検討され,GreyNetの中に,INIST-CNRSのHerbert Gruttemeier国際関係部長を委員長とする資源政策委員会(PRC)の設置が決まった。
PRCの最初の活動は,2014年春にイタリアのピサで,オープンアクセス,オープンデータ,オープンスタンダード,オープンサイエンス等の観点から,灰色文献と政策展開に焦点を絞ったセミナーを開催することであった。
2014年4月7日,イタリアのピサにおけるGreyForum3.1では「灰色文献と政策展開:ピサ宣言」のセミナーがISTI-CNR,NIST-CNRS,OpenAIREおよびGreyNetの主催により開催された。
灰色文献の政策策定では,出版社,図書館員,アーキビスト,さらに,灰色文献リソースの生産や管理に関係する政府,大学,ビジネスおよび産業界の情報専門家が対象となる。会議の前半は,オープンアクセス,オープンデータ,オープンスタンダード,オープンサイエンスに関する課題を明確化させるため,オーストリア,フランス,ギリシャ,イタリア,オランダ,ポーランドおよびイギリスの招待講演者による講演が行われた。後半は,ピサ宣言のドラフトが提示され,灰色文献リソース,コレクション,サービスに関する説明と,ピサ宣言に関する議論が行われ内容が確定した。
2014年12月のポスター発表においてピサ宣言が紹介された。さらに,同会議の発表の中で,イタリア上級衛生協会のPaola De Castroは,「灰色文献とは失われた知識の一部」と前置きし,ピサ宣言をもとに公開された灰色文献は質が高く,誰でも利用できるものを目指すためにも,灰色文献のオープンアクセスに向け,取り組んでいくことの必要性,より戦略的にデータベースを構築していくことの重要性を述べた。
ピサ宣言は,日本語,イタリア語,韓国語,ロシア語,ブルガリア語,クロアチア語,マケドニア語などに翻訳され,15言語で閲覧が可能となっている。「灰色文献の新しい波の中で,言語は障壁ではない」という言葉とともに,多言語化され,より一層の普及が図られている注6),注7)。
急速なインターネットの普及,電子化の加速,オープンアクセスの隆盛,セマンティックWebなどの技術革新,オープンメタデータなどの書誌情報の標準化等など,本稿では,このような表現を何度も使用してきた。
1990年代後半からの約20年の間に,私たちを取り巻く情報環境は大きく変わった。それは,灰色文献の世界でも同じことであった。時代の潮流に乗るなら,今後はますます技術革新や人が処理できるレベルをはるかに超えた情報の増加が起こり,灰色文献もその波に乗り翻弄されていくのかもしれない。
そのようなとき,あらためて「灰色文献とは何か?」という議論に立ち返ることが必要になるのではないかと筆者は考える。本稿で灰色文献の定義を詳細に述べてきたのは,灰色文献とは何か? を考えるうえで根幹となるものが定義であり,定義が今後を示す道標になると考えるからである。
そして,ピサ宣言は灰色文献の世界における新たな一歩である。その一歩を踏み出したことが,灰色文献の在りように今後どのような影響をもたらしていくのか,価値があるのに灰をかぶっているシンデレラの「ガラスの靴」のような存在になりうるのか,その動向に注目していきたい。
最後に,第17回灰色文献国際会議は,2015年12月1日(火)~2日(水)に,オランダ・アムステルダムのオランダ王立芸術科学アカデミーで「テキストおよび非テキスト灰色文献のニューウェーブ」というテーマで開催される。
図書館情報大学大学院博士前期課程修了。修士(図書館情報学)。2004年日本原子力研究所に入所。2005年10月改組により日本原子力研究開発機構所属となり,現在に至る。2014年の第16回灰色文献国際会議においてGreyNet Award 2014を受賞。専門は灰色文献,感情労働。