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視点
視点 東日本大震災アーカイブ「みちのく震録伝」:自治体の震災アーカイブの連携と支援
柴山 明寛
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2016 年 59 巻 6 号 p. 399-403

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1. はじめに

1回目の「視点」注1)では,東日本大震災のアーカイブ「みちのく震録伝」について,「アーカイブとは」と「みちのく震録伝とは」について紹介させていただいた。

2回目の「視点」では,「みちのく震録伝」がかかわってきた自治体の震災アーカイブの連携・支援について紹介する。

東日本大震災は,民間からNPO,大学,企業,自治体など,さまざまな業態で震災アーカイブが構築されてきた。これは,近年の災害で見られない行動であり,特殊な事例ともいえる。その中で,震災から数年経過した後に,自治体が震災アーカイブを立ち上げた。なぜ,自治体の震災アーカイブの構築が遅れたのか,また,なぜ現在,自治体が熱心にアーカイブを構築し始めているのかを,「みちのく震録伝」が支援にかかわってきた立場から述べたいと思う。

2. 東日本大震災アーカイブの歴史

自治体の震災アーカイブの話の前に,震災アーカイブの歴史について,振り返りながら,どのようにして構築されていったのかを説明する。まず,震災アーカイブの定義としては,さまざまな定義があるが,本稿では,震災記録をデジタル化・データベース化し,Web上で検索,閲覧,管理できるものを震災アーカイブとさせていただく。

1回目の「視点」で記載しているとおり,2011年6月25日東日本大震災復興構想会議において,復興構想7原則の原則1「大震災の記録を永遠に残し,広く学術関係者により科学的に分析し,その教訓を次世代に伝承し,国内外に発信する」との提言が発信され,数多くの震災アーカイブ構築の動きが見られたが,実は,2011年6月の復興構想の提言以前から震災アーカイブの構築の動きがあった。

震災から1か月後にYahoo! Japanによる「東日本大震災 写真保存プロジェクト」が立ち上がり,一般市民からの写真の収集が開始され,2011年6月からWeb上で公開を行っている。また,Googleは,震災直後から震災前後の衛星写真の公開を始め,2011年6月に「未来へのキオク」を開始し,一般市民からの写真等の公開が始まっている。被災地の中心であったせんだいメディアテークでは,「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が2011年5月に立ち上げを行い,震災記録の収集や映像編集の支援などを行い,震災記録をWeb上に公開している。また,2011年6月には,防災科学技術研究所とその他関係者で「311まるごとアーカイブス」,2011年9月には,東北大の「みちのく震録伝」が開始された。

震災から1年が経過し,2012年3月にメディア関係で初めて日本放送協会「NHK東日本大震災アーカイブス」で証言記録が公開され,2012年9月には,FNNが「3.11 忘れない ~FNN東日本大震災アーカイブ~」を公開した。

2012年9月から総務省「東日本大震災アーカイブ」基盤構築プロジェクトが開始され,2013年3月に「あおもりデジタルアーカイブシステム」「陸前高田震災アーカイブNAVI」「みちのく震録伝 検索システム」「河北新報 震災アーカイブ」「東日本大震災アーカイブFukusima」の5つのシステムと国立国会図書館の「ひなぎく」が構築され,公開された。総務省プロジェクトでは,自治体からの協力で震災記録の収集等がなされているが,運営自体は大学等で行われていた。そのため,自治体独自での震災アーカイブの構築と運用はこの頃はされていない。その後,赤十字原子力災害情報センターやハーバード大学などでもアーカイブの構築がなされている。

3. 自治体による震災アーカイブの立ち上げ

自治体が主体となり,震災アーカイブを構築し,Web上で公開したのは,2014年3月の宮城県多賀城市「たがじょう見聞憶」1)が最初である。ただし,2012年12月には仙台市の「フォトアーカイブ 東日本大震災―仙台復興のキセキ」が,2013年3月には東松島市の「ICT地域の絆保存プロジェクト」などが,いち早く震災記録のWeb公開をしているが,データベース化まではされていなかった(東松島市はその後データベース化された)。

2014年4月に「青森震災アーカイブ」(八戸市,三沢市,おいらせ町,階上町の青森県内4つの市・町合同で構築)が公開され,2015年3月に「久慈・野田・普代 震災アーカイブ」(久慈市,野田村,普代村の岩手県内3つの市・村合同で構築),宮城県気仙沼市,福島県郡山市,千葉県浦安市のそれぞれが震災アーカイブを公開した。2015年6月には,宮城県下の自治体が「東日本大震災アーカイブ宮城」を公開した。

岩手県は,他の自治体アーカイブの構築とは異なり,実際の震災アーカイブ構築前に収集内容や整理方法,活用方法についての内容を精査するために有識者委員会を開き,「震災津波関連資料の収集・活用等に係るガイドライン」2)を2016年4月に策定し,Web上に公開した。岩手県は,このガイドラインを基に,2016年度中に震災アーカイブ構築を予定している。

このように,企業やメディア,研究機関は,震災直後から震災アーカイブの構築を始めているのに対して,自治体は,震災から2年後に震災アーカイブの構築に着手し,その後1年をかけて「たがじょう見聞憶」や「青森震災アーカイブ」を公開している。自治体の震災アーカイブの構築が遅れた理由はいくつかあるが,被災者の生活再建や,震災復興が優先されており,被災者からアーカイブ構築の理解を得るのが難しかったことが主な要因といえる。

4. 宮城県多賀城市「たがじょう見聞憶」の支援

本学では,2012年末から多賀城市との協議を繰り返し,2013年2月10日に東北大学災害科学国際研究所と多賀城市で包括協定を結んだ。包括協定の中には,震災の経験・記憶の風化防止のために震災アーカイブへの協力内容も含まれ,「みちのく震録伝」は,多賀城市の震災アーカイブ構築のための支援に着手した。多賀城市が震災アーカイブの構築に着手した理由は,震災復興計画(2011年12月21日策定)3)の施策ポイントとして「震災経験の伝承と世界への発信」を掲げ,地震・津波ミュージアム構想や市民への伝承のための震災記録の整理を考えたからである。震災記録としては,2013年4月に東日本大震災の記録誌を刊行してはいたが,震災から1年後までの記録であり,復旧・復興までの記録の収集がなされていなかった。

多賀城市の震災アーカイブの構築は,苦労の連続であった。まず,記録誌や他の出版物等で掲載した震災記録を震災アーカイブのコンテンツとして再利用することの難しさが挙げられる。たとえば,記録誌には,写真撮影者や証言者の著作権,出版社の著作権等が存在する。これらは,記録誌のための利用に限った著作権処理のみが行われ,震災アーカイブWebサイト等で利用するための著作権(複製権)やインターネット公開で必要となる著作権(公衆送信権)が著作者に対して取られていなかった。これは,他の自治体でも同様なことが発生しており,記録誌の証言記録を個別に震災アーカイブWebサイトで公開することなどができない状況になっていた。もし,震災アーカイブWebサイトで記録誌に掲載されている証言記録を個別に公開する場合などは,再度,著作者に対して利用許諾等の権利処理が必要となった。ただし,これらの問題は,震災アーカイブや市の刊行物,防災教育(副読本等)など,さまざまな利用用途を想定した利用許諾の権利処理を行うことで回避することが可能である。

次に苦労したのは,市役所内に分散している震災資料群をいかに収集するかである。多賀城市は人口約6万人,市役所職員約450名の,宮城県では中規模の自治体である。震災記録と一言でいっても多岐にわたる中で,どの書類や写真を提出すればよいのか,部署内で議論が出て,当初は記録がほとんど集まらなかった。そのため,震災アーカイブの構築の中心となった地域コミュニティ課の職員が,震災記録の例を見せながら各部署に説明してまわった。また,同時に東日本大震災以外の自然災害資料の収集も行った。これは,多賀城市は,豪雨災害や過去の震災で多くの被害があり,その経験も東日本大震災の対応に生かされている部分があったためである。震災前の自然災害まで収集範囲に加えているのは,他の自治体の震災アーカイブとは異なる点でもあった。

これら集められた記録の整理にも苦労した。特に苦労したのは,数多くの震災当時の写真が集まったが,場所情報のないものがほとんどで位置を特定できなかったことである。今後の津波災害で同じような被害を繰り返さないためにも,被災場所の情報は重要である。そのため,震災から1か月以内のものに絞り,写真の撮影場所を職員が目視で判別する作業を行った。また,大量にある写真の分類方法も苦労した。「みちのく震録伝」は,写真を分類する方法として,1枚1枚の写真の内容を判断し,写っている内容をタグとして付与している。たとえば,神社と人波が写っていたら,「神社」や「神社の名前」「群集」「人」などのタグ付けを行う。しかしながら,膨大な資料でかつ時間がない中ですべてのタグ付けをするのは困難を極めた。そのため,今後の管理のしやすさを勘案し,提出していただいた部署名と,部署で管理していたフォルダ名をタグとして用いた。この方法で分類することで,以前の半分以下の時間で分類を行うことができた。

その他,さまざまな苦労があったが,震災アーカイブの担当者であった地域コミュニティ課の協力を得て,充実した震災アーカイブが構築できた(1)。やはり,震災アーカイブの構築は,外部からの手だけではよいものを作るのは困難であり,いかに職員の中で,この被害を後世へ伝え残すかの意識をもっている方がいるかいないかで完成度合いが異なることを実感した。「たがじょう見聞憶」は,構築から2年が経過しているものの,被災自治体の震災アーカイブの見本となっている。

図1 宮城県多賀城市「たがじょう見聞憶」のトップ画面

5. 岩手県ガイドラインへの支援

筆者は,2015年に「岩手県震災津波関連資料収集活用有識者会議」の副委員長と下部組織のワーキンググループ構成員を務め,「震災津波関連資料の収集・活用等に係るガイドライン」2)(以下,岩手県ガイドライン)の策定にかかわらせていただいた。有識者会議は,全部で4回開催され,震災津波関連資料の定義から収集範囲,整理方法,活用方法に至るまでのガイドラインを策定した。震災アーカイブには,もう一つのガイドラインとして,2013年3月に策定された総務省「震災関連デジタルアーカイブ構築・運用のためのガイドライン」4)(以下,総務省ガイドライン)があり,筆者もその策定にかかわっていた。総務省ガイドラインは幅広い内容を網羅するために,354ページにわたる内容となっている。しかしながら,総務省ガイドラインは数多くの事例は掲載されているものの,自治体の震災アーカイブをどのように作成すればよいかなど,個別事例までは網羅できていなかった。そのため,岩手県では,ガイドラインをあらためて作成することとなった。岩手県ガイドラインのページ数は,全94ページで構成され,一部,総務省ガイドラインを参照するかたちで作られている。

岩手県ガイドラインでは,震災津波関連資料の定義や収集・活用の目的の明確化,権利処理,収集範囲などを中心に議論が行われた。特に,権利処理,収集範囲については,議論を要した。

まず,権利処理については,著作権や人格権(肖像権など),所有権の再整理を行った。これは,権利処理が不十分な場合,集められた記録の利活用に大きな制限がかかってしまうことと,記録の提供者の不利益につながる可能性があるためである。そのため,権利者の特定方法や同意書など,10ページ以上にわたり詳しく説明がなされている。また,権利処理の中で,公開基準についても言及しており,一般公開(Web公開等),限定公開(限定されたコミュニティーに公開),一部公開(マスキング処理により公開),非公開という,4つの区分を設けている。ただし,この公開基準については,「今後の時代背景や提供者の考え方の変化がある可能性があるため,有識者会議や県民の理解を得たうえで見直しする」と今後のさまざまな可能性を考慮に入れている。

次に収集範囲の定義についても苦労をした。震災津波関連資料の収集範囲を決める際に,震災前後そして人間社会にかかわることすべてが資料になりうるものである。そのため,岩手県ガイドラインでは,地域防災計画と復興計画を基準として収集範囲を決定している。地域防災計画には,震災に関するあらゆる防災対策が網羅されており,今後の利活用を考えるうえで地域防災計画が基準になっていることで,他の自治体でも利活用することが容易になるためである。また,地域防災計画では網羅できない範囲としては,復興活動の内容があり,それは復興計画でカバーすることとしている。しかしながら,これらに含まれない内容がある可能性もあるため,収集の留意事項で常に検討する継続課題として挙げている。

6. 震災記録の喪失の問題

多賀城市と岩手県の事例について述べたが,2つに共通する問題があった。それは,記録の価値に気付かず,震災記録を破棄してしまう,もしくは破棄されてしまうという問題である。たとえば,自治体では,震災当時は重要として残された記録も,定期的な人事異動の関係で担当者が代わり,引き継ぎ漏れなどで破棄されてしまうこともある。また,公開資料を作成するための一次資料などは,必要がないと判断され破棄されてしまうこともある。このような貴重な資料を破棄しないように,内閣府が「東日本大震災に関する行政文書ファイル等の扱いについて(2012年4月10日付)」5)を各行政機関向けに通達し,保存期間の設定に際しては,東日本大震災に関する行政文書ファイルが歴史公文書等に該当する可能性が高いことに留意することと記載されている。また,それを受けて各自治体では,当面の間は破棄しないように通達を出している(岩手県ガイドライン,岩手県(知事部局)における震災津波関連資料の保管に関する通知)2)。しかし,震災直後の災害対策本部で使用した模造紙や手書きメモが公文書に該当するかが曖昧になっており,捨てられているケースもみられた。

7. まとめ

「みちのく震録伝」がかかわってきた自治体の震災アーカイブの連携・支援について,震災アーカイブの歴史,宮城県多賀城市「たがじょう見聞憶」の事例,岩手県ガイドラインの事例,震災記録の喪失の問題について述べた。自治体の震災アーカイブは,これから着手する自治体も数多くあり,今後もさまざまな問題点の解決のために,「みちのく震録伝」で培ってきた知見を伝えていきたいと考えている。さらに,「みちのく震録伝」では,自治体のアーカイブ支援だけではなく,企業等のアーカイブ支援も行っており,さまざまな知見を今後生かしていきたいと考えている。

執筆者略歴

  • 柴山 明寛(しばやま あきひろ) 

1999年東海大学工学部建築学科卒。2006年工学院大学大学院建築学専攻 修了。同年東北大学研究員,2007年(独)情報通信研究機構研究員,2008年東北大学助教を経て,2012年から同大学准教授。博士(工学)。以来,災害アーカイブ研究に従事。2013年 IBM Faculty Award受賞,2015年文部科学大臣表彰(振興部門)受賞。

本文の注
注1)  視点 東日本大震災のアーカイブ「みちのく震録伝」の立ち上げと今後:http://doi.org/10.1241/johokanri.59.123

参考文献
 
© 2016 Japan Science and Technology Agency
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