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過去からのメディア論
過去からのメディア論 Facebookは大統領選を左右してもよいか:情報倫理学からの視点
大谷 卓史
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2016 年 59 巻 4 号 p. 264-267

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オンライン雑誌『Gizmodo』によると,Facebook創業者のMark Zuckerberg会長兼CEOが,同社開発者向け会議「F8」で,珍しく政治にかかわる発言をしたという。こんな発言だ――「よそ者」("others")を排除する壁を築き,彼らを遠ざけよという恐怖に満ちた声が聞こえる。表現の自由を封鎖せよ,移民の流入にブレーキをかけよ,貿易を減らせ,ある場合には,インターネットアクセスも制限せよ,こんなことを求めているようだ1)

これは,直接の言及こそないが,同カンファレンスの開かれた2016年4月現在,米国大統領予備選挙を戦っているDonald Trump氏を揶揄(やゆ)したものと,同誌はいう。

同誌はさらに,Facebook社内部のメッセージングサービスの画面も入手していた。同社は,毎週Zuckerberg会長兼CEOに対して質問できるQ&Aセッションを設けている。このセッション準備のため,内部ではメッセージングサービスを使って,何を質問したいか投票を行う。3月4日の社内投票では,「2017年Trump大統領を阻止しようとFacebookが助力した場合,何か責任を問えるか?」という項目が用意されていた1)2)注1)

画面写真を見る限り,この項目に投票する社員は少ない。しかし,前出の『Gizmodo』記者Michael Nunezは,Zuckerberg会長兼CEOのF8カンファレンスでの発言やこの内部メッセージを見る限り,同社の姿勢は,シリコンバレーの政治的コンセンサス――移民賛成,貿易賛成,インターネットの拡大賛成に沿ったものだと指摘する1)

ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)による世論操作の問題は,すでに指摘されて久しい。本連載でも,SNSは個々のユーザーの行動を完全にコントロールできないまでも,タイムラインでの投稿の表示を制御することで,ユーザー全体の感情・気分や政治的意見を操作できる可能性があり,ユーザーの同意なくこのような操作を行うのは,不正ではないかと指摘した3)

ところが,『Gizmodo』誌がUCLAの法学教授Eugene Volokhに質問してみたところ,前出のFacebook社内の質問について次のように回答したという――同SNSは,その望むようにどんな素材を表示しようと表示をブロックしようとよい。『New York Times』と同じように合衆国憲法修正第1条の権利を有しているのだから,そうしたいと思うならばTrumpを完全にブロックすればよい。彼を応援してもブロックしても構わないのだ,と。

合衆国憲法修正第1条は,表現・言論の自由を保障するものである。この条文に従えば,Facebookには,一般のマスメディアと同様に何を掲載し,何を掲載しないかを決める編集権があるから,どのような素材を掲載するか掲載しないかを決めるのは,Facebook次第だというわけである。

『Gizmodo』誌記者は,Facebook利用者は『New York Times』読者のように,それぞれの新聞が政治的立場をもって記事の取捨選択を行い,記事を掲載しているとは思わないだろうから,新聞とSNSを同一視して,SNSが記事掲載を左右するのはまずいという議論を立て,Volokh教授に反論する。

合衆国憲法の法理論について,筆者は専門家ではないので,法学的検討はできない。情報倫理学の観点から検討する。まず,表現・言論の自由はなぜ必要か考えよう。

John Stuart Millは,言論の自由における社会的利益を挙げる。彼は,『自由論』で,私たちは絶対的に無謬(むびゅう)ではありえないから,多様な意見に耳を傾けなければ,真理に到達しえないと議論し,この観点から,言論の自由を擁護する。これが,言論・表現の自由の社会的利益の一つである(第2章)4)

米国においては,「言論の自由」を擁護するに当たって,「言論の自由市場」または「思想の自由市場」(market of ideas)の比喩が使われることがあるが,このアイデアの基は,Millの議論だともいわれる5)

Millの主張の根拠は,およそ他者に危害を加えない限りは,判断能力のある大人の行為や生活に,政府や社会は干渉すべきではないという「他者危害原則(危害原則)」である4)6)注2)

ところで,世論に関する詳細な検討を加えたジャーナリスト・社会学者のWalter Lippmannによれば,マスメディアの機能は,私たちが環境に反応するために必要となる情報・知識を提供することである3)7)8)

ただし,私たちは,複雑な環境そのものを知ることはできない。現代風にいえば,認知限界(認知心理学者Herbert A. Simonの用語でいえば,「限定的合理性9)」)があるゆえに,複雑すぎる環境を認識できないので,環境を単純化するため,現実を抽象化したり一部切り取ったりする認知図式を活用せざるをえない10)

Lippmannが指摘した「ステレオタイプ」も粗い認知図式の一種である。この認知図式を通して得られた疑似環境に対して,私たちは反応して行為する。

マスメディアは,私たちが直接経験できるわけではない時間的・空間的に離れた場所で起こった出来事について,その解釈も含めて環境に関する情報・知識を提供する。

マスメディアが提供する疑似環境に応じて私たちは自分の意見をつくる。そして,集合的な公衆の意見,すなわち世論(public opinion)を形成するに当たっても,マスメディアが提供する疑似環境の情報・知識はとても重要である。そして,世論は民主主義社会を動かすものであるから,世論もとても重要である3)

ただし,Lippmannによれば,私たちは,皆が皆,自発的に政治上の全問題について健全な意見をもつようにはならないだろう。自分たちに影響ある,あらゆる社会的出来事について意見をもとうとすれば,苦労も時間も必要である。ところが,皆自分の仕事で忙しいのだから,誰も自分からあらゆる社会的出来事について意見をもちたいと思うとは考えられない。むしろ誰かが,皆が直接見聞できない世界の現実に基づいて,理解が容易な図面をつくり,そして,自余の人々はそれに従うこととなるだろう。そして,社会が複雑になればなるほど,この図面づくりを行う専門家が多く必要とされるだろうと,Lippmannはいう7)

当然新聞などのマスメディアの記者・編集者がその図面づくりの専門家として期待されるわけだが,新聞のニュースは現実の出来事すべてを取り上げて,鏡のように正確に反映したものだというわけではない。何か現実の中から突出してきた事実の兆しのようなものを取り上げ,それを認知図式に従ってわかりやすく書いたものにすぎない7)注3)

ニュースは一つの事件の存在を合図し,その合図の中に隠されている事実に光を当て,相互に関連付ける。そして,人々がそれをよりどころとして行動できるような現実の姿を(一定のゆがみをもつものとして)浮かび上がらせる。社会的諸条件が認知・測定可能な形を取るようなところ以外では,ニュースと真実は同一物ではない7)

Lippmannは,読者の意見や好みの偏りによって,新聞の論調が決められる危険性があると述べている7)。ところが,個別の新聞の政治的見解やその他意見の偏りを正すべきだとは,主張していない点に注意しよう。

Lippmannの議論を補うならば,不完全かつ歪曲(わいきょく)を伴っても現実の環境を推定させる疑似環境を提供する機能は,個別の新聞やメディアが提供するわけではなく,多様な政治的立場や読者の好み・偏りを反映する多数のメディアが全体としてつくりあげている一種のエコシステムが担うものだと考えられる。このエコシステムを健全に維持するため,言論・表現の自由が必要なのである(ただし,言論・表現の自由さえあれば,言論のエコシステムが健全になるとは限らない)。

Millが指摘するように,私たちは可謬的(かびゅうてき)存在であるから,社会には多様な言論が存在する方が,さまざまな対立する意見を比較検討して,真理へと至ることができるようになる。その多様な意見や解釈を提示する多様なメディアがあってこそ,私たちの直接見聞が届かない領域を含む現実へと至ることができる。ここに言論・表現の自由の必要性がある。

すなわち,LippmannとMillの議論に従えば,多種多様な政治的立場やその他の意見・解釈が存在し,同時に,それらが自由に表現・出版できるという社会であれば,個別の一つの記事や番組,あるいは個別のメディアの政治的立場やその他の意見・解釈が偏向していても構わない。言論・表現の自由の下で,私たちはさまざまな意見や解釈を戦わせることで,やがてはそれらの不完全な点や誤りなどを認識し,より真理へと近づいていくことができるはずだからである。そして,社会的意思決定に役立つように,私たちを取り囲む環境をよりよく認識できるようになる。

翻って,現在のインターネットはどうだろうか。まず,SNSは,多数の知り合いやフォローする有名人のシェアするニュースや意見,解釈などに満ちていて,私たちにとっては,まるごと一つの世界や現実の反映のようにみえるものである。

一見したところ,従来のメディアの世界のような多様性があるようにみえるものの,自分自身が選択した,あるいはSNS側が気を利かせて(?)私好みに調整してくれたニュースや意見,解釈が提示されているにすぎない。したがって,現実を反映する疑似環境としては極めて限定的であるとともに,私個人の好み・関心が影を落とす認知図式によってゆがんでいると考えられる。

そのうえ,SNS側で,それと知らせずにそのSNSのよしとするニュースを提示し,SNSが好ましくないとするニュースをブロックするならば,当然のことながら,現実に対する見方はさらに偏ったものとなる。

ただし,マスメディアなどのメディアが人間に及ぼす影響はそれほど単純ではない。人間は自分自身の必要や興味・利害によってマスメディアの情報の取捨選択や解釈を行うという理論は,すでに60年代には,「利用と満足」の理論として,マスコミュニケーション効果研究にはあった。さらに,近年においては,情報の受け手が所属するサブカルチャーの影響を受けると指摘する研究もある11)

SNSがやっかいなのは,おそらくマスメディアよりも強く人々の意見を左右するのではないかと推測できる点である。なぜならば,サブカルチャーの影響を人々が強く受けるとしたら,SNSでは,自分が所属するネットワークの人々の意見や解釈と,SNSの取捨選択したニュース,意見・解釈などが混在して提供されることから,後者を前者と混同して,私たちはSNSが取捨選択して提示した情報・意見・解釈をより強く受容しやすくなるかもしれない。この仮説に関しては,経験的研究を待つほかない。

私たちはメディアによる影響を受ける一方,人的ネットワークにおけるおしゃべりや意見・解釈の交換によって,サブカルチャーや社会全体の「世論」づくりに参加することもできる。この点で,SNSはボトムアップでの世論づくりの重要なツールとして期待しうる。しかし,同時に世論調査の道具として利用される危険もある。SNS側の自主的なルールづくりや,社会に対する「こうしたことはしない」という宣言(いわば,学協会の倫理綱領のようなもの)が必要と思われる。

本文の注
注1)  参考文献2)は1)の抄訳である。

注2)  ところで,Millは,言論の自由を認める一方で,生活の実験を擁護している。つまり,生活の実験は,人類の進歩のためにも,個性の自由な発展という個人の幸福のためにも重要だと主張する。他者に危害が及ばず,当人たちが同意している限りは,その生活の実験に対して,政府や社会(世論)が介入すべきではないということになる(第3章)。

このMillの議論は,昨今の芸能人や有名人の不倫問題に対して,マスメディアやネットでの議論が過熱することに対する批判となるだろう。「不倫」とされる婚姻関係にある者が婚姻相手以外と性的関係をもつことは,それらの当事者が納得している限りは,法律で規制するのも世論による非難や暴露を行うのも,他者危害原則から制限されるべき,ということになろう。

すなわち,他者危害原則は,言論の自由を支えるとともに,その限界の一部も規定する。

注3)  文明史家のDaniel Boorstinによれば,19世紀以来メディアは,事実の報道よりも,実際の出来事よりも本物らしく,しかも劇的で理解しやすいように人工的につくられた出来事――疑似イベント(pseudo-event)を報じるようになったと指摘する。政治家・芸能人のインタビューや記者会見,記念式典等が,疑似イベントの典型的なものである。疑似イベントが新聞紙面やテレビニュースを埋めるようになったのは,人々が行動を起こすための現実の鏡としてニュースを求めるだけでなく,人々が娯楽としてニュースを求めるようになったことがその背景にある12)

参考文献
  • 1)  Nunez, Michael. "Facebook employees asked Mark Zuckerberg if they should try to stop a Donald Trump presidency". Gizmodo. 2016-04-15. http://gizmodo.com/facebook-employees-asked-mark-zuckerberg-if-they-should-1771012990, (accessed 2016-05-02).
  • 2)  Nunez, Michael著; satomi訳. “フェイスブックはドナルド・トランプ潰そうと思えば潰せる。法的には無問題”. Gizmodo. 2016-04-19. http://www.gizmodo.jp/2016/04/post_664494.html, (accessed 2016-05-23).
  • 3)  大谷卓史. 過去からのメディア論:SNSは世論を製造するか?. 情報管理. 2014, vol. 57, no. 6, p. 420-422. http://doi.org/10.1241/johokanri.57.420, (accessed 2016-05-23).
  • 4)  ミル, J. S.著; 塩尻公明, 木村健康訳. 自由論. 岩波書店, 1971, 288p. (原著 Mill, J. S. On liberty. John W. Parker & Son, 1859).
  • 5)  大谷卓史. メディアの現代史47:匿名と「言論の自由市場」. みすず. 2013, no. 621, p. 2-3.
  • 6)  Feinberg, Joel. Harm to others. Oxford University Press, 1987, 288p., (The Moral Limits of the Criminal Law, Volume 1).
  • 7)  リップマン, ウォルター著; 掛川トミ子訳. 世論 上. 岩波書店, 1987, 270p. (原著 Lippmann, W. Public opinion. Macmillan, 1954).
  • 8)  リップマン, ウォルター著; 掛川トミ子訳. 世論 下. 岩波書店, 1987, 297p. (原著 Lippmann, W. Public opinion. Macmillan, 1954).
  • 9)  サイモン, A. ハーバート著; 稲葉元吉, 吉原英樹訳. システムの科学. 第3版, パーソナルメディア, 1999, 331p. (原著 Simon, H. A. The Sciences of the artificial, 3rd edition. The MIT Press, 1996).
  • 10)  ゼックミスタ, E. B.; ジョンソン, J. E.著; 宮元博章ほか訳. クリティカルシンキング:あなたの思考をガイドする40の原則 入門篇. 北大路書房, 1996, 250p. (原著 Zechmeister, E. B.; Johnson, J. E. Critical thinking : a functional approach. Brooks/Cole Publishing, 1992).
  • 11)  田崎篤郎, 児島和人編著. マス・コミュニケーション効果研究の展開. 改訂新版, 北樹出版, 2003, 171p.
  • 12)  ブーアスティン, ダニエル J.著; 後藤和彦, 星野郁美訳. 幻影 (イメジ) の時代:マスコミが製造する事実. 東京創元社, 1964, 340p. (原著 Boorstin, D. J. The image : or, What happened to the American dream. Atheneum, 1962).
 
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