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情報論議 根掘り葉掘り
ゴーストライター,そしてゴーストオーサー
名和 小太郎
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2015 年 58 巻 5 号 p. 389-392

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近年,ゴーストライターあるいはゴーストオーサー(後述)にかかわる話題があいついで表面化している。まず,佐村河内(さむらごうち)守事件,ついでSTAP細胞論文撤回事件,さらにはディオバン論文代作事件。

1. ゴーストライター

まず,ゴーストライターとは何か。とりあえず『広辞苑』を参照しておこう。そこには,

「ある人名義の原稿や著作をその人に代わって執筆する陰の筆者」

  • とある。

最初に,佐村河内守事件を振り返ってみよう1)。これは,佐村河内氏の作品が実は新垣隆氏によって代作されていたという事件であった。もう1つ,佐村河内氏とのゴーストライター契約(?)を新垣氏が一方的に破棄したということがあった。したがって,ここでの問題は2つに分かれる。第1に,そもそも問題の作品の著作者は誰かということ,第2にそもそもゴーストライターという行為は公序良俗に反する欺瞞(ぎまん)性をもつのかということ,そうであればゴーストライター契約の破棄は正当化されるだろうということ。

著作権制度には「著作者と著作物とは永遠の絆(きずな)で結ばれている」(世界知的所有権機関)という前提がある。だが,日本の著作権法は著作者人格権というものを定義し,この中で氏名表示権を設け,ここで変名(ペンネーム)も無名(匿名)も認めている。これは,たぶん,表現の自由に配慮したものだろう。(論点がやや異なるが,著作者名の詐称は,当の本人にもゴーストライターにも,著作者人格権の侵害行為になるという判例もある。)

ただし,この事件にかかわる作品群の著作者を佐村河内氏とみる理解もありうる。いずれの作品についても,佐村河内氏がある種の指示(図形?)を新垣氏に示していたという報道がある。とすれば,その指示を原著作物,問題の作品を「二次的著作物」とみることもできる。二次的著作物とは原作品の翻訳,編曲,変形,脚色,映画化などを指す。

ジョン・ケージという前衛作曲家がいた。彼の作品の中には,たとえば,サイコロもどきの図形片をばらまき,これで個々の演奏者の舞台上の位置を決め,あとは演奏者の即興にまかせるといった作品「バリエーションVI」がある注1)。ここでは演奏者の寄与は大きいだろう。だが,作曲者つまり著作者はケージということになっている。即興性を売りにする前衛ジャズにおいても同様の手法が使われているという。ここでは,著作権法上は何の問題もない。演奏家たちは著作隣接権(原作品の伝達者に与えられる権利)で満足しているということだろう。

次にゴーストライター作品の欺瞞性についてはどうか。真の著作者でないものが,他者の著作物の著作者を名乗る,この答は日本の著作権法にはある。

  • それは

「著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示した著作物の複製物を頒布した者は,1年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する」(121条)

  • と示している。ここでは著作者ではなく頒布者(定義が難解)が罰せられる形になっている。これを使った判例もすでにあるらしい。佐村河内事件がこの条文の射程に入るかどうかについては,法律に疎い私にはわからない。諸説あるようだ2)

ここで視点を広げれば,実はゴーストライターはすでに社会的に認知された職業であるともいう3)。日本の出版業界では,著名人(タレント,政治家など)による新書版のハウツー本はそのほとんどがゴーストライターによるものらしい。音楽業界,放送業界においても事情は同じようだ。ここでは氏名表示権をどちらがもつのかという論点が生ずるが,ここに目をつぶれば,問題は生じない。

「ウィキペディア」をみると4),その具体例として,池島信平,伊藤整,植草甚一,梶山季之,横光利一などが下積みの時代にゴーストライターになったという記述がある(現存の著名人の名前もあるが,ここでの引用は差し控える)。

2. ゴーストオーサー

次にSTAP細胞論文撤回事件について5)。まず,学術論文の著者の在り方について整理しておこう。ここでは「オーサーシップ」という概念が尊重される。それを国際医学雑誌編集者会議(ICMJE)は次のように示している6)

「著者(オーサー)と称せられるすべての人はオーサーシップを持つ。著者全員は,公的な責任をとれるように,研究に関与しなければならない。論文のどの部分でも,結論の核心に触れる部分については,少なくとも1人の著者が責任をもたなければならない」

オーサーシップに求められる条件として,ICMJEは,第1に,研究の構想と計画,データの獲得,解釈,解析,第2に,論文草稿の作成と改訂,第3に決定稿の確認,と示している。

つまり,オーサーシップはいずれかといえば著作権制度における著作者人格権に対応するものである。だがその縛りはオーサーシップのほうが強い7)。というのは,著作権制度のいう著作物は上記の第2条件のみを満たせばよいからである。ICMJEの定義に戻れば,学術論文の出版にあたっては厳しい品質管理が求められている。このために事前の査読制度と事後の撤回制度が組み込まれている。一方,著作権法の求める創造性とはコピーではないことに尽きる。

事件の推移をみると,小保方晴子氏を第1著者とする共同研究論文2編が2014年1月に『ネイチャー』に掲載され,それらが2014年7月に撤回された。撤回理由は第1著者の不正行為(データ改ざん)にあった8)

ここでは共著者らが第1著者の不正行為に気づかなかったことが問題となった。共著者全員は,著作権法によれば不可分の著作者人格権を共有し,その論文の発行,撤回について同一の判断を示さなければならない。だが,第1著者は論文撤回に同意しなかった。

加えて,共著者らはICMJEの示すオーサーシップをもっていたはずであるが,誰もその第3条件を果たさなかった。とすれば,ここには形式的な,つまり実行を伴わない名義貸しがあったといってよい。このような行為をする人を以降「ゴーストオーサー」と呼ぶことにしよう。

いまゴーストオーサーといったがこれを「ゲスト・オーサーシップ」と呼ぶ人もいる9)

3. ゴーストオーサー&ゴーストライター

最後はディオバン事件について10)。ディオバンとは高血圧の治療薬であり,ここではその臨床研究論文が問題になった。第1に,その研究成果は大学研究者(それも5つの大学)から研究論文として発表されたが,いずれも撤回された。どの論文にも作為的なデータ解析が含まれていたためであった。しかも,その作為的なデータ解析をした研究者が,共同研究者の1人としてそれらの論文に氏名を連ねていた。第2に,その研究者はディオバンを開発した米国企業ノバルティスの日本法人ノバルティスファーマの社員であった。

まず著作権法的にみよう。不正を働いた人物は,大学の研究者たちからみれば共同著作者となる。一方,会社側からみれば会社自体が職務著作者となる。職務著作とは,社員の著作物の著作者名義が,人格権も含めて,その社員を雇用する会社,つまり‘artificial person’のものになるという強引な擬制である。

とすれば,この場合,その論文の著作者人格権は誰が行使できるのか,共同研究者か製薬会社か,というややこしい問題が生じる。共同著作としては大学側の共同研究者がゴーストオーサーを演じ,職務著作としては問題の会社員がゴーストライターを演じた,というねじれた関係になった。いずれにせよ,著作権法はここでは力不足であった。

現実には,この不正行為に対して,大学の研究者にはそれぞれの大学が処分を公表し,製薬会社には所管官庁が薬事法侵害(製品の誇大広告)として,その社員を告発した。この事件は,その後もあとを引き,関連学会そして日本学術会議が研究者の利益相反として批判的意見を表明している。

ここで参考のために学術論文における共同著作の慣行について紹介しておこう。その共同著作だが,自然科学系においては当たり前の事実となっている。医学分野では,すでに1976年に,単著は4%にすぎず,1論文あたりの著者は4ないし5人になっていた11)。ICMJEのガイドラインによれば,最初の6人のみの氏名を明記し,あとは「その他」(et al.)とせよとある。2001年の『ネイチャー』に掲載された「ヒト・ゲノムの物理地図」には,世界の48機関244人の研究者が著者として名を連ねていた12)

以上の3つの事件をまとめてみよう。第1の事件においてはゴーストライターが,第2の事件においてはゴーストオーサーが,第3の場合にはゴーストライターとゴーストオーサーが,それぞれ問題になったということになる。

4. 欺瞞的表示として

米国の場合はどうか,ついでに紹介しておこう。ゴーストライター紛争については,2003年,連邦最高裁が示した判断がある13)。これは当初『ヨーロッパの十字軍』という書物とテレビ番組の著作権に関するものであったが,最終的には商標法侵害として決着している(米国著作権法では人格権は旧法にはなく,新法においても極めて限定的に規定している)。

欺瞞的表示には詐称(自分の作品に他者の名義を付けること)と反詐称(他者の作品に自分の名義を付けること)とがあるとも議論されている。この視点によれば,ゴーストライターは詐称,ゴーストオーサーは反詐称,ということになる。付け加えれば,詐称は商標法違反,反詐称は不正競争防止法違反となる。

これをみて,ゴーストライターの規制を商標法つまり消費者保護法にまかせておいてよいのか,という批判が生じた14)。ゴーストライター行為は医師が投薬の処方箋に製薬会社の報告を参照するときにも,裁判官が判決作成のために証人の証言を受け入れるときにも,政治家が議会でスピーチ・ライターの書いた草稿を読むときにも,あるだろう。これらをすべて商標法に送り込んでよいのか,というわけ。

さらに踏み込んだ,しかし的外れの研究論文も現れた。連邦最高裁の判事の仕事は多い。だからその意見の作成をスタッフ,つまりゴーストライターに頼む。だがそのスタッフの数は少ないので,ときによっては異なるスタッフにゴーストライター役を回す。だから同一の判事の意見であっても文体が変化する。それは計量文献学の手法で確認できる,と15)

5. 欺瞞的ゴーストオーサー

最後になったが,自分の贋作(がんさく)を自分で書いたという愉快犯的な知識人がいる。その人の名をウンベルト・エーコという16)。彼は次のように語っている。

「キリコも自作の贋作を描いたことがあると言っていますね。そして私自身,ウンベルト・エーコの贋作というのをでっち上げたことがありますよ。……『エーコを真似る』ためには,この紋切型を繰り返すことが必要になってきますから。自分の贋作を作るというのは,したがって非常にためになる訓練です」

もう1つ。日本ではすでに10世紀にゴーストライター論があった。それは,

「おぼめくな誰ともなくて宵々に夢に見えけむ我ぞその人」

  • という作品の中にある。作者は和泉式部。

本文の注
注1)  NHK. “ザ・ジョン・ケージ”, BS103ch, 2014年10月22日6時

参考文献
 
© 2015 Japan Science and Technology Agency
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