朝日新聞フォトアーカイブは2010年に発足した。朝日新聞社が所蔵する明治時代以降の歴史的な写真(ネガ,紙焼き,ガラス乾板など)約2,000万枚をデジタル化する作業を進め,最新のデジタル写真と合わせて約240万枚をWeb上で公開している。デジタル化に当たっては,写真の裏面のメモなどを頼りに書誌を確認するのが難題で,手間と時間がかかる。写真の書誌情報(見出し,写真説明,撮影場所,撮影日)に補助キーワードなどを加えることで,利用者の写真検索を容易にしている。Webサイトは2014年に大幅改修し,検索のためのオプションや提示型の特集機能の充実を図った。朝日新聞フォトアーカイブに登録されている写真は,教科書・教材やテレビ番組,書籍・雑誌,企業の社史などに多方面で利用されている。動画の取り組みも強化している。著作権の保護期間が満了した写真の扱いは大きな課題だ。朝日新聞フォトアーカイブでは,古い写真を死蔵することなく広く活用してもらうために,積極的に公開している。その際,データ提供料として適正な利用料金を頂く方針で,利用規約を整備した。近現代史を生き生きと伝える貴重な歴史写真を多くの人に見てもらうことは,新聞社の役割の一つだと考えている。
本稿の著作権は朝日新聞社に帰属する。
朝日新聞フォトアーカイブは,朝日新聞社が所蔵する写真をデジタル化し,社内外での利用を進めるための組織として,2010年に誕生した。現在の公開枚数は約240万枚。日本国内の新聞社が運営する写真データベースとしては,最大級となっている。2016年からは動画専用の販売Webサイトも新設し,映像全般を扱う組織に改編した。デジタル時代に即し,映像利用の可能性を広げ,新しい時代に向けて発信してゆくため,日々挑戦を続けている。
朝日新聞社内には,2010年以前,新聞に掲載された写真を提供する「フォトサービス」という部門があった。主な顧客は個人。写っているご本人やご家族からの注文がほとんどで,プリントでの提供だった。テレビ局や出版社などから写真の利用依頼が来た際は,その都度貸し出すサービスは行っていたが,利用のためのデジタルデータを収容するデータベースは整備されていなかった。近年の映像コンテンツの需要の高まりに応える形で,組織は発足した。
2.2 発足後の取り組み朝日新聞社内には,明治時代からの写真が,ネガや紙焼きなどの状態で約2,000万枚保存されているが,ほとんどがデジタル化されておらず,外部からの利用に即応することができなかった(図1)。紙面制作がデジタル化された後,社内向けの写真データベースは作られたが,紙面掲載された写真などに限られ,外部公開はできなかった。
組織発足後,まず手がけたのは,大量に保存されている写真のスキャン作業だった。ネガについては外部業者に委託した。紙焼き写真は,写真部OBや写真学科に在籍中の大学生のアルバイトらが,一枚一枚スキャナーを使ってデジタル化。その後,校閲など編集局のOBによる書誌編集・点検作業を連日続け,2011年3月に40万枚だった公開枚数は,2012年6月には100万枚,2014年10月には200万枚を超え,現在,240万枚超になっている。
写真デジタル化作業は試行錯誤の連続だった。一番苦労するのが,写真の書誌編集と確認作業だ。写真の裏面やネガのカバーにメモ書きされた情報,保存日付のスタンプなどを頼りに,写真の撮影日,撮影場所,内容などを一枚一枚確認してゆく(図2,図3)。
いくら魅力的な写真があっても,240万枚の中から探し出せなければ,存在しないのと変わらない。書誌情報はフォトアーカイブの生命線ともいえる。書誌として記入する項目は,見出し,写真説明,撮影場所,著作権者,撮影者,撮影日,補助キーワード,備考(掲載紙面情報など)となっている。販売Webサイトで写真を検索する際には,キーワードと撮影日で絞り込む。著作権者と撮影者は社内用のデータで,それ以外はキーワード検索の対象になる。このうち公開するのは見出し,写真説明,撮影場所,撮影日で,補助キーワードと備考は検索対象にはなっているが,記述内容は見られない仕組みになっている。
書誌項目の中で工夫が必要なのは補助キーワードだ。写真説明では直接触れないが,時代背景など,検索に便利な言葉を補う。たとえば,「バブル経済」という言葉は,バブルの最盛期には使われていない。タクシー待ちの行列やディスコでの乱舞,マンモス入社式などの写真に,このキーワードを補うことで,この時代を象徴する写真を検索することができるようになる。「石油ショック(オイルショック)」も同様に,トイレットペーパーに殺到する主婦たちの写真に不可欠なキーワードだ。戦時中の砂糖の配給切符なら「統制経済」を加える。お客さまがどんなキーワードでこの写真を探すだろうか,と考えながらの作業になる。
朝日新聞フォトアーカイブ発足から3年間,朝日新聞社のOBを中心とした在宅の編集者に写真の表と裏をスキャンしたデータを送り,朝日新聞記事データベース「聞蔵(きくぞう)」を活用してもらって書誌付けをする作業を進めた。近くの図書館に通って補足するなど,熱心に調べたデータが,フォトアーカイブの基礎になっている。このデータを社内で最終チェックし,必要な修正をしたうえで外部公開の可否を判断している。紙焼き写真数十万枚の点検は,現在も続いている。
在宅編集が終了した後,書誌入力は社内での作業に移行した。独自の書誌編集用ソフトを使って,各項目ごとに調べた内容をその場で入力していく。蓄積されたデータを数千枚ずつ,社内のシステム担当部門を経由してデータベースに取り込む。このデータも,最終点検担当者の目を経てから公開される。
紙焼きやフィルムからのデジタル化は日々進むが,写真説明の確認段階でかなりの時間が取られる。時には,地図での照合や関係者への取材などの作業を積み重ね,場所や内容の特定をすることもある。撮影年や場所が特定できず,推定にとどまるものも少なくない。事実に近づけるため,朝日新聞の過去の紙面を収録した紙面データベースなども参考にしながらの確認作業は続く。今後,未完成の段階での写真を公開して,多くの人に情報を寄せていただくことで検証作業を進めるなどの方法も有効になるかもしれない。
デジタル化や写真説明の確認には,数々の事件現場を取材した写真部,校閲部,社会部などの記者OBがシニアスタッフとして作業に加わっているのも強みだ。アナログ時代に経験を積んだOBは,ネガを見て何が写っているか,どんな状況で撮影されたものかなどが判読できる貴重な人材でもある。また,大学の写真学科などに籍を置く学生アルバイトのみなさんも,経験を積んで,技術を身につけ,貴重な戦力となっている。
写真フィルムが登場する前に,感光材料として,透明なガラスの板に写真乳剤を塗ったガラス乾板があった。ガラス乾板は,感光面が大きく,高精細で階調が豊かなのが特徴。1935年(昭和10年)に国宝保存事業の一つとして法隆寺金堂壁画を撮影した写真ガラス原板が,近年,国の重要文化財に指定されるなど,文化財としての価値が認められつつある。
朝日新聞社でもニュース写真に使ったガラス乾板を保存しており,東京本社保存分はスキャン作業も進めていたが,さらに調査を進めていたところ,昨年(2015年),大阪本社の所蔵庫から約740枚のガラス乾板が見つかった。昭和初期の関西を中心とした建物や祭り風俗などの写真が残されており,大阪市内の空撮や,昭和初期の道頓堀,通天閣の様子,京都,奈良などの街並みなどを写した貴重な写真もあった。
今回,これを美術品輸送専門のトラックで大阪から東京に移し,本格的なスキャン作業を始めた。コンディションを整えるため,ガラス乾板を一枚一枚ネガクリーナーで拭きとって汚れを除去(図4,図5)。数枚に破断や欠損があるが,デジタル化には問題はなかった。一部に乳剤の銀が黒化する銀鏡(ぎんきょう)が見られ,画像が部分的に白飛びしてしまうガラス乾板があったが,化学的な処理で補正することができた。
貴重な写真を永遠に生かし,紙面とデジタルビジネスの領域拡大につながるよう,丁寧さとスピードを両立した作業を心がけている。
デジタル化により,昭和初期の大阪,京都,奈良の街並みや文化財などが鮮明によみがえりつつある。デジタル化された写真は,朝日新聞フォトアーカイブのWebサイトで紹介し,報道だけでなく,あらゆる分野での利用が可能になった。その一部を,ここに紹介したい(図6~図8)。
多くの所蔵写真の中からどのテーマを優先してデジタル化するか。その年のトピックや,今後数年間に需要拡大が予想される分野,世の中の流行などもみながらその都度判断している。「○○から100年」などの節目の年は,特にそのテーマを中心に写真デジタル化作業に取り組むことが多い。
2015年は,戦後70年というまさに節目の年だった。フォトアーカイブでは,広島に原爆が投下された直後に朝日新聞社のカメラマンが撮影した写真を見直し,高精細スキャナーでスキャンした後,キズなどを取り除く修復作業に取り組んだ。
朝日新聞社大阪本社には,元朝日新聞大阪本社カメラマンの宮武甫氏(故人)が撮影した原爆投下直後の広島市内を記録したネガフィルムが保存されている。宮武氏が撮影した写真は119カットだが,ネガフィルムで残るのは113カット。残りは紙焼きとして残っている。宮武氏の手記には,1945年8月6日の原爆投下後,8日に大阪を列車で出発し9日夕方に広島駅に到着,翌日10日から臨時の火葬場で焼かれる遺体や大やけどを負って病院で手当を受ける人たちなどを撮影し,12日に未現像のフィルムを持って大阪に戻ったと記述されている。終戦を迎え,占領軍のプレスコードが厳しくなり,上司からフィルムの焼却を命じられたが,自宅の縁の下に隠して守り通した貴重なフィルムだ。撮影から70年がたち,ネガの汚れやキズが目立つため,社内にある高精細スキャナーを使ってデジタル化。Photoshopでキズや汚れの部分をデジタル処理し修復した(図9)注1)。
この中には,原爆投下4日後の広島市内を見渡す360度のパノラマ写真もある(図10)。1945年8月10日に広島市下柳町(現中区銀山町)にあった旧広島東警察署の屋上3階部分から撮影された写真11枚をデジタル処理でつなぎ合わせた。広島平和記念資料館によると被爆後,最も早く撮影された360度のパノラマ写真だという。
朝日新聞の紙面では,高精細スキャンされた360度パノラマ写真が,2015年8月6日付朝刊紙面に,見開きの形で紹介された。また,朝日新聞デジタルでは,このパノラマ写真の下に,現在の広島市内のパノラマ写真を並べ,過去と現在の写真を比較しながら見ることができる「動かせるVRパノラマ 被爆地・広島 70年前と現在」として紹介した注2)。
修復した写真は,2018年10月にリニューアルオープン予定の広島平和記念資料館に提供し,展示などに活用してもらう予定となっている。
2010年4月には写真販売のためのWebサイト「朝日新聞フォトアーカイブ」を開設した。デジタル化し書誌が完成した写真を随時公開し,主にユーザー登録をした法人に利用していただいている。
2014年には検索スピードのアップや特集作成機能などを盛り込み,全面的にリニューアル(図11)。48時間以内の最新写真を「48h特集」として公開するとともに,明治期からの歴史的写真もテーマや年代ごとに分けて,常設の特集の形で紹介している(図12)。
2015年には,スマホやタブレットに対応するため,画面の大きさによって表示を最適化する「レスポンシブデザイン」を採用するなど,ニーズに合わせた使い勝手にこだわった改良を続けている。
朝日新聞フォトアーカイブの主力商品は,明治期から昭和にかけての歴史的写真で,特に教科書・教材によく使われている。そのほかには,テレビ番組,一般書籍,雑誌など。近年は利用先,利用方法も増え,各種Webサイト,広告会社,企業の社史などでも利用されるようになってきた。
使われ方もさまざま。皇室や航空史の雑誌などで,朝日新聞フォトアーカイブ所蔵の写真だけを大量に使って一冊の雑誌を作る出版社も出始めた。この分野の写真は所蔵数が多く,種類も豊富で,編集者も使いやすいようだ。最近では,テーマごとに写真をまとめた資料を作り,企画として出版社に持ち込む営業も始めた。
高校野球100年にあたる2015年は,球史に残る名場面や郷土選手の活躍が,多くのメディアで利用された。戦前の甲子園で台湾代表として活躍した嘉義(かぎ)農林の写真は,台湾からの注文もあった。
今後は,WebやSNSなどでの利用が増えることが予想される。手始めとして,スマホ用のカレンダーアプリの会社と契約し,1日ごとに写真が見られる「きょうの記憶――日めくり」「鉄道日めくりカレンダー」などのサービスも展開し始めた。
4.3 最新の写真歴史的な写真だけでなく,現在,日々撮影されている最新のデジタル写真も同じく公開されている。2000年前後からカメラのデジタル化が進み,ネガからのスキャン作業はなくなり,紙面用に出稿された写真は,そのままデジタルデータとしてデータベースに入ってくる。その後,外部公開に適するかどうかを判断したうえで公開される。また,新聞掲載を目的とした記者の書誌情報に加えて,キーワードを補足したり見出しをわかりやすくすることで,資料写真としての価値を高めることも日常作業になる。
通信社ではないため,撮影直後の公開は難しいが,大事件や大事故などについてはリアルタイムに近い形での公開を目指している。海外に向けてもフォトエージェンシー「Getty Images」を通して発信している。特に,東日本大震災関連,環境問題関連,日本の風俗・風習,空撮,動物ものなどの写真がよく利用されている。
4.4 動画新聞社系のアーカイブ事業にとって,写真に加えて,近年では動画が重要なコンテンツとなっている。朝日新聞社は戦前,まだテレビ局が開設される前にニュース映画制作を手がけており,1935年から1940年にかけて制作された「朝日世界ニュース」,1904年から1980年代まで制作された「朝日短編作品集」,戦前の高校野球など数百本の動画を所蔵している。この中には,大正時代に撮影された中等学校野球大会(現在の高校野球)をはじめ,オリンピックの映像,国際連盟脱退の際の松岡洋右首席全権の映像,南極で1年間生き延びていた樺太犬タロ・ジロなど,貴重なものが多い。今後,電子教科書や教材など,教育関係での需要が見込まれている。
また,2010年ごろから,朝日新聞記者が写真に加えて動画も撮影するようになり,最新の動画も蓄積されつつある。火山の噴火や地震,水害,豪雪など,災害,防災関係の動画は,各種の教材にも採用されるなど需要が拡大しつつある。防災教育に力を入れるという政府の方針とも重なる。自社の航空機やヘリコプターからの空撮も新聞社の強みで,火山の噴火や他の自然災害,事件事故などの需要が多い。海外で航空取材することもあり,特に,温暖化の影響を取材した南太平洋のツバルの空撮などは人気が高い。各地のお祭り,動物にかかわる動画など,全国に配置された総支局から送られてくる動画もあり,ラインアップは豊富だ。
朝日新聞フォトアーカイブでは,需要の高まりに応える形で,2015年に動画販売の専用Webサイトを新設(図13)。過去から現在までの動画の扱いを始めた。ニュース素材としての動画は,外国でも扱われるようになっており,今後,アーカイブ事業のもう一つの柱となる可能性を秘めている。
新聞社のアーカイブ部門としては,紙面との連動も欠かせない。毎週土曜日の夕刊(東京本社最終面)では,1964年東京五輪の前後に撮影された写真を使って,「東京五輪物語」(図14)を連載している。写真選びの段階からかかわり,テーマごとに最適な写真を選んでいる。スポーツ部や社会部,地方総局の記者らが,写真に登場する五輪の選手,関係者,五輪を支えた人たちに取材。当時の話を聞いたり,現在につながるエピソードを引き出したりしている。古い写真にあわせて,写真部が現在の写真を撮影,並べて使うこともある。2020年までの継続を目指している。
この他にも,朝日新聞フォトアーカイブがデジタル化した写真を基に企画が立ち上がり,紙面化された例がある。大阪の戦後70年写真連載「あの日の暮らし」は,2015年末に15回連載された。この中で取り上げられた戦後の給食の写真に写っていた少女ご本人(図15)が,紙面を見て連絡してくださるなど,読者との交流にも役立っている。
また,古い写真の撮影場所を記者が訪ねる東京夕刊マリオンの連載「時どき街まち」などの企画は現在も続いている。デジタル化作業を続けることで,さらに新たな写真の発掘,紙面化,さらには他のメディアでの使用も広がってゆく。
デジタル化された写真をどう活用してゆくか。デジタル化した写真をそのまま商品として提示するだけでなく,さまざまな最新機器・技術を使って過去の写真を現在によみがえらせる試みも進めている。
大学との共同研究の形で立ち上げたのが「東京五輪アーカイブ1964~2020」注3)だ。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け,首都大学東京と共同で,デジタル地図の上に写真や記事などを載せたコンテンツを開発中だ。1964年大会当時に朝日新聞社が撮影した5,000枚超のストックから厳選した写真をデジタル地球儀や衛星地図にマッピング。過去の写真を現在の地形や建物の画像と重ねることで,この半世紀における日本人の暮らしや日本の街並みの変遷をたどる。2014年に開発を始め,東京五輪が開かれる2020年に完成予定だ。
大学の授業や,高校の学習の場に活用する試みも進んでいる。2015年12月,首都大学東京の呼びかけに,慶應義塾大学と宮城大学が応じ,デジタルデザインを学ぶ学生ら約30人が「1964年の記憶・記録を2020年につなぐ」を共通課題に,それぞれの授業で写真を用いたアーカイブ作品の制作に取り組んだ。
また,未来を担う高校生たちもアーカイブ制作に参加している。1964年大会の選手や関係者にインタビューし,そこで学んだことを記事化。「東京五輪アーカイブ」のコンテンツとして発信してもらう試みを続けている。これまでに工学院大学附属高等学校などの生徒有志ら延べ100人近くが,サッカーの元日本代表や代々木体育館の構造設計者,五輪ポスターのモデルなどから,東京オリンピックにまつわる貴重な「証言」を引き出した。
アプリとしての開発も視野に入れている。2020年に外国から日本に来た人が,タブレットを持って各地を回り,過去と現在の日本各地の様子,街の移り変わりなどを見ることができるアプリとして作り上げてゆきたい。過去の写真や映像を整備し,最新ツールで現在によみがえらせる。それがデジタル時代のアーカイブの真骨頂といえるかもしれない。
5.2 著作権の保護期間が満了した写真の取り扱い著作権の保護期間が満了した写真の取り扱いをどうするか。
朝日新聞フォトアーカイブでは,数年前から,この課題に取り組んできた。新聞協会の会合などに参加しても,事業としての写真アーカイブに消極的になる理由として,著作権切れの問題がたびたび取り上げられている。せっかく時間とお金をかけて写真をデジタル化し書誌を整えても,著作権の保護期間が満了して,流出の危険などがあるために,社外公開や社外での利用をためらう社が多い。
朝日新聞フォトアーカイブでは,知財部門の助言も受けながら,積極的に古い写真を公開してきた。広く利用してもらいながら,意図しない拡散などに歯止めをかけるため,利用規約の整備にも力を入れ,
①公開している写真には著作権の保護期間が満了している写真が含まれること
②保護期間満了の写真も良質なデータが必要な利用者は,朝日新聞フォトアーカイブからデータを提供することで利用することは可能だが,その際も,貸し出す際に申告した利用目的に限定されること
③保護期間が満了した写真をデータ提供する場合の利用料金は,あくまでデータ提供料であること
などを明記した。また,電話でのやりとりの際に,上記の事項を利用者に丁寧に説明するように心がけている。
歴史的な写真は,近現代史を生き生きと伝える「証言者」であり,人の目に触れてこそ価値が出ると考えている。利用促進のためにはデジタル化は必須である。また,写真整備にはお金も人手もかかるため,適正な利用料金をいただき,その収益でさらに写真の整備を続けてゆくことは,事業体として必要なことだと考えている。世の中には,人の目に触れずに,ずっと埋もれている写真も多い。新聞業界でも,費用の面からデジタル化に踏み出せない会社も多い。フリーの写真家が残した貴重なネガやプリントなどをどう保存してゆくかという点も課題となっている。近現代史を語るうえで欠かせない資料である写真を,いかに世に出し,活用していくか。今後は,新聞写真のデジタル化を通して培ったノウハウを他社と共有し,写真文化を守っていくことも考えてゆきたい。
朝日新聞フォトアーカイブ担当部長。1987年朝日新聞社入社。広島支局,大阪写真部,西部写真部,東京写真部,写真部新潟駐在,東京報道局写真センター(フォトディレクター)などを経て2012年4月から現職。