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この本!~おすすめします~
この本! おすすめします コンピューターサイエンスを教養に
渡辺 治
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2016 年 59 巻 1 号 p. 66-68

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コンピューターサイエンスの研究者として,コンピューターのこと,コンピューターサイエンスのことを,世の中の人々に知ってもらいたいと思っている。その気持ちを込めて3冊の本を紹介させていただく。

技術者や研究者なら誰でも,自分の分野を知ってもらいたい,という気持ちはあるだろう。そうした自然な動機もあるが,コンピューターのことを知ってもらいたい,という背景には,「知ることが多くの人びとのためになる」という信念も少なからずある。前置きが長くなるが,まずはその信念の一端から話を始めよう。

急速に日常化したコンピューター

私たちは日々,コンピューターと接して暮らしている。これは専門家のことではない。今や高校生以上でスマホ等の情報端末を1日中触らない人は少数派だろう。そのスマホも立派なコンピューターである。このようにコンピューターの利用は私たちの日常になっている。

たとえば,1996年頃だと,まだコンピューターは少し特別なものだった。この20年間にあっという間に日常化してしまったのである。20年は決して短くはないが,たとえば,水道や電気,あるいは交通網のようなインフラと比べると,それらが普及してきた歴史とは桁違いに短い期間に普及したといえるだろう。

人々は,急速に生活の中に入り込んできたコンピューターと付き合わねばならなくなった。そのため,巷(ちまた)にはコンピューターのノウハウ本が大量に出回っている。けれども使い方のノウハウだけではコンピューターは理解できない。たとえば,これが車だったら,その使い方(つまり運転)を習熟していくうちに,車ってこういうもんだなぁ,ということがわかってくるだろう。残念ながら,ワープロソフトに習熟してもコンピューターへの理解は得られない。それは,コンピューターの見え方が,あまりに多様だからだ。そのうえで走るソフトによって,コンピューターの用途や役割が大きく変わってしまうからである。1つの使い方に慣れたとしても,それはそれ。まったく違った使い方が,ある日,突然出現してくるのである。

使い方のノウハウを学ぶことは必要だ。けれども,それだけに追われる人が多い,コンピューターが何者であるかを知らないまま,ただ「使う」ことに振り回されている人が,少なくないように思う。

使う側にいるだけではもったいない

大抵の場合,ものを作って提供するのは,その業種のプロであり,その他の人はそれを買ってきて使ったり,消費したりする。しかし,コンピューターに代表される情報処理技術の特徴は,誰もが比較的簡単に「作り手」になれることである。

もちろん,コンピューターやスマホは工場で生産される。また,基本ソフトや本格的なアプリは専門家が開発している。けれども,人々が,便利だ,あるいは,面白い,と思うものを情報処理の分野で開発できるのは専門家だけではない。たとえば,お小遣い帳として使いやすいExcelのシートはアマチュアでも作れるし,それは多くの人に使ってもらえるかもしれないのだ。

情報処理技術はまだまだ発展途上である。思いもつかない応用が生まれる可能性に富んでいる。だから,常に使う側にいるだけではもったいない。多くの人が,いろいろなレベルで,役立つ道具や,人を惹(ひ)きつけるアイデアを提案できるのである。

しかしながら,日本では,情報処理技術に関しても,「作るのは専門家」「自分たちは使う人」という固定観念が支配しているように危惧している。さらには,WindowsやMac,iPhoneの影響で,「生産者は米国」「日本は消費する側(使う側)」という風潮さえある,と思うのは私の杞憂(きゆう)だろうか。

コンピューターとその上で行われる情報処理について,より多くの人が,もう少しよく知るようになったら,「こんな道具」や「あんな使い方」を,いろいろな立場の人が提案できるようになるだろう。もっと面白い社会になると考えるのである。

コンピューターを知るための本

以上の考えのもと,この記事の主な読者である情報処理技術の関係者の皆さんに,皆さんの周辺の一般の方々にお薦めいただきたい本を紹介させていただく。

その1番目が『思考する機械 コンピュータ』である。コンピューターというと電子機器という側面についつい目が行ってしまう。コンピューターを知る,とは言っても,実はコンピューター上で実現されている情報処理の本質を知ることの方が重要である。そして,それは電子機器とは独立なのである。本書は,情報処理の本質にかかわる概念や考え方を,電子機器についての回り道をせず,単刀直入に,かつ具体的な実例を使いわかりやすく説明している。だからといって,説明ばかりにならずに,著者の経験や逸話などを交え,読み物としても優れている。

もちろん,コンピューターの電子機器としての側面も重要ではある。抽象的な本質論だけでなく,なぜ,現在のコンピューターのような仕組みに落ち着いたのかを知ることも大切だ。その観点からお薦めしたいのが,『CODE コードから見たコンピュータのからくり』である。コンピューターを「二進列で表現された情報を処理する機械」という観点から,その処理の仕組みを丁寧に,そして深く解説した本である。

薦めておいて申し訳ないのだが,ちょっと変わった本なので,万人向けではないかもしれない。じっくり読む暇があり,かつ頭が十分柔らかい若者向けの本である。この本の虜(とりこ)になる若者はきっといるはずで,そういう彼・彼女らは,日本を変える原動力になるはずである。

『思考する機械 コンピュータ』ダニエル・ヒリス著;倉骨彰訳 草思社文庫,2014年,830円(税別) http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_2058.html
『CODE コードから見たコンピュータのからくり』Charles Petzold著;永山操訳 日経BP社,2003年,2,500円(税別) http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/books/579100.html

なぜ,コンピューターサイエンス

さらにもう一歩進めて,私は,コンピューターサイエンスを教養として学ぶべきことの1つに加えることを提案したい。

私たちは,なぜ,物理,化学,生物などを教養として学ぶのだろう。自らの将来の仕事に関連する可能性があるから,という実利面だけではない。自然界,もっと大げさにいえば私たちを取り巻く世界の見方を与えてくれるからである。物理なりの,生物なりの,それぞれの学問分野の世界観は,人として生きていくうえで大切な見方なのである。

情報処理技術の核となる学問分野であるコンピューターサイエンスも同様だ。これまでの理系科目とは異なる,新たな見方を与えてくれる。だから一般の人々にとっても重要なのだ,と主張したい。

あえてひとことでいえば,情報処理の本質は「計算」である。ただし,ここでの「計算」とは,単純な演算や判断の組み合わせで表される処理の総称である。コンピューターサイエンスは,さまざまなことをいかに「計算」として表すかを研究する学問である。つまり,コンピューターサイエンスでは,物理現象でも,生命現象でも,社会現象でも,すべてを「計算」としてみようとする。私たちは,この見方を「計算世界観」と名付けた。英語でComputational Thinkingと呼ばれている考え方もそれに近い。

計算世界観は,これまでにない新たな見方であり,情報処理の本質をさらに深く理解するためにも重要な見方である。だからこそ,人は教養としてコンピューターサイエンスを学び,計算世界観の考え方にふれてほしいと考えるのである。

東工大では,1995年からコンピューターサイエンスを理系教養科目の1つとして,全学の1年生に教えてきた。その中で,コンピューターサイエンスのエッセンスを教える工夫をいろいろと生み出してきた。計算世界観という考え方も,そうした活動の中で形になってきたのである。それらを再検討し,新たな教科書としてまとめたのが『コンピュータサイエンス 計算を通して世界を観る』という本である。

教科書ではあるが,多くの人に手に取って読んでもらいたい,という思いから,新書版で出版する,という冒険を試みた。そのため(特に教材として使う最初の4章は)説明的で,読み物としては少々硬い本になってしまったかもしれない。読みにくいところは適宜飛ばして,計算世界観を語っている後半の5,6章を気楽に読んでいただければと願っている。

『コンピュータサイエンス 計算を通して世界を観る』渡辺治著 丸善出版,2015年,1,000円(税別) http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/news_event/2015/108972.html

執筆者略歴

1958年生まれ。1980年東京工業大学理学部情報科学科卒。工学博士(1987年)。1997年より,東京工業大学教授。現在,東京工業大学情報理工学院所属。計算の理論,主に計算複雑度の理論とアルゴリズム理論の研究に従事。グローバルCOE「計算世界観の深化と展開」(2007-2011)拠点リーダー,科研費新学術領域「計算限界解明」(2012-2016)領域代表などを務める。電子情報通信学会,情報処理学会フェロー。

 
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