2015 年 58 巻 4 号 p. 309-312
RFC1855: FYI281)の翻訳「ネチケットガイドライン」が公開されたのは,1996年2月のこと2)。現在(2015年)から20年前だ。
インターネットはもともと米国国内の学術ネットワークとして誕生し発展してきた。ARPA(米国防総省高等研究計画局)が資金を提供するARPANETが母体であり,その後1989年に同ネットワークからNSF(National Science Foundation)の学術研究用ネットワークNSFNetにインターネットのバックボーンは引き継がれた3)。
インターネットに大学関係者・研究者以外の人々が参入するのは,1980年代末以降のことである。1990年,NSFNetと商用ネットワークの接続が始まって,大学関係者・研究者以外の者のインターネット利用が始まった4)。日本でも,1993年に商用インターネット接続事業者が登場し,大学・研究機関に所属していなくても,インターネットが利用できるようになる5)。1995年には,NSFNetは完全に民間に移譲された6)。
1995年には,Windows 95が登場した。それまでにもインターネット接続機能を有するパソコン向けOSはあったものの,インターネット接続が非常に容易だったことに加え,パソコンがないのにもかかわらず話題に乗ってWindows 95を購入する者がいたと報じられるほどの熱狂(ハイプ)で,Windows 95搭載パソコンが一気に世の中に広がった7)。
米国においては,クリントン政権時代の情報スーパーハイウェイ構想がインターネットの普及を後押ししたと考えられる。情報社会における新しい国家的なインフラとして,クリントン時代の副大統領だったアル・ゴアが提唱した情報スーパーハイウェイ(1993年)は,商用化が開始されたインターネットと重ねられることとなった。同構想はインターネットへの投資を呼び込む一要因となった8)。
1995年には,業態を超えたインターネットへの投資促進を目的として米国通信法改正が行われた。18歳未満に対する品位に欠けるあからさまな情報の発信を禁じる条項も追加されたことで,同法は「通信品位法」とも呼ばれたが,後にこの条項は合衆国憲法修正第1条に反するとの違憲判決によって撤回された9)。
日本においては,インターネット利用人口および普及率は,1990年代後半を通して上昇するものの,1995年は,インターネットの認知度が急速に上がった時代であった10)。1996年10月に行われた郵政省の第7回通信利用動向調査によれば,インターネットの認知は調査対象の9割に達していた11)。
こうした背景の中で,古くからのインターネット利用者と新しいユーザー(Newbie)との間で衝突が起こるようになった。RFC1855は,インターネットの文化に慣れていないNewbieを「早く……[その]文化に導き入れる」12)ために書かれたものであった。こちらは,日本語版に先立ち,1995年に公開された。
同文書12)を読むと,古参のユーザーと新しいユーザーとの衝突の原因が見えてくる。
たとえば,第1に,新しいユーザーはインターネットの帯域を共有資源と理解していない場合が多かった。当時のインターネットは現在と比較するとネットワーク帯域が非常に狭かったので(専用線接続では1.5Mbpsが通常,大学などのネットワークは10Mbps[10Base-T],電話線利用の接続の場合は9,600bps),画像など大容量ファイルの送信は避けるべきとされていた。新しいユーザーはこれを理解せず,ネットワーク帯域を濫費(らんぴ)する場合があった。
第2に,新しいユーザーはインターネットが基本的にセキュリティーに欠けている場所だということを理解していなかった。電子メールは送信途中で誰でも中身を見られるハガキのようなものだと理解していないと,クレジットカード番号などの重要情報を電子メールで送ってしまうことになる。
第3に,ネチケットガイドラインでは,すでに何度も見慣れている事柄について質問をする愚を避けるようにも助言される。いまでもわかりきった答えを求めて電子掲示板などで質問するユーザーに対して呪文のように「ググレカス(gugurecus)」と回答されることがあるが(つまり,検索すればわかることだという意),ネチケットガイドラインが公表・翻訳された当時から,Newbieの行動様式は変わっていなかったらしいことがわかる。
その他電子メールやネットニュースなどでのコミュニケーションのお作法(署名を書く,件名[Subject]欄に用件を手短に書く,文章は素っ気なくならない程度に簡潔に,など)が,RFC1855には書かれている。Newbieに対してインターネットのインフラの技術的制約とメディア特性による認知的制約を意識させ,トラブルに巻き込まれずにコミュニケーションを円滑に行う支援を与えようという意図があったことがわかる。
ネチケットガイドラインの日本語版が公開された1996年,パソコン通信事業者およびインターネット接続事業者から構成される業界団体である電子ネットワーク協議会も,個人の権利侵害や公序良俗に反する情報が氾濫することがないよう電子ネットワーク運営事業者が従う倫理綱領13)を定めるとともに,ユーザー向けにパソコン通信(!)の利用マナー14)を作成し,公開した注1)。
さて,現在に目を向けてみよう。20年経過して,これらネチケットやマナーは定着しただろうか。複数の慣行やマナーが並立し,必ずしも20年前に語られたネチケットやマナーが普及したとはいえない状況のように見える。これは,Newbie対古参ユーザーという対立というよりも複数の文化の並立状態である。スマートフォンやケータイの電子メール,無料通信アプリのLINE,インターネットの電子メールなど複数のサービスやアプリケーションを基盤とする文化が存在し,それらが互いに通常すみ分ける一方,ほかの文化の存在を知らないユーザー同士の間で時に摩擦が起こっているように思われる注2)。
インターネットの場合,次々と新しいアプリケーションやサービスが登場し,有力なものは一定数のユーザーを引き付けるので,このように文化の並立状態が今後も継続していくだろう。
また,ルールやマナーが統一されない理由は技術の多様性だけではない。今度は,さらにインターネットやパソコン通信以前の電話のマナーを見てみよう。
1983年の調査15)では,(1)通話開始時に発信者か受け手かどちらが話すかのルールが確立していないうえ,(2)当時のエチケットの専門家の意見では「もしもし」は使うなとのことだったがかなり多くの通話でみられること,(3)発信者と受け手が同時に発話した場合,発信者に発言権が移るという発言権移譲規則は米国と日本で異なることなど,普遍的な文化が,電話の受け応えについて存在していないことが示されている。
このように,電話という単一のメディア・サービスであってもコミュニケーションのルールやマナーが完全に統一されているわけではないことがわかる。参考文献16)によれば,当時国内で電話が一般に普及してから10年程度で,「電話のマナーはまだ確立されていない」との認識があったものの,現在も先ほどの(1),(2)に関しては,体験上通話や相手によってかなりのばらつきがあるように思われる注3)。
ルールやマナーは,一般的に根拠のない慣習であると考えられるものの17),新しく登場した技術に伴って始まった(もしくは始まったと考えられる)ルールやマナーは正当化を必要とする。この正当化する理由に十分な説得力があれば,異なるルールやマナーが並立する可能性はありそうである。
(1)の通信開始時の発話がどちらかであるかは,たとえば,通話相手に対する想定や通話がどのような社会的意味を有するかの認識が大きく左右するだろう。見知らぬ相手からの通話があることを警戒すれば,通話の受け手は掛かってきた電話に対してはできるだけ相手に自分の情報を渡さないほうがよいと考えられる。一方,通話相手は友好的であって,今後の自らの評判形成にも有力な影響を及ぼすという想定があれば,受け手は自ら名乗り,友好的に振る舞うべきであろう。どちらもルールやマナーとしてある程度の説得力を得るだけの理由にはなりうる。
これらの理由は道徳的・倫理的理由ではない17)としても,自他の安全やコミュニケーションの円滑さをある程度支えるものである。
今後も一定以上の説得力を有する理由があれば,それが普遍的でなくてもルールやマナーは存在しえるだろうから,複数のルールやマナーが並立する可能性が高いように思われる。このような場合,処世術的に「こちらのルールやマナーに従ったほうが(多数派だから)得である」などとは言えるが,どちらが正しいとは必ずしも決めがたい。したがって,ルールやマナーの並立状態は続かざるをえない。不毛とも思われるルールやマナーをめぐる争いは,おそらく繰り返されざるをえないのである。