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過去からのメディア論
過去からのメディア論 「言論の自由市場」再論
大谷 卓史
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2017 年 59 巻 10 号 p. 699-701

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以前論じたように1)2),「言論の自由市場」の比喩は,言論の自由のあり方について納得させる点がある反面,そのまま受け取るととても奇妙な面がある。

「言論の自由市場」とは,自由競争市場で,最適な資源配分が行われるという経済学的な仮定を意識した比喩だ。言論を自由にすることが,真理を発見し普及させるには最良の手段である。政府や世論の抑圧に対して言論・表現の自由を擁護したJohn Stuart Millが,この比喩の出所とされる。

「言論の自由市場」,または「思想の自由市場」(Marketplace of ideas)の比喩は,1953年Douglas判事(William O. Douglas)がUnited States v. Rumely裁判の同意意見で初めて用いたとされる注1)

それに先立ち,1919年には,Holmes判事(Oliver Wendell Holmes, Jr.)がAbrams v. United Statesで,「思想の自由取引」(Free trade in ideas)ということばを使ったことが知られる3)

Holmes判事は,プライバシー権論文でも知られるBrandeis判事(Louis Dembitz Brandeis)とともに,米国において,近代的な言論・表現の自由の基盤となる思想を築いた進歩的裁判官として著名だ。

歴史を専攻した経験もある法学者Neil Richardsによると,Brandeisは,プライバシー権論文を執筆してから,公益と産業にかかわる裁判で活躍し,「国民法律家」という評判を獲得した。1916年には,彼は,Wilson大統領によって,連邦最高裁判所の陪席裁判官に任命された。年長のHolmes判事は彼の友人であるとともに,メンターでもあった4)

当時,合衆国憲法は何よりも経済的権利を擁護するものと一般に解釈されていたが,HolmesとBrandeisは,少数反対意見として,憲法のもう一つの読み方を発展させた。つまり,憲法制定者たちは公益の下に経済活動を規制する強力な力を憲法にもたせたのであって,政治的権利がより大きな保護を受けるべきだと,彼らは主張した。こうして,現代的な合衆国憲法解釈が生まれることとなった4)

Brandeisは,プライバシー権論文を書いた当時から,その真逆の思想,つまり「公開行為の義務(duty of publicity)」に関心を持っていたと,Richardsはいう。Brandeisは,婚約者に宛てた手紙の中で,このタイトルの論文を書く構想を明かしている。プライバシーの名の下に,不正行為が隠される懸念を示し,公開行為が不正と詐欺を正す力を持っているのではないかと,彼は述べている4)

この思想は,「他人の金 銀行家はそれをどう使うか」と題した,1914年の著書5)に表れている。株式引受人(underwriters)の料金が一般に高額であるのは,株式引受の料金価格・料金相場が隠されているからで,公開すべきだと論じている。Richardsは,「日光は最高の消毒薬」5)というBrandeisの比喩を引き,これが彼のコアにある思想だと説明する4)

1925年,「犯罪的サンディカリズム」で起訴され,連邦最高裁まで争ったWhitney v. California裁判において,Brandeisは,明白危急の危険がなければ,単なる言論は罰せられることがないと,修正第1条注2)を解釈する少数反対意見を提出した4)

Charlotte Anita Whitneyは,上流階級生まれの女性で,社会主義運動と人種差別撤廃運動の活動家だった。彼女は,慈善活動の中で貧困とアルコールのつながりをみて禁酒運動に身を投じ,その後社会主義に接近し,政治活動家として活動する中で,警察の制止にもかかわらず,政治演説を行ったとして,前出のような罪に問われたのだった4)

Richardsによると,言論の自由に関連する多くの裁判は,1917年のスパイ法(Espionage Act)をめぐって起きたものだとされる。前出のHolmesの「思想の自由取引」の比喩が登場した裁判も,スパイ法をめぐるものだ。これらの裁判の中で,BrandeisとHolmesは,修正第1条に基づいて,言論の自由を主張する少数反対意見を書くようになった4)

ところで,Holmesが言論の自由を主張したのは,人間は誤りうる存在であるという可謬(かびゅう)主義に基づく点で,悲観的であると説明される4)。すなわち,人間は判断や意見を誤るから,自由な言論によってそれを正していくべきだという言論の自由市場論を,Holmesは唱えた注3)3)

一方,Brandeisは,国民の自己統治と民主主義のために,言論の自由は必要だと考えたとされる。その点でより「理想主義的」と,Richardsは称する4)

Holmesの可謬主義にしろ,Brandeisの民主主義と自治による正当化にしろ,Millの『自由論』とJohn Miltonの『アレオパジチカ』に加え3),PierceやJames,Deweyらのプラグマティズムの強い影響を感じることができる。Holmesの説には,プラグマティズムにおける,認識論における可謬主義と組み合わさった真理の実在論の反響が聞こえる。後者のBrandeisの説は,民主主義を重視したDeweyの教育論も想起させる注4)

ところが,米国における言論の自由の法理は,彼らによって確立したと考えられるものの,「言論の自由市場」の比喩には,限界があるように思われる。

まず,Stanley Ingberによれば,経済において,過小または過剰な投資が行われて,インフレや失業などの市場の失敗が生じるように,言論の自由市場でもまた市場の失敗がありうるかもしれない。そうすると,この市場の失敗を補うために,政府が介入すべきという議論が登場することになるかもしれない。確かに,優れた意見が市場の中で生き残るとは限らないように思われる現象はある(後述)。しかし,政府が言論に対して介入するようになれば,これは言論の自由が目指したこととは逆になってしまう3)

第二に,言論の自由市場の比喩は,多数決によって意見の真理が決まると述べているようにも思われる。

言論の自由市場には,次のような含意がありそうだ。すなわち,オープンかつ公正な場で言論が競い合うことによって,人々の評価によって,ある言論(意見)がより多くの支持を受けることで,よりよい言論が何であるか明らかになるのだと,この比喩はいいたいように思われる。

言い換えれば,言論の自由市場において,多数販売される言論が優れているということにならないだろうか。そうすると,芸術や学問的言説の価値は多数決によって決まるという帰結を導かないだろうか。

ところが,理念的にも,また,現実においても,多数決や販売の多寡によって,芸術や言論の価値は定まらないと考える者が多いはずだ。

たとえば,書籍市場をみると,必ずしも多くの人々の支持を受けないからといって,優れた作品ではないとは断言できない状況にあることがわかる。

新潮社は,「新潮文庫の絶版100冊」と題して,2000年,同文庫の絶版作品のうちから100冊を選び,CD-ROMに収録したパソコン用電子書籍を発売した。同電子書籍には,文学史的に重要な日本作品や世界的に著名な古典が収録されており,市場価値が低いとしても,文学的価値・歴史的価値の高い作品が存在することを明らかに示している。

また,ある時代において多くの人々に支持されないとしても,優れた芸術作品が存在することはよく知られている。特に,革新的な作品に関しては,登場当時は不人気であって,ひんしゅくを買うことが少なくない(たとえば,ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」など)。

もちろん発表当時は不人気であった意見が,その後科学的真理と認められた事例は枚挙にいとまがない。これも単純多数決によっては,意見が真理であるか,表現が優れているかどうか決められないことを示しているように思われる。市場競争は比較的短期で商品の価値が判断される一方,芸術や言論(特に,学問的言説)は,中長期的に評価される。最終的に多数の人々が,その新しい意見を支持するようになるとしても,それは多数決によって真理性が決まったわけではない。

つまり,市場でよく売れたからといって,その意見が真理であるのではなく,その意見が真理だからこそ,市場でよく売れる――つまり,多数者が支持するようになると考えた方がよい。

言論の自由市場の比喩は,超越的観点から言論や芸術の価値を独善的に判断することは不可能であり,かつ望ましくないので,人々の目に触れる公開の場から事前に排除してはならないという含意は評価できても,多数決や購買のような多数者の支持によって(のみ)言論の価値が決まるかのようにみえる点は,理念的にも現実的にも,言論や芸術の価値判断について誤解を招きかねない面があると考える。

本文の注
注1)  "Marketplace of Ideas," Wikipedia. : https://en.wikipedia.org/wiki/Marketplace_of_ideas

注2)  合衆国憲法制定直後に提案された修正第1条から第10条は,権利章典と呼ばれ,市民的権利・市民的自由(基本的人権)を定めた規定である。

合衆国憲法修正第1条(Amendment I)は,宗教の自由および言論・出版(報道)の自由,結社の自由,請願権を定めている。米国においては,本文中で述べたHolmesおよびBrandeisらの議論を通じて,言論・出版の自由は,日本と比較しても高い価値が置かれるようになっている。

注3)  以下,HolmesとBrandeisの比較に関しては,参考文献4を参考にして執筆した参考文献6における文章を修正して収録している。

注4)  プラグマティズムの思潮に関しては,参考文献7および参考文献8参照。

参考文献
  • 1)  大谷卓史. メディアの現在史47:匿名と「言論の自由市場」. みすず, 2013. no. 621, p. 2-3.
  • 2)  大谷卓史. 過去からのメディア論:Facebookは大統領選を左右してもよいか:情報倫理学からの視点. 情報管理. 2016, vol. 59, no. 4, p. 264-267. http://doi.org/10.1241/johokanri.59.264, (accessed 2016-11-02).
  • 3)  Ingber, Stanley. The marketplace of ideas: A legitimizing myth. Duke Law Journal. 1984, vol. 33, no. 1, p. 1-91.
  • 4)  Richards, Neil. Intellectual privacy: Rethinking civil liberties in the digital age. Oxford University Press, 2015, 240p.
  • 5)  Brandeis, Louis. Other people's money and how the bankers use it. Frederick A. Stokes Company, 1914, 223p.
  • 6)  大谷卓史. プライバシーと思想・言論の自由:思想・言論の自由の基盤としてのプライバシー再考. 電子情報通信学会技術研究報告. 2016, vol. 116, no. 290, p. 85-88.
  • 7)  魚津郁夫. プラグマティズムの思想. 筑摩書房, 2006, 350p.
  • 8)  伊藤邦武. プラグマティズム入門. 筑摩書房, 2016, 286p.
 
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