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視点
個と組織
吉田 実久
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2015 年 58 巻 5 号 p. 385-388

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デンマークに来て環境が変わり,ことさらに自分の内と外とを意識する。

私は現在,デンマークという国で,博士課程に在籍する学生として科学教育専攻の人々と同じ建物で研究をし,理学研究科という組織で博士委員会1)の委員を務め,コペンハーゲン大学の学生オーケストラで活動している。来たばかりのころは手探り状態だったが,最近それぞれの組織での役割が増えてきたことで,自分はどうかかわればよいのか,そこから何を得たいのかを見極められるようになってきた。今回は主に,コペンハーゲン大学理学研究科の博士課程の一部となっている2),「大学で教える」という中で感じたことを話したいと思う。

イノベーションと引き継ぎ

昨年(2014年)から,「新しい博士学生への入門講座」(Introduction Course for New PhD Students)3)という博士課程の授業を担当する講師陣に加わった。これは年に6回開講され,コペンハーゲン郊外の宿泊施設(1)に滞在し,月曜日から金曜日までの朝8時30分から夜8時の間,研究科・大学内外から来る講師たちがさまざまなセッションを入れ替わり立ち替わり教えている講座である。それぞれのセッションは多くの場合,複数で受け持ち,同時に教えることもあれば,都合が付かない場合に他の担当者が対応できるようになっている。

最初にこの授業の講師陣に加わらないかと誘われた大きな目的は,宿泊を含み留学生が多いことから生じる煩雑な事務作業全般を受け持つことで担当講師の負担を減らすこと,そして留学生からの視点を反映することだった。責任者との最初のミーティングでは,口頭で前回行ったもろもろの作業が説明され,私はそれをメモに取って,不明な点はそのつど聞きながら仕事をこなした。1か月後,次の授業の準備に入るときに,再び責任者とミーティングをした。開口一番に「で,前回何したっけ?」と聞かれ,とっさに前回取ったメモの箇条書きを見せると,「これはとてもよいアイデアだね! さすが日本人だね!」と感激された。むしろ今までよくこれだけの作業ができていたものだ,さすがヨーロッパだなと思った(実際には引き継いだ際,抜けていた作業が多々あり,瀬戸際で大きな問題を食い止めている状態だった)。こんなに適当なのはデンマークだから,だとは思わない。しかし,どうして単純な事務作業さえ項目が整理されていないのか,複数人で担当しているのだからリスト化して共有することをなぜ思いつかなかったのか,悶々(もんもん)と考え込んでしまった。

しばらくして,事務作業だけでなくいくつかのセッションを教えることになったが,その際にも同じことが起こった。「じゃあ,とりあえず1回授業を見てみて。で,自分で考えてみてね」と言われたのだ。シラバスはあるけれど,タイトルのみで内容が書かれたものはない。俯瞰(ふかん)する視点がないのだ。私の後に入った新しい講師もこれに辟易(へきえき)して,授業案を作りそれを共有して積み上げていこうと提案したのだが,これに「待った」がかかった。その理由は,前回(前任者)と同じでは駄目,前任者の知識に頼ってはいけないというものである。「教える『その人』が表れた授業でなければならない」「同じではいけない」「新しいものを求め続ける姿勢そのものに大きな価値があるのだ」と熱弁された。なるほど,これまでデンマークの教育現場でよく「イノベーション」という言葉が出てきていたが,それはこういうところにもつながるのか,と妙に納得してしまった。

しかし,これは講師陣同士でフィードバックを行い授業改善していくことを難しくさせる。なぜなら,何がうまくいっている状態なのかが共有されていないからだ。また,教える内容全体も固定化することがないために,常に変化し続けることがよい学びにつながることもあれば,まったくの失敗に終わり学生から文句が出ることもある。授業改善の議論の基盤として,そのセッションにあたり担当講師本人が明確に目的・目標を立てていることが求められる。そこから周りのフィードバックを得て,それをまた自分で処理し,次へつなげていくのだ。全員で共有したものがあり,それを積み重ねて発展させていくのとは真逆だと思う。「作っては壊して」を繰り返しているのだ。では何をもとに,どうやって「作って」いるのだろう。

図1 「新しい博士学生への入門講座」で使用する宿泊施設

組織の中で個人は何をするのか 

授業を受ける学生の立場からだと,その環境から何を得たいのかを考える。しかし教える立場になると,何をインプットできるのかを考えなくてはならない。教えることで得られるものはもちろんあるけれど,自分の手持ちを目の前に並べ,どう使うのかを考えることになる。しかし,新しい環境だと何が有益なのか,何がよいのか,何が新しいのかがわからない。聞いたところで,誰かが教えてくれるわけでもない。常に新しいものを求められるここでは,何が新しいのかを嗅ぎ分け,見極めつつ,自分の引き出しをひっくり返して手持ちの中から役立ちそうなものを引っ張り出し,そこからさらに新しいものを作っていかなくてはならない。新しい環境でその場にある情報を得て,その共有を求めることで組織の一員になろうとするのではなく,新しい自分を探すために自分の中で内省しなければならないのだなと思った。そしてそれは,この授業の中で博士課程の学生たちに求めていることでもある。自分を少し外から観察する客観的視点と,自分を掘り下げて内省する2つの視点を行き来するのだ。例として,研究規範・倫理の話をしよう。

研究規範・倫理は何のため

この授業の中では,理学研究科で必修科目となっている研究規範・倫理のセッション(責任ある研究実践:RCR-Responsible Conduct of Research)(1)がある。私が受講したときには,ガイダンス的なものかな,と軽い気持ちで受けた。教える立場に回って受講する学生を見ても,初めは大して重要視していなかったという声が大半だ。しかし,コペンハーゲン大学の授業では規則を教えるのではなく,哲学的な部分から掘り下げる。初日にまず「良い研究者,成功した研究者とは?」(What is a good/successful researcher?)というセッションがある。「知力」「批判的思考」「文章力」などの28個の特質の中から各グループでもっとも重要だと思う3つを選ぶ。研究という道を選んだ背景にある「研究者とはこういうものだ」という個人の研究者像が,他の学生と話をしてみると1人ひとりでまったく異なることに気がつき,1時間では足りないくらい議論が続く。そして,丸1年このセッションを担当していると,面白いくらいに毎回選ばれる特質が違うのだ。ここでの目的は,最終的な理想像に全員で合意するのではなく,自分の内側を掘って,自分がもつ研究者像,何がよいことだと思っているのかを検討したあとで,次の日の研究規範・倫理のセッションへの橋渡しをすることである。

2日目には哲学の専門家が来て,「研究とは何か」「科学とは何か」「なぜ研究規範・倫理が重要視されるようになったのか」を説明する。受講する学生たちの多くは,そんなものは研究の基礎として知っていて当たり前,それを知らない無知で悪いやつが研究をするから研究不正の問題が生じるのだ,と思っている。するとそこへ,そもそも研究とはどのような営みなのか,研究倫理のグレーゾーン,研究費の出所,国際競争,社会との関係,企業との利害関係などなど,現在の研究をめぐるさまざまな状況が説明される。自分たちはいいやつだ,だから悪いことはしない,という論理が通用しない世界に入ったことを突きつけられる。そうすることで,現在の研究者がいる環境を把握させるのだ。だから,このセッションでは「よい研究者になりなさい」「悪いことはしてはいけません」とは教えない。こういう環境の中で,個人としてどのような研究者になりたいのか,なぜそうなりたいのか,そのためには何が必要なのかを内省させる。もし自分の指導教官が研究不正をしていたら,同僚がやっていることがグレーゾーンに入っていたら,社会からのニーズに応えるだけの研究を求められてしまったら,「私」という研究者は何をするのか,なぜそれを選ぶのか,考え選び実行しなくてはならない。

表1 「新しい博士学生への入門講座」(Introduction Course for New PhD Students)の1例

教えること

博士学生として学びながら教えることで,自分の内と外を行き来することが多くなった。個人としての私は何をしたいのか,組織の一員として属することは何を意味するのか,日々の中で生じる違和感を1つひとつ拾っている。そうして思い至ったのは,内と外だけでは足りないということだ。デンマークやコペンハーゲン大学という環境の把握,目の前にいる学生のニーズの把握,自分自身はその狭間で何を得るのか,という3つの視点をもつことになる。それは同時に,社会のニーズ,自分がいるアカデミアのニーズ,研究者個人としての意思を行き来することにも似ているように思う。その行き来を繰り返しても,この組織の一員となっているという「つながり」を感じられなければ,やっと築いた足場も,足下から崩れ落ちるような感覚に見舞われることも多い。でも,もしかしたらこれが積み重ねではない,発展の1つの方向性なのかもしれない。

足場が固まり,それを変化させながら積み重ねていくのではない。ここはどこなのか,それを把握するために外へ外へという気持ちとともに,自分がどこから来たのか,内側にあるもの,もってきたもの,背負ってきたものについても考えを広げている。それをもとにしながら,教えるという行為を通じて,私は今の環境に何かしらのインプットを加えていけるのだと思う。私個人のちっぽけな経験では,日本とデンマークという大きな枠組みを持ち出すには力不足だが,日本で経験を積んできた個人としての自分がこれから,どこで,なぜ,何に貢献したいと思うのか,その点をまだまだ掘り下げていきたい。

執筆者略歴

  • 吉田 実久(よしだ みく)

2013年9月よりコペンハーゲン大学理学研究科科学教育専攻博士課程に在籍。国際基督教大学教養学部卒業,東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。主な研究関心は,科学について人は何を考えるか。専門は科学教育の文化研究。現在は,科学の教員がもつ科学教育観について研究している。2014年7月より日本科学教育学会国際交流委員会委員。2011年東アジア科学教育学会若手研究奨励賞受賞。

参考文献
 
© 2015 Japan Science and Technology Agency
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