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過去からのメディア論
過去からのメディア論 カウンターカルチャーとパーソナルコンピューター
大谷 卓史
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2016 年 59 巻 2 号 p. 128-131

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ニューヨークタイムズ紙の記者John Markoffの著書『パソコン創世「第3の神話」』1)は,パーソナルコンピューター(パソコン)の起源を西海岸のカウンターカルチャーとハッカーたちの活動に求める。

パソコンの起源に関する主な物語は,3つある。1つは,自分で組み立てるパソコンキットAltairから始まる物語である。Altairを愛好する趣味のクラブHomebrew Computer Clubの情報共有と協力の文化から,WozniakとJobsの「2人のSteve」のガレージカンパニーが生まれ,最初の組み立て不要のパーソナルコンピューターApple IIが登場したと記述は続く2)3)。もう1つは,ゼロックス社パロアルト研究所(PARC)の先進的な小型コンピューター試作機Altoに起源を求めるもの4)5)。『パソコン創世「第3の神話」』(本書)は,3つ目の物語である。いずれの物語も,一種の伝説・神話のような逸話に満ちている。こうしたことから,同書の邦題「第3の神話」は選ばれたものだ注1)

本書のストーリーは,同書でも言及されるTheodore Roszak『コンピュータの神話学』(成定薫,荒井克弘訳)が描き出した60年代の西海岸文化と時代思潮が,パソコン革命の背景にあるという直観に導かれている。すなわち,この時代の西海岸の文化と時代思潮が,個人が自由自在に活用できるコンピューターによって,個人をエンパワーメントするという思想を生み,この思想がムーアの法則によって小型化が進む半導体技術と結び付くことで,パソコンが生まれたというストーリーだ。

本書が舞台とする地域は,相当に狭い。スタンフォード大学とゼロックス社パロアルト研究所のあるカリフォルニア州パロアルトとその周辺の地域である。この地域で,カウンターカルチャーとエレクトロニクスが化学反応を起こし,パソコンが生まれたというわけである。

パソコンは,人間を拡大(拡張)するテクノロジーの構想の延長上に生まれた。この構想を実現した人物として,本書で描かれるのは,Douglas Engelbart(1925-2013)である注2)

彼は,ビットマップディスプレーやマウス,ハイパーテキスト,グラフィカルユーザーインターフェースなど,現在のパソコンの基礎となるアイデアを統合し,個人が情報を自由自在に検索し活用するデジタル機械を構想した。このように情報を扱うことで,人間の知性が拡大(拡張)されると,Engelbartは考えたのである。

彼が,1960年代,国防総省高等研究計画局(ARPA: Advanced Research Projects Agency)の資金を得て,スタンフォード研究所(SRI: Stanford Research Institute)に設立した拡張研究センター(ARC: Augmentation Research Center)は,人間知性の拡張を目的とするという名前(Augmented Human Intelligent Research Center)を有していた。

1960年代の人間とコンピューターのコミュニケーションは,リアルタイムではないし,対話的でもない。コンピューターは自分自身の身体や知性の延長という感覚を得ることはできないだろう。人間の思考とコンピューターの情報処理は,いわば切断されている。それに対して,Engelbartは,人間を情報の入力・処理・出力のループの中に取り込み,人間の知性を拡大(拡張)することを構想したとされる。

Engelbartの構想の淵源(えんげん)は,Vannevar Bush(1890-1974)のMemexという万能情報検索機械のアイデアだ。

Engelbartは,1945年,レーダー技術者として従軍したフィリピンで,Memexのアイデアに出会った1)。Memexは,個人が利用する本やレコード,手紙などすべての情報をマイクロフィルムに記録し,自由自在に検索して取り出せる情報機械の構想である。Bushは,このような機械が科学知識の急速な蓄積と展開による情報爆発を解決すると考えた6)

その後,Engelbartは,NACA(NASAの前身,国家航空諮問委員会:National Advisory Committee for Aeronautics)のエームズ研究センター(Ames Research Center)で,エレクトロニクスの技術者として働いているとき,自分自身が将来何をなすべきか真剣に悩んだ。結婚を決めて,人生の目標を失ったような気分になっていたのだ。一夜,真剣に自分の将来なすべき事業を沈思し,1つのビジョンを得た。さまざまな記号が並ぶ巨大なスクリーンの前に座り,さまざまなスイッチやノブ,レバーを操作することで,あらゆる情報を整理し,呼び出すことができる装置を自分が操作している。そういう幻想が目の前に現れたという1)

エレクトロニクス版Memexとでもいうべき構想が,1950年代のエレクトロニクスの発展とともに,現在のパソコンを先取りしたようなイメージとして,ぼんやりとしたものながら,Engelbartの心の中で結像したわけだ。

この構想が彼をとらえた。このビジョンを実現しようと,Engelbartはカリフォルニア大学バークレー校に入学してコンピューターについて学び,自由に研究ができる自分の研究所を設立する資金を稼ごうと,SRIに入所した。研究所入所の面接のとき,人間の知性を拡張する機械の構想を口にしたが,面接官はそのような計画は同研究所では口外すべきではないと告げた。あまりにも現実離れした構想に夢中になっていて,業務に支障が出ると思われたら,同研究所は雇用しないだろうからというわけだ1)

1962年,Engelbartは,長年温めてきた構想をまとめ,“Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework”と題する報告を書いた。この報告書によって,ARPAの資金を得て,前出のARCを創設した。彼は,研究者チームを率いて,NLS(oN-Line System)と称するマルチユーザーの統合システムの開発を開始した。

このシステムの重要なカギは,ディスプレー上の好きな位置を指定できるポインティングデバイスだった。Markoffによれば,1962年の報告書執筆時に,Engelbartはマウスのアイデアにほぼ達していた。が,それが完全な設計にまとまるのには,2年の月日が必要だった。彼は,会議中に心ここにあらずという状態で,ポインティングデバイスについて考えているうちに,紙に描かれた図形をなぞって,面積を求めることができる「プラニメーター」という装置の応用を思いついた1)

Engelbartは,2つの車輪に,回転によって電圧を発生するポテンシオメーターを取り付け,それを箱に入れた装置のスケッチを書き上げた。Engelbartにこのスケッチを渡された技術者のBill Englishは,スケッチを基に詳細な設計を行い,木の箱に2つの車輪を詰め込んだ装置が出来上がった。この装置は,当時「CAT」と呼ばれていたディスプレー上のカーソルに対して,マウスと呼ばれるようになった1)

Englishは,レーダーの表示装置をディスプレーとし,マウスをポインティングデバイスとするNLSを統合システムとしてまとめていった1)

1967年には,さらにARPAから資金を得て,翌年にはタイムシェアリングシステムのSDS-940に最大10台のテレビ受像機を同時接続し,キーボードとマウス,5つボタンのキーボードを接続したシステムが出来上がり,ワープロやアウトライン編集,ハイパーテキスト,テレコンファレンス,電子メール,ウィンドウ型ディスプレー,オンラインヘルプ,一貫したユーザーインターフェースなどの機能が実装された注3)1)

1968年には,NLSは,米国最大のコンピューター関連の学会・展示会である秋季連合コンピューター大会(FJCC: Fall Joint Computer Conference)で一般公開された。「稲妻を操る」と称されたデモは,ブラウン大学でハイパーテキストの研究を行ったAndries van Dam(1938-)が,後年このデモを「すべてのデモの母」と呼ぶほど,パーソナルなコンピューターのイメージを完璧に表現したものだった1)

1969年,ARPAネットが最初に結んだ4つの拠点の1つにSRIが選ばれたのは,EngelbartのNLSがそこにあったからだった。

ところで,Engelbartの研究に,当時のカウンターカルチャーはどんな影響を与えたのだろうか。

確かに,Engelbartは,幻覚剤のLSDを試したことがあったらしい。しかし,LSDによる精神の拡張によって得られたアイデアはまったく役立たずのものだった。むしろ退屈な会議中に心を遊ばせることで,彼は有益なアイデアにたどりついた。

そして,もともとのパーソナルなコンピューターのイメージは,BushのMemex構想を紹介する一般向けの科学記事から得たアイデアを基に,自分の将来実現すべき課題を真剣に考え抜くことから生まれたものだ。そもそも個人を拡張するという構想が生まれたのは,カウンターカルチャーの1960年代ではなく,繁栄の1950年代だった。

そうすると,カウンターカルチャーは,パソコンの構想の誕生に無関係だったのだろうか。むしろ自由な精神的冒険を許した時代思潮によって,Engelbartに自由な研究環境が与えられ,自由な発想や研究が可能になったと解釈すべきだろう。後にNLSに結実するEngelbartの構想は,入社時にいったん否定されたものの,SRIは結局のところEngelbartのわがままを認め,ARPAの資金獲得に伴ってその追求を公式のプロジェクトとして採用した。そして,NLSの伝説的なデモは,カウンターカルチャーが花開き世界中が激動を経験した1968年のことだった。

そして,Engelbartの次の世代,つまり,パソコンを商品として仕上げ,応用を探究していった「2人のSteve」や西海岸のハッカーたちが育ったのが,このカウンターカルチャーの時代思潮の中だった。

Markoffの本の登場人物でいえば,『ホールアースカタログ』を発行し,新しいライフスタイルを描いたStewart Brand(1938-)と,それに影響を受けたFred Moore(1941-1997)らが,Engelbartらの研究成果とカウンターカルチャーをつないだ。Mooreは,パソコンを個人の力を解放する道具ととらえ,多くの人々に対して,パソコン啓発活動を行った1)。つまり,この普及過程にこそカウンターカルチャーの思想とその思想に影響を受けた人々が重要であった。

1960年代の自由な時代の雰囲気がEngelbartの自由な研究を可能にし,そして,カウンターカルチャーがパソコンの普及を後押しした。このように考えることができそうだ。

執筆者略歴

  • 大谷 卓史(おおたに たくし)

吉備国際大学アニメーション文化学部准教授。専攻は,情報倫理学・情報通信技術の科学技術史。著書は,『アウト・オブ・コントロール:ネットにおける情報共有・セキュリティ・匿名性』(岩波書店,2008年),土屋俊監修『改訂新版 情報倫理入門』(アイ・ケイ コーポレーション,2014年)など。

本文の注
注1)  原題の“What the Dormouse said”1)は,ロックグループJefferson Airplaneの曲“White Rabbit”の歌詞に由来。『不思議の国のアリス』に登場する「コックリねずみ」(ヤマネ)が「頭に餌をやりなさい」と言っていると歌う。同書のエピグラフ参照。だが,『アリス』に登場する「コックリねずみ」はそのようなせりふを口にしていない。

注2)  Engelbartの伝記には,参考文献7)がある。

注3)  Bill EnglishがNLSを操作する写真が現在も残る。Computer History Museumの下記のWebサイト参照。http://www.computerhistory.org/revolution/input-output/14/350/1883

参考文献
  • 1)  マルコフ, ジョン著; 服部桂訳. パソコン創世「第3の神話」:カウンターカルチャーが育んだ夢. NTT出版, 2007, 432p. (原著 What the Dormouse said: How the sixties counterculture shaped the personal computer industry. Viking, 2005).
  • 2)  Swaine, Michael; Freiberger, Paul. Fire in the valley: The birth and death of the personal computer. 3rd ed., Pragmatic Bookshelf, 2014, 424p.
  • 3)  Cerruzzi, Paul E. A history of modern computing. 2nd ed., MIT Press, 2003, p. 207-242.
  • 4)  スミス, ダグラス K.; アレキサンダー, ロバート C.著; 山崎賢治訳. 取り逃がした未来:世界初のパソコン発明をふいにしたゼロックスの物語. 日本評論社, 2005, 400p. (原著 Fumbling the future: How Xerox invented, then ignored, the first personal computer. iUniverse, 1999).
  • 5)  喜多千草. 起源のインターネット. 青土社, 2005, 310p.
  • 6)  歌田明弘. マルチメディアの巨人:ヴァネヴァー・ブッシュ――原爆・コンピュータ・UFO. ジャストシステム, 1996, 276p.
  • 7)  Bardini, Thierry著; 森田哲訳. ブートストラップ:人間の知的進化を目指して:ダグラス・エンゲルバート,あるいは知られざるコンピュータ研究の先駆者たち. コンピュータ・エージ社, 2002, 455p. (原著 Bootstrapping: Douglas Engelbart, coevolution, and the origins of personal computing. Stanford University Press, 2000).
 
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