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競争戦略としてのユーザーエクスペリエンスデザイン:「買い手市場」を勝ち抜くためのヒント
泉 浩人
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2016 年 59 巻 8 号 p. 535-543

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著者抄録

今日,市場には多くの商品やサービスがあふれ,消費者には多様な選択肢が与えられている。一方,インターネットやスマートフォンの普及により,消費者は,どこにいても,商品・サービスの機能や価格を,瞬時にかつ簡単に比較・検討することができるようになった。購入や利用の決定に関する主導権が「買い手」に移る中,「売り手」は機能や性能,価格といった「伝統的」な要素だけで,自らを差別化することは難しくなっている。そこで重要になるのがユーザーエクスペリエンス(UX)だ。商品やサービスの購入や利用にまつわる一連の体験を快適で便利なものにできなければ,消費者の心をつかみ続けることは難しい。それゆえ,UXデザインは,意匠や機能のデザインにとどまる問題ではなく,経営を左右する重要な課題の一つになりつつある。

1. はじめに

近年,人々の情報収集や,商品・サービスの購入・利用の方法が劇的に変化する中,経営戦略上の新たな課題として関心を集めているのが「ユーザーエクスペリエンス(User Experience,以下UX)」である。

もちろん,価格や,商品・サービスのユニークさといったことも,企業の競争力や優位性を考えるうえで,引き続き,重要な課題であることに変わりはない。競合他社と似たような商品・サービスであっても,より安い価格で提供するか,もしくは,競合他社が手がけていない領域にいち早く進出することができれば,競合他社よりも,多くの顧客や売り上げを獲得できる可能性は高くなる。

だが,インターネットやスマートフォンの急速な普及により,消費者は,商品やサービスに関する情報をいつでも簡単に入手することができるようになり,さらにそれらを瞬時に比較・検討する術(すべ)まで手に入れた。こうした変化の中,最良のUXの提供は,あまたある競合の中から,自らを効果的に差別化するための「第3の要因」として注目を集めているのである。

本稿では,UXについての基本的な考え方を紹介したうえで,それが企業の経営戦略を考えるうえで,なぜ重要になっているのかを考えていく。

2. UXとは何か

新しい概念が生まれ,広まっていく過程ではよくあることだが,UXについても,人によって,まだその解釈や定義には,結構なバラツキがあるようだ。UXに関する統一した定義や解釈を与えることは,必ずしも本稿の目的ではないが,読者の無用な混乱を避けるため,本稿で取り上げるUXの定義については,少し整理をしておきたい。

米国でUXに関するコンサルティング会社 ニールセン・ノーマン・グループを経営するヤコブ・ニールセン氏は,UXについて「“User experience” encompasses all aspects of the end-userʼs interaction with the company, its services, and its products.」という説明をしている1)

これを日本語に訳すならば,「消費者が,企業やその製品・サービスにかかわることで生み出されるすべての経験や体験」といったことになるだろう。

とはいえ,UXという考え方になじみの薄い読者には,これでも,まだかなり抽象的でわかりづらいのではないだろうか。そこで,多くの読者にもなじみが深いと思われるいくつかの言葉や概念と対比しながら,UXとは何かを考えてみたい。

2.1 ユーザビリティー

ユーザビリティーは,製品やサービスの「使い勝手」を表す言葉である。たとえば,Webサイトやモバイルアプリのメニューの内容がわかりづらい,フォームの入力が複雑過ぎるといったことは,いずれもユーザビリティー上の問題であり,これらを改善することができれば,Webサイトやアプリの使い勝手=ユーザビリティーを高めることができる。

言うまでもなく,ユーザビリティーの改善は,UXの改善にもつながる。ただ,ユーザビリティーの改善においては,「すでに提供されている機能や性能の改善」に重きが置かれることが多い。

たとえば,ホテルの予約サイトの入力フォームを改善して,ユーザビリティーを高めることができれば,より多くの予約を獲得できるようになるだろう。だが,予約フォームの改善をどんなに突き詰めても,その先に,Airbnbのような新たなサービスは生まれてこない。

Airbnbは「安くても清潔で安心して泊まれるところを探したい」という旅行者のニーズに応えるにはどうすればよいかを考えた結果,個人間の民泊をインターネットで仲介するという新たな宿泊体験(UX)の創造に行きついた。

今よりも速く走れるようにと,馬車にどんなに改善を加えても,それが自動車の発明にはつながらないのと同じで,「ユーザビリティー」をどんなに改善しても,それが常に,新たなUXの創造につながるとは限らない。

そういう意味で,ユーザビリティーの改善は,UXにも大きなインパクトを与えるものの,あくまでもUXを構成する一つの要素にすぎない,と考えるべきであろう。

2.2 ユーザーインターフェース(UI)

これもUXとしばしば一緒に,あるいは混同して使われることが多い言葉だが,これは,製品やサービスの見た目や形状・デザインを表すものである。

特にWebサイトやモバイルアプリのユーザビリティーには,UIの良しあしが大きな影響を与える。適切なUIの設計やデザインは,ユーザビリティーの改善を通して,最終的にはUXの改善・向上につながっていく,という関係にある。

ところで,これまで,製品やサービスのUIデザインには,主に,プロダクトデザイナーやWebデザイナーと呼ばれる人たちが携わってきた。そのため,ビジネスチャンスを広げるために,自らを「UXデザイナー」と名乗るケースも増えているようだ。だが,彼らの一人ひとりが,本当にUIデザインの先にあるユーザビリティーの改善,ひいては最良のUXの提供のために必要な知識や経験を持ち合わせているかは,十分に吟味する必要があるだろう。

2.3 カスタマーエクスペリエンス(CX)

CXについては,これまでも重要な経営課題の一つとして,多くの企業が努力や工夫を重ねてきた。CXの改善には,単に製品やサービスのユーザビリティーを高めるだけでなく,たとえば,店頭での接客や,電話でのカスタマーサポート,さらにはアフターサービスの充実なども含め,商品やサービスを利用する顧客に,現在および将来にわたり,快適な利用体験を提供することが大切である,ということがいわれてきた。

そういう意味で,CXとUXには,共通する点も多い。だが,UXを考えるうえでは,ユーザーが「カスタマー」になる前の段階,つまり,商品やサービスが実際に選択・購入される前の段階においても,企業が消費者にどう働きかけるかが重要となる。

たとえば,百貨店は,接客から販売・配送・返品・交換といったさまざまなプロセスにおいて,サービスの品質を向上させることで最良のCX実現を目指す。だが,多くの消費者は,たとえば洋服を買いたいと思ったとき,まずはインターネットでブランドや商品・ショップの情報を検索し,その結果,百貨店には行かず,ネット通販で購入することを選択するかもしれない。

つまり,百貨店の経営においては,来店・購入後のCXも重要だが,そもそも洋服を買うという消費者の一連の行動や思考過程にどうかかわり,そこで,どのようなUXを提供できるかも重要になっている。

特に今日,多くの消費者は,店頭に来てからも,スマートフォンで,ブランドや商品の情報をチェックする「ショールーミング」と呼ばれる行動をとっている。その多くは,店頭で実物の商品を確認したうえで,「ネットなら,同じ商品を,もっと安く買えないか?」と調べているのである。

価格だけを比較すれば,店舗運営にかかる経費が少ない分,ネットショップで買った方が安くなるケースは多い。そうなると,百貨店としては「多少価格は高くとも店舗で買うべき理由」を提示できなければ,顧客を失うことになる。

こうした消費者行動の変化を踏まえ,ロンドンの百貨店チェーンJohn Lewisでは,数年前からモバイルサイトやスマートフォンアプリの開発に大規模な投資を行っている。だが,その目的は単にモバイル通販を強化するだけにとどまらない。特に注目を集めているのは,他社に先駆けて導入した“Click & collect”という機能で,利用者は,ネットで注文しておけば,指定した最寄りの店舗で商品を受け取ることができる(1)。

日中留守がちな人でも確実に商品が受け取れたり,パーティーに行く途中でプレゼントに買った商品をピックアップできたりと,利用者にとっては非常に便利なサービスだ。2008年には35万件だった利用件数が,現在では600万件に増加していることからも,その好評ぶりがうかがえる。もちろん,商品の受け取りに来る人が増えれば,当然店舗での「ついで買い」という需要も生み出すことができる。

こうしたJohn Lewisの戦略は,ネットとリアルといった垣根にとらわれず,「どうすれば百貨店での買い物体験を,より便利で快適なものにできるか」というUX指向があったからこそ,生まれたものといえるだろう。

一方,日本では,いくつかの大手百貨店で,洋服を試着した姿をスマートフォンで撮影することを禁止していると話題になった。百貨店にしてみると,写真だけ撮られて,後でネットで買われてはたまらない,という思いもあるのだろう。

だが,片時もスマートフォンを手放さないという消費者のライフスタイルを無視して,写真撮影だけを禁じたところで,それが「百貨店で買う」理由になるだろうか。こうした,UXという視点を欠く,独り善がりの戦略は,むしろ,百貨店から消費者の足を遠ざけてしまうことにもなりかねない。

図1 John Lewisのモバイルアプリ

3. UXが企業の競争力を左右する時代へ

前述のとおり,UXとは,ユーザビリティーやUI・CXの改善などを包含した概念ではあるものの,個々の要素については,これまでも企業の経営課題の一つとして認識はされてきた。にもかかわらず,なぜ,近年,UXが重要な経営課題と考えられるようになっているのだろうか。

3.1 過剰な選択肢を前に立ちすくむ消費者

今も昔も,旅行代理店の棚には,国内外のパッケージツアーやホテルに関する膨大な数のパンフレットが置かれている。そういう意味で,消費者には以前から多くの選択肢を与えられていた。

だが,旅行代理店の店頭にあるすべてのパンフレットの中から,最適な選択をすることは,物理的にも時間的にも不可能だ。このため,消費者は,旅行代理店のスタッフに相談しながら,どのツアーやホテルを選ぶかを決めてきたのである。

この状況を劇的に変えたのがインターネットの普及である。消費者は,インターネットを通じて,パッケージツアーやホテル・航空券などの膨大な情報が収められたデータベースにアクセスできるようになった。

そして,インターネットの普及に歩調を合わせて進化を遂げた検索エンジンの助けを借りて,膨大なデータの中から,お目当ての商品を簡単に探せるようになった。また,「比較サイト」と呼ばれるサービスも登場し,旅行や家電・保険・自動車など,さまざまな商品について,どの店で買えば,お目当ての商品を最も安い価格で買うことができるかを,一瞬にして見つけることもできるようになった。

さらに,検索エンジンの機能や性能が進化した結果,消費者は,細かな取引条件の違いまでも比較できるようになっていく。たとえば,キャンセルの可不可やキャンセル料が発生するタイミングや金額の違い,配送料の有無や配送日指定の可不可,在庫の有無や配送期間の違い,ポイントの有無や還元率の違い,等々。

この結果,消費者の前には,一見すると同じような価格だが,微妙に取引条件の異なる商品がたくさんリストアップされることになり,過剰な選択肢を前に,どれが「正解」なのかを決められず,立ちすくむ消費者が増えていくという状況が生まれている。

つまり,検索技術の普及・進化によって,消費者は企業が保有する膨大なデータへのアクセス権を手にしたが,一方で,提示された膨大な選択肢の中から,本当にお得なものはどれなのかを,一つひとつ確認・検証していくことは,消費者にとって,新たな「コスト」となりつつある。

3.2 検索からリコメンドへ

こうした状況の中,消費者の興味・関心を把握し,最適な商品やサービスを,最適なタイミングで提示することで,多少,価格は高くとも,消費者に選択してもらおうという動きが出てきている。

たとえば,ある消費者の過去の行動履歴から,毎年,正月は家族で海外旅行に出掛けていることがわかっているとしよう。この場合,年末年始の予定を考え始める秋ごろに,他社に先んじて,お薦めのツアーや航空券に関する情報を提供すれば,成約の可能性が高くなることは容易に想像がつく。

さらに,最近赤ちゃんが生まれた,といった家族構成に関する情報も把握していれば,夫婦だけのときは毎年ハワイに行っていたが,今年は赤ちゃんがいるから,移動の少ない国内旅行を薦めたり,あるいは,国内の高級ホテルでゆっくり過ごすといったプランを提案したりすることで,今年も予約をしてもらえる可能性は高くなるかもしれない。

一方,「今年は赤ちゃんがいるからハワイはどうしようかな」と迷っている消費者に対して,自社のハワイツアーは業界最安値であるとか,他社では扱えない体験ツアーがあるといったことばかりをアピールしても,この消費者の心は動かないだろう。

同様に,Webサイトの予約フォームのユーザビリティーを改善したり,あるいはカスタマーサポートを充実させたりしても,そもそも「どうすれば今度の正月を赤ちゃんと一緒に楽しく過ごせるのか?」というニーズ・課題に向き合えなければ,検討対象にすら加えてもらえないだろう。そうなれば,せっかく改善された予約フォームやカスタマーサポートも,使われることなく終わってしまうことになる。

このように,消費者を取り巻く情報環境が大きく変化する中,消費者の興味・関心を予測し,最適なUXを提供できるかどうかが,企業の競争力にも大きな影響を与えるようになっているのである2)

4. データが可能にする新たなおもてなし

消費者の興味や関心を予測するために非常に重要になるのが,個々の消費者の行動データの把握と分析である。このとき,対象となるのは,Webサイトやモバイルアプリの閲覧・利用履歴といった,いわゆるデジタル空間上で取得されるデータだけではない。顧客リストや会員名簿などの実名データ,さらに可能な場合には,実店舗への来訪や購入データなども統合し,可能な限り,正確かつリアルタイムに個々の消費者の行動履歴を把握しようという動きが始まっている。

以下,こうしたデータの収集・分析に関するソリューションを提供している主要プレーヤーの動向から,今,企業のマーケターは何を,どこまで実現できるのかをみていこう(ちなみにマーケティングとは,企業が,自らの製品やサービスの価値や特長などを定義・創出し,顧客やクライアントあるいは社会全体に対して,それらを効果的に伝えるための一連の行為を指す。ここでは,それに従事する人たちをマーケターと定義する)。

4.1 Google

一般的には検索エンジンの会社として知られるGoogleだが,同社が提供する「Googleアナリティクス」は,無償で高度な分析機能を利用できるアクセス解析ツールとして,世界中のWebサイトに実装されている。

特に近年注目されているのが,ユーザーIDとの連携機能だ。多くのWebサイトでは会員向けのログイン機能が実装されているが,この情報をGoogleアナリティクスと連携させることで,本来,ブラウザ単位で取得していた匿名のCookieデータ注1)を,ユーザーIDとひも付けることが可能になる。

従来,同じ人物が,会社ではPC,通勤途中ではスマートフォン,自宅では個人用PCから,Webサイトにアクセスしてきても,CookieのIDはブラウザ単位で異なるため,このままでは「3人の異なるユーザーからのアクセス」と認識されてしまう。だが,それぞれのCookie IDを,1つのログイン情報と結び付けることで,これらが同一人物からのアクセスであることを把握できる。

これにより,マーケターは,デバイスをまたいだ閲覧・購入動向を把握し,購入意向を高めるには,どういうタイミングで,どのデバイスから,どのような情報を提供すれば,最も高い効果が期待できるかを検証することができる。

さらに,GoogleではAdWordsというネット広告サービスも展開しており,Googleアナリティクスのデータを活用することで,Webサイトの閲覧履歴から,個々の来訪者の興味・関心を推測し,それに応じた広告メッセージを配信するといった機能も提供している。

4.2 Adobe

Adobeは,もともとフォトショップやイラストレーターといったデザイン関連のツールで知られる会社である。だが,2009年にアクセス解析サービスを提供するオムニチュア社注2)を買収したことで,Webサイトの閲覧行動に関するデータの収集・解析機能を手に入れた。これを機に,同社は,クリエイティブとマーケティングの統合に大きくかじを切ることになる。

その後も,相次ぐM&Aにより,ターゲティング広告の配信技術やオンライン・オフラインの行動データの解析技術を持つ会社などを手中に収め,取得された数々の技術は,“Adobe Marketing Cloud”注3)というデジタルマーケティングのプラットフォームとして統合・提供されている。

こうした技術に,Adobeが持つコンテンツの制作や配信を管理するサービスを連携させることで,消費者の行動・閲覧履歴から,興味や関心を分析・予測し,最もふさわしいタイミングで,適切な情報やコンテンツを,自動的に配信できるサービスも提供している。こうして,Adobeは,デジタルマーケティングに関する統合的なソリューションを提供する会社へと進化を遂げたのである。

4.3 Salesforce 

Salesforceは,もともとは営業支援ツールを提供する会社であり,特に企業間取引(B2B)における顧客データ管理に強みを持っていた。たとえば,同社のCRM(Customer Relationship Management)ツール注4)を使うことで,展示会で集めた名刺から見込み客リストを作り,どの営業担当者が,誰をフォローしているのか,そのうち,どの見込み客と,アポや商談が進んでいるのか,といったプロセスや成果を可視化できる。

だが,B2Bの世界でも,急速にデジタル化が進展する中,見込み客の獲得やコミュニケーションにも,Webサイトや電子メールが多用されるようになった。この結果,見込み客一人ひとりの属性や行動履歴に応じて,Webサイトや電子メールのメッセージをパーソナライズするといった,従来であれば,営業担当者の才覚で行ってきたことを,デジタル空間でも実現したい,というニーズが生まれてくる。

そこで,Salesforceも,Adobe同様,積極的なM&A戦略により,メール配信のターゲティングやネット上での行動・閲覧履歴の解析技術を持つ会社を次々と傘下に収める一方,外部の企業が,Salesforceと連携するサービスを容易に開発・提供できるエコシステム注5)の提供にも力を入れている。

こうした取り組みの結果,Salesforceのツールで管理される顧客リストには,アポや商談の履歴だけでなく,メールの配信状況や開封の有無,Webサイトの来訪・閲覧履歴といったデータも収集・蓄積され,一人ひとりの見込み客に対し,オンライン・オフラインの境を越えて,統合的な営業活動やコミュニケーションを行うことが可能となっている。

ちなみに,Googleアナリティクスも,SalesforceなどのCRMツールに蓄積されたデータをインポートし,顧客やユーザーリストとWebの閲覧履歴などを統合して収集・解析する機能を提供している。

4.4 その他の動き

消費者の行動履歴を把握し,興味・関心を先回りして予測するためのツールとして注目を浴びているのがプライベートDMP(Data Management Platform)である。今日,多くの企業では,Webの閲覧履歴やメールの配信・開封歴などのデータや,CRMツールに蓄積された顧客データなどを収める場所として,プライベートDMPという「箱」を開発・構築し,その中で,さまざまなデータを組み合わせ,消費者の行動を統合的に把握しようとする取り組みを進めている(2)。

たとえば,実店舗とECサイトの両方に共通したポイントシステムなどがある場合,ネットとリアル双方の購入履歴などを統合することで,ダイレクトメールや電子メールなどを使い,パーソナライズされたメッセージを送るといったことも可能になる。

また,デンマークに本拠を置くSitecoreという企業は,もともとWebサイトのコンテンツを効率的に管理するためのCMS(Contents Management System)を提供する会社であった。ここにWebサイトの来訪履歴を収集・分析する機能や,CRMやメール配信のリストやデータなども統合させることで,Webサイトの行動・閲覧履歴から,一人ひとりの興味・関心を予測し,Webサイトやメールで配信・発信する情報やコンテンツを,パーソナライズするというソリューションを提供している。

このように,今日,出自の異なるさまざまな企業が,消費者データの収集や解析をめぐって覇権争いを繰り広げており,企業のマーケターにとっては,利用可能なさまざまな選択肢が広がっている。

図2 DMPの概要

4.5 情報の秘匿に動く消費者への対応

普段,何気なく使っているインターネットやスマートフォンの向こう側で,こんなことが起きていると考えると,かつて映画「マトリックス」に描かれたような,人類がコンピューターに支配される時代がついに到来したかと,不安や息苦しさを感じる向きもあるだろう。

実際,消費者の中には,自己防衛の手段として,自分の行動履歴が追跡されないよう,ブラウザの設定を変更して,Cookieの受け入れを拒絶したり,Webサイトの閲覧中に広告が配信されないようブロックしたりする人も増えている。

こうした流れが進めば,いずれ,広告収益をもとに良質なコンテンツを提供・配信するというメディアのビジネスモデルも成り立たなくなる。情報やコンテンツの有償化が進めば,それは,多くの消費者にとっても不利益をもたらす。また,消費者の興味・関心を推し測る術が失われれば,一人ひとりに合った情報を,適切なタイミングで提供することも難しくなり,これもまた,消費者の利便性が損なわれることになるだろう。

だが,ここで問われるのは,やはり製品やサービスを売る側の,最良のUX提供に向けた努力なのである。

消費者に対し,自らの情報を開示・提供することで,どのようなメリットが得られるのかをきちんと提示できなければ,情報の秘匿を選択する人は,今後も増え続けるだろう。

一方,提供したテータが厳正かつ適切に利用され,その結果,最適なタイミングで,最適な情報やコンテンツ,広告や提案が提示されていると消費者が実感できる,快適なUXが実現されれば,消費者は,今後も進んで自らの情報を提供するようになるはずだ。

5. おわりに

最良なUXの提供は,企業の競争力を高めるうえで,不可欠な要素となりつつあるが,それを後押ししているのが,さまざまなデータを統合的に収集・解析し,消費者一人ひとりの興味・関心を予測するための技術の急速な進歩である。

最近注目を浴びているChatbotという技術は,LINEやFacebookメッセンジャーなどのアプリから,企業に自分の希望や好みを自由文形式で送信すると,その内容をシステムが解析し,最もふさわしい回答や提案を,あたかも人間と話しているように返してくれるというものである(3)。

技術的にはまだまだ発展途上の段階ではあるが,今後,人工知能や機械学習の技術が進歩すれば,間違いなく,回答や提案の精度は上がっていくだろう。

また,Amazonでは,消費者が欲しいものを予測し,注文が来る前に,欲しい商品を届ける“anticipatory shipping”(予測配送)という技術の開発を行っており,すでに特許も取得している3)

もし,これが実現すれば,まさに「かゆいところに手が届く」最良のUXが実現されることになる。こうなると,他の小売業者が,いくら価格競争を仕掛けたり,新たな商品やサービスを提供したりしても,消費者にアプローチを始めたときには,すでにAmazonから商品が配送されてしまっている,といったことにもなりかねない。

消費者は,かつて,旅行代理店のスタッフが提供してくれたような提案やアドバイスを求め始めているという点では「先祖返り」をしているようにもみえる。

だが,自宅でゴロゴロしながら,スマートフォンでホテルや航空券の予約ができるという利便性を捨ててまで,人々が,再び旅行代理店に足を運ぶとは考えにくい。

となると,Webサイトやモバイルアプリなどを介して,いかにパーソナライズされた,心地よいUXを,可能な限り自動的に提供できるかが,企業の競争力にも大きな影響を与えていくことは想像に難くない。

今後は,データに基づく消費者理解に勝利した者が,ビジネスにおいても勝利をつかむ,という時代が来るだろう。

図3 FacebookメッセンジャーのChatbot例

執筆者略歴

  • 泉 浩人(いずみ ひろと) hiroto.izumi@legrand.jp

株式会社ルグラン代表取締役共同CEO。国内外の企業に対し,UX戦略・デジタルマーケティング戦略に関するコンサルティングサービスを提供する傍ら,アドテック東京やCNET Japanなどのイベントでも講演。クチコミデータを活用したAKB48選抜総選挙の予測や,東京都知事選の情勢分析などユニークな解析も手がける。著書に『SEM成功の法:Yahoo! Googleの検索連動型広告を最大限に活かす』(ソーテック社)など。

本文の注
注1)  閲覧履歴などの情報を記録することを目的に,閲覧したWebサイトからPCやスマートフォンに付与されるファイル。

注2)  1996年に米国で設立されたWeb解析などのツールを提供する会社。2009年にアドビシステム社に買収された。

注3)  Web解析やWebサイトのコンテンツ管理・パーソナライゼーションなど,Adobeが提供するマーケティング関連ソリューションをクラウドベースで提供する統合プラットフォーム。

注4)  顧客の情報や商談・取引履歴などを記録するデータベースで,顧客との関係強化や営業活動の効率化に使われるツール。

注5)  本来は「生態系」を表す言葉だが,ここでは複数の企業がパートナーシップを組み,互いの技術を生かしながら,さまざまな機能やサービスを提供している状態を指す。

参考文献
 
© 2016 Japan Science and Technology Agency
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