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展望
変革に応える柔軟で強靱(きょうじん)な社会
大竹 暁
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2015 年 58 巻 4 号 p. 245-249

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オープンサイエンスに応じて

本誌6月号(vol. 58 no. 3)注1)ではオープンサイエンスの時代に,オープンデータを中心に科学の手法が大きく変わる可能性を秘めており,科学コミュニティーに積極的な対応と変化が必要であると述べた。しかし,科学コミュニティーだけではなく,社会や人々と科学の関係にも変化が求められ,再び科学コミュニティーを巻き込んだ大変革が起こると考えている。

まず,オープン化が否応なく迫る中で,この事態に対応するだけでなく,積極的に活用することが不可欠であり,国,企業,科学コミュニティー,科学者には明確な戦略とそれを実現する戦術が必要となる。先にも述べたとおり,科学の成果が今後の各国や地域の将来を左右するものとみて力を注いでいる。そのような中で,戦略のないオープン化への対応は,わが国としても大きな負の影響となりかねない。公的な助成のもとで行った研究開発の成果は国や社会のものであり,社会や人々にオープンにされるべきという考え方は正論ではあるが,もとは社会や人々からの税金により賄われたものであり,まず第一に社会や人々に還元されるべきである。

したがって,オープン化を目指しつつも,たとえば,わが国の競争力を強化するには,知的財産権にかかわるもの,ないしは今後の実用化等にかかわるものは,何でもオープンということにはあたらない。特に,企業ではデータそのものはもとより,どのような物質や対象を扱っているのかということを明かすだけで,競争に差し障る場合もあるという。また,個人情報などプライバシーにかかわるもの,国の安全保障にかかわるもの,社会の安全を脅かすもの,また研究の先手を取るものなどはルールを決めて非公開にする,公開までの時間を定める,等の対応が必要となる。加えて,科学分野によってはデータの内容に大きな違いがあり,データの公開が技術的にも難しい場合もある。たとえば,素粒子実験や天文学,ヒトの遺伝子情報等はデータの共有がある程度進みつつあるが,それ以外の分野も多数存在し,コミュニティーの理解を得ながら進めなければならない。オープン化が進む欧州でも研究助成機関の関係者はその点の難しさを強調している。

また,各国も自らの国益を考え,戦略としてオープン化に際し,さらに他国のデータをもいかに利用するかで対応してくると予想される。わが国も世界のどのようなデータを活用してイノベーションに結び付けるか,戦略と戦術が必要となる。

かつて,日本が高度成長を達成した時期に,貿易や経済の協議の中で,何がその背景にあったかを明らかにすべく,日本語で書かれた論文や企業の技報などを英訳して提供するように求められた。オープンサイエンスで,たとえば米国は世界をリードする医科学分野では豊富なデータと世界中のデータを合わせて,より効率的な研究開発を推進しようとしたり,わが国が得意とする材料分野でトップに立つべくマテリアルゲノムプロジェクトを開始したりした。今やわが国にもこのようなしたたかさが求められる。

特に,政府には,単純にオープン化を推し進めるのではなく,これらの状況をよく踏まえた舵(かじ)取りを求めたい。難しいことだが,どのようなデータを公開するか,あるいは公開しないか,時期を待つのか等,きめ細かに対応し,さりとて「鎖国」するのではなくオープン化できるものについては公開しつつ,他方世界からはどのようなデータを獲得し活用するかを決めていかなければならない。国内では,考慮すべき合理的な事情をよく理解して対処しなければ,オープン化に対する社会の協力は得られないだろう。前回も述べた関係者間の国際的な共通指針の構築への関与とともに,わが国としてのオープン化への戦略に基づいた主張をまとめ,大きな流れを作っていくことが求められる。

オープンサイエンス時代の科学への関与者

今日までの科学の進め方は,科学者が仮説を立て,それに基づき実験でデータを収集し,その結果を論文にまとめることが基本であった。その結果が,人類共通の知見となり,実用化や社会への実装等により,社会や人々に還元されてきた。つまり,科学の営みは専門家である科学者が担い,社会や人々はその成果を享受してきた。

オープンサイエンスの時代には,科学論文のオープンアクセスや今後さらに進むとみられるオープンデータは,条件付きではあるが専門家ではない人々でも,最新の科学的知見に接することができる。わが国をみれば,人々の科学への関心は高く,また,教育水準も高いので,人々が科学を理解し,自らも何らかの科学活動を行う力を有している。想像力をたくましくすれば,人々がオープンとなった情報やデータを使って,自らが研究を行うことが想定されるが,あながち現実性がないわけではない。その先駆けとなる事例もある。

人々が研究に積極的にかかわる例としては,鳥類や昆虫の分布,気候変動などを一般の人々が観察・観測し,その情報がある分野の科学を進展させるものがある。いわゆるシチズン・サイエンスの典型的な例である。また,高校生による最先端の科学への挑戦としては,数年前,高エネルギー加速器研究機構がBファクトリー注2)と呼ばれる素粒子実験のデータを高校生に公開して,さまざまな現象の解明を促し,一定レベル以上の研究がなされた。このときは特定の研究所のデータが社会の一部の人々に提供されたが,今後さまざまなデータが公開されて一般の人々が「研究」を行うことになりそうである。

また,自ら研究しないまでも,さまざまな公開情報をもとに,科学の方向性や何を研究すべきかについて,社会や人々が具体的な提案をすることは起こりうる。

となれば,もはや科学の関与者(ステークホルダー)は専門家だけではなく,濃淡の差はあれ,社会の中に広がっていくと考えられる。

分野を超え,社会に広がる科学

ここで,少し話を変えて,科学そのものの変化について考える。

オープンサイエンスの進展とともに科学の進め方が変わりつつあることは前述したが,科学の「分野」も変化しつつある。近代科学は,数学,物理学,化学,生物学等の学問分野ごとに自然に対する課題を設定して,それに合理的な説明を行い,主として知識の蓄積を行ってきた。それが産業革命とともに,実世界の便宜を実現する技術との相互関係が強くなり,科学と技術は互いの発展に欠かせないものとなってきた。特に,欧米の近代化が急速に進んだ時期に鎖国していた日本は,明治になって早急な近代化が課題となった。今から西欧の近代科学の数百年の道のりをたどっていては間に合わない。そこで日本は,工部大学校に代表される「工学部」を創り出し,その後「科学技術」という言葉を創り出し,近代化を推し進めたとされる。ただし,それは近代化に必要な知識のつまみ食いではなく,工学という学問分野を形成するものであり,それまでの科学の考え方を十分に踏まえたものだといえる。それでありながら理学とは対照的に,自然の謎を解明することを目的とするのではなく,実社会の課題を解決することを目的として発展してきた。

鎖国の時代と第二次世界大戦敗戦という大きなハンディを抱えながら,日本が驚異の発展を遂げ,明治維新から100年余を経た1980年代には米国をして“Japan as number one”と言わしめた原動力の1つは工学ではないかと考えている。今日的にいえば,工学はまさに課題解決型の科学ということができる。

それでは,現在の日本の工学はどうだろうか。ここで苦言を呈すれば,多くの大学でインパクト・ファクター(IF)の高い科学雑誌への投稿に力点が置かれていると聞く。350年前に英国王立協会が科学雑誌を刊行して以来,学問は科学的な成果を論文としてまとめてきたが,本来の工学の目的は果たしてそれが唯一もしくは第一の目的だろうか。それでは理学と変わらなくなる。工学は実社会の課題の解決を目指してこそ本領を発揮すると考える。

さらに,この100年で工学は学問分野として確立された。一方,社会の課題は時代とともに変化する。だから工学も変化しないと社会の課題の解決はできなくなる。現在の社会の課題は,これまでの1つの学問分野で解決できるものは少なくなりつつある。地球温暖化など地球規模の問題や新しい物質の創成とその安全な活用などは単一の学問では対処できない。だが,確立された学問分野,大学の学科は容易に変わらない。たとえば,材料を考えれば,今日はナノテクノロジーを活用して原子・分子レベルで新しい機能を有する物質を生み出す時代だが,大学の講座は金属工学であったり化学工学であったりと個別の学問分野に分かれている。これまでの工学の分野の境界だけでなく,工学と他の分野,たとえば,生物や医学などの境界も超えた取り組みが求められている。さらには社会的な課題を扱うのだから,自然科学の分野だけではなく,社会の仕組みや人間の内面に迫る人文学や社会科学が加わることも不可欠になる。特に,倫理や法制度,社会の仕組みなどへの考慮が重要となる。

1980年代の米国は,わが国飛躍の秘密の1つが工学部であると考えたのだが,米国では大学は国立ではなく,私立か州立などで,かつ教育は州ごとの権限が強く,連邦政府が大学の学科を再編することはできない。そこで,米国の国立科学財団(National Science Foundation: NSF)は工学研究センター(Engineering Research Center: ERC)を始めた。これは先端的な工学で対応すべき課題について,大学もしくは大学群が学部の境を超えて協働するもので,30年余りの経験を経て工学部再編や異分野融合に成功し,かつ常に課題と基礎研究の間を問題意識が循環するエコシステムを確立した。ジョンズ・ホプキンス大学に置かれた医工連携での医療ロボットセンターが手術ロボット「ダヴィンチ」にかかわる人材を輩出するなど,さまざまな成果があがっている。

現代の科学は,必要な目的を達成するため,これまでの学問分野を越境することが求められている。分野(discipline)が協働する(multi disciplines)ことから分野融合(inter disciplines),さらには科学だけでなく科学以外の人々も伴って協働していく分野包括(trans disciplines)の環境へと急速に変化している。

責任ある研究とイノベーション

科学の関与者が科学者だけでなく社会を構成するほとんどすべての人に広がり,一方,科学が分野はおろか科学の中に閉じなくなってくると,科学と社会の関係が大きく変化する。科学の関与者はその度合いに応じて科学と社会をめぐって生じる事柄に責任をもつことになる。もはや,専門家にすべてを委ね,専門家以外はその結果がいいものであれば享受し,不都合なことが起これば専門家を糾弾する構図は崩れつつある。

1つの科学分野はおろか科学だけでは決定できない課題が多い以上,課題についての認識や対応の設定といった初期段階からすべての関与者を巻き込んで議論をすることが重要だと認識され始めている。専門家以外の関与者は,政策決定者(政治家と行政),産業界,メディアなどがあるが,特に重要なのは一般の人々である。社会を構成するすべての関与者が科学の研究とそれによりもたらされるイノベーションに応分の責任をもつという考え方(Responsible Research and Innovation: RRI)は欧州を中心に急速に広がりつつある。2014年11月にはSIS-RRI(科学,イノベーションと社会,責任ある研究とイノベーションを達成する)という会議がローマで開かれ,ローマ宣言が採択された。

人々を巻き込むということは,翻れば,科学の成果が社会に伝わりイノベーションを起こすとその影響が直接人々に及ぶという構図だからである。したがって,人々を巻き込んだ進め方(public engagement)が求められるが,これは必ずしも合意(consensus)を追求するものではない。合意が取れればそれに越したことはないが,個人の考え方の違いは尊重されるべきである。一方,情報が専門家や推進する者だけで占有されるのは正しくなく,人々や社会が等しく何を目指すか共有したうえで,科学が進展させるべきであり,もちろん議論の過程で進め方の変更などもありうる。

今,この考え方がもっとも取り入れられようとしているのは地球規模の問題についてである。ユネスコ(UNESCO),国際科学会議(International Council for Science: ICSU)等が進める気候変動,生物多様性などを包括的に扱おうとする国際的な取り組みであるフューチャー・アース(Future Earth)はすべての関与者との協働設計,協働活動,協働成果共有(co-design,co-production,co-delivery)を提唱している。

大変難しい挑戦だが,関係者は実現に向けて模索を続けている。ただし,ここでも問題となるのは,やはり人々である。前述したローマの会議でも人々の科学に対する理解度(リテラシー)はやはり課題であり,今日に至るも,たとえば,科学と占星術を同一視する人々がいるのは大きな問題である,との例もある。つまり,人々が質の高い科学教育(science education)を学校はもとより,社会に出ても受けることが可能でなければ,人々が責任を負うのは正しいとはいえない。そのほか,性差の平等(gender equality),研究倫理(ethics)の追求は,公開性(open)とともに重要であるとされている。

この根本には,科学は社会の中にあり,社会のために,社会とともに進められるということで,極めて民主主義的な進め方がとられるべきであるという近代社会の哲学がある。

科学者の責任

以上,オープン化に始まり,今や科学の主役は誰かといえば,すべての関与者である,という変革期にある科学について展望を述べた。それぞれは独立しているようで相互に作用しつつ大きな変革の波になりつつある。

だが,特にその変化に敏感であるべきなのは科学者と科学を推進する者ではないだろうか。やはりもっとも重い責任を負うのは実際に科学を進める科学者ではないか。ただし,科学者や科学コミュニティーに,特に日本においてはその自覚が薄いことを重ねて強調したい。公式の記録が残る会議で「研究制度が何を目指そうと,自分はやりたい研究をやるだけ。(学術研究,課題目的型研究などの)制度の違いなどは制度をもつ側で考えればよい」と公然と発言するのを聞いたことがある。繰り返すが,人々は高い教育を受けており,専門的ではなくとも科学をある程度理解し,期待し,意見をもっている。それに対して科学者が,まるで特権階級のように自分の自由度のみを享受していたら,その環境を提供している最大のスポンサーたる人々はどう思うだろうか。科学者を,そして科学コミュニティーを信用しなくなったら,国を支える資源に乏しく,人間の知恵に依存してしか将来を築けない日本にとっては大きな打撃である。

やはり科学者は変革期にある科学の流れをよく認識し,緊張感をもって質の高い科学を進めるとともに,人々にも目を向け,時には対話をして,人々の科学に対する関心を満たし,高揚してほしい。ただし,科学者だけでこれを行うのは確かに大変で,その意味で,ともに科学を進めるパートナーである人々,われわれのような科学の推進機関の人間が,ともに努力する必要がある。

科学技術振興機構(JST)の例をあげれば,戦略を練るところから始まって,単なる資金助成ではなく意思をもって研究を進める仮想ネットワーク研究所(Virtual Networking Research Institute)としての研究開発部門,オープン化や社会との関係を深化させる基盤部門が相互に協力していく。変革期にある科学が日本に定着し,よりよい社会や人々の幸福につながるよう進めていきたい。

本文の注
注1)  「展望 今,変革期にある科学」 情報管理. 2015, vol. 58, no. 3, p. 163-165. doi: http://dx.doi.org/10.1241/johokanri.58.163

注2)  高エネルギー加速器研究機構 Bファクトリー研究 https://www.kek.jp/ja/Research/IPNS/Belle/

参考資料

  1. a)   米国国立科学財団(NSF)の工学研究センター(ERC)については,https://www.nsf.gov/funding/pgm_summ.jsp?pims_id=5502&org=EECに詳しい。
  2. b)   責任ある研究とイノベーション(RRI)に関連して,ローマ宣言は以下に全文がある。http://www.sis-rri-conference.eu/wp-content/uploads/2014/12/RomeDeclaration_Final.pdf
  3. c)   欧州におけるRRIに関連するさまざまな文書は以下から取得が可能である。http://ec.europa.eu/research/swafs/index.cfm?pg=library&lib=public_engagement

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