2016 年 59 巻 8 号 p. 544-551
三重大学は,実践的な水産学教育・研究を通して,水産分野の6次産業化を地域に創出することが求められている。そこで三重大学では「マリンフードイノベーション創発ユニット構築プロジェクト」をスタートさせ,「拡張現実対応遠隔教育支援システム」と食の安全・安心に基づく「水産製造加工現場実習支援システム」の整備を行った。地域の活性化を図る目的を有する本事業の情報関連分野に着目して現状と方向性についてまとめる。
三重大学は,地域に根ざし,世界に誇れる独自性豊かな教育・研究成果を生み出すために特色ある教育・研究を推進する地域イノベーション大学として,環境マネジメントシステムの維持向上に継続的に取り組んでいる。特に生物資源学部・生物資源学研究科には,実践的な水産学教育・研究推進ユニットを創生し,水産分野の6次産業化注1)を進め,環境ビジネスを地域に創出することが求められている。
そこで2014年度から,人材育成に通じるコンソーシアム基盤を構築する文部科学省の特別プロジェクト「マリンフードイノベーション創発ユニット構築プロジェクト」(以下,本プロジェクト)1)に取り組んだ。現在は文部科学省の特別プロジェクトから離れたが,駒田美弘三重大学長裁量プロジェクトとして水産業者や練習船などの現場とセンサーを介して情報空間のリンクやネットワークを築き継続している。
また三重の魅力的な海・山・川の産物をよりおいしく,安全・安心に提供できるよう,食品保蔵における技術開発を推進し,実際に食品製造の現場で学生に品質管理を経験させるなど新しい人材の育成も行っている。
本プロジェクトは,以下の3つで構成される。
1) 拡張現実対応遠隔教育支援システム具体的には,農場,演習林や水産実験場などで構成される「附属紀伊・黒潮生命地域フィールドサイエンスセンター(FSC)」や,練習船「勢水丸」という現場と,三重大学の上浜キャンパス監視センターコア(以下,三重大学上浜キャンパス)を,「拡張現実対応遠隔教育支援システム(リモートガイドウェア注2))」(後述)で結ぶ。そしてスマートフォンやタブレット端末を活用し,FSC・練習船・水産製造実験工場(三重大学内の施設)における情報共有を支援するための情報基盤を確立する。この結果,リアルタイムベースでの情報共有が可能となり,情報として一元管理されにくい貴重な経験や体験への対応が可能となる。さらに,練習船「勢水丸」での実習や地域の水産加工会社などでのインターンシップ活動といった,現場での実体験学習が期待できる。
また,このリモートガイドウェアの整備により,地域の農林水産現場と,三重大学上浜キャンパスを映像・音声を用いてリアルタイム接続できる環境が整い,現場の知識と技術が双方向で三重大学を含む地域コミュニティー内で情報共有されつつ,地域の農林水産現場情報の一元管理体制の実現にも寄与することが期待される(図1)。
食の安全・安心に関連して,HACCP注3)に基づく「水産製造加工現場実習支援システム」を水産製造実験工場に整備し,実践的な食品衛生教育を実施する。
3) 未利用海洋生物資源の利用海洋の未利用資源,特に海洋生物を活用して,新たな素材の探索と,6次産業化に向けた利活用を行う。
2.1 「食のアカデミーセミナー」in TOBA2014年4月11日(金)に,鳥羽国際ホテルで,本プロジェクトのキックオフイベントとなる「食のアカデミーセミナーin TOBA」を,三重大学と一般社団法人ALFAE注4)で共同開催した。三重県内の水産業関連団体・企業を中心に総勢80名の参加を得,リモートガイドウェアのお披露目ともなった。
参加者が食材の持つ潜在的な魅力に触れる機会を得られるように,地元だけで消費される答志島(とうしじま)でとれた魚介類を用い,辻調理師専門学校,鳥羽商工会議所と鳥羽国際ホテルで共同考案された和洋食メニューが提供された。また,答志島と鳥羽国際ホテルの会場がリモートガイドウェアで結ばれ,提供された答志島の水産資源や食ブランド化について,現場からの紹介と説明が行われた(図2)。その後,未利用水産資源,水産物の保蔵・輸送技術,持続的な海洋生態系などについての講演が行われた。この間,会場では,「持続的な海洋生態系の豊かな水産資源を最大活用した地域作り」に関する活気ある意見交換が行われた。
キックオフイベント後の2年間,食の分野における「産業の現場と情報空間」を結んだネットワーク構築に取り組んできた。本格的な活用はこれからであるが,現時点での主な成果は以下のとおりである。
これから本プロジェクトの詳細について,3章にわたって解説していく。
今回のプロジェクトで最も重要な位置付けの「拡張現実対応遠隔教育支援システム」は「リモートガイドウェア」と「Real World Guideware (実世界ログ)」から構成される。
3.1 リモートガイドウェアリモートガイドウェアは遠隔地にいる現場作業者(FSC・練習船)と本部(三重大学上浜キャンパス)が,インターネット上でのライブ映像・音声,図面や写真,手順書などの資料を共有できるようにする,コミュニケーション支援のプラットフォームである(図3)。タブレット端末カメラ,固定IPカメラ,小型カメラ,デジタルカメラなど,それぞれの現場に合ったカメラ構成を選択することで,質の高い遠隔の共同作業あるいは遠隔指導が行える(図4)。
このシステムを用いることで,三重大学上浜キャンパスにいる指導教員あるいは共同研究者が,現場で撮像されている画像と同じ画像を遠隔からでもリアルタイムで共有しながら実習指導をすることができ,学習履歴をクラウドに蓄積することも可能となる。また拡張現実(AR)機能を用いることで,三重大学上浜キャンパスで画像中に書き込んだ着目ポイントを現場で共有し,さらに現場でそのポイントの拡大画像を受信しつつ議論を深めるといったことも行える。
リモートガイドウェアでは,音声は双方向であるが画像は現場からのみ送られる。ただ,AR機能を用いることで,たとえば大学側が赤丸のROI(Region of Interest)を記入すると,現場の画像に赤丸が反映される,といったことが可能になる(図5)。
リモートガイドウェアの利用を促進するために,マリンフードイノベーションの入り口となるポータルサイトの構築を行った。このポータルサイトでは,マリンフードイノベーションにかかわるあらゆるデータの蓄積,配信が行える。このポータルサイトにより,クラウドに蓄積された映像記録のダウンロードと再生を行うことで,小中学校・高校への出前授業,地域支援活動などでのコンテンツの再利用が可能となる。また,記録した映像データはツール内での再生はもちろん,ポータルサイトでのアップロードと再生が行える。
現場での活動では,成果へのプロセスや実施度の見える化,課題克服の可能性遡及(To Doのトラッキング)を求められるため,現場での発案や気づきを漏らさず記録するツールとして,「Real World Guideware (実世界ログ)」を開発した。
このツールでは,目的行動・活動をプロジェクトと見立て,その中のタスクを定義し行動に挑むことで,タスクの実施度をテキスト,写真,動画を見ながら確認できる(図6)。
実世界ログは,三重大学内での水産関連科目の実習授業で使用することを前提として開発されているが,将来的には他の授業への展開やインターンシップでの活用を検討している。実世界ログにおいては,プロジェクト,タスク,コメントの3段階の階層構造を有している(図7)。実際の使用例は食品の製造実習の項で説明する。
近年,農林水産業の振興策の一つとして水産物の輸出が取り上げられているが,地域水産加工施設での,HACCPなどの衛生管理に関する認証の取得が大きな障壁となっている。2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会では,HACCP認証がない加工食品は選手村では使えないため,地域の水産食品会社にこの重要性を伝えることは極めて重要である。
そこで本プロジェクトでは,HACCPに基づくシステムを水産製造実験工場に整備し,水産学の現場実習カリキュラムを新たに開設。品質面での付加価値を付与する,新しい保蔵技術・調理技術と実践的な食品衛生教育を実施する準備を開始した。
4.1 食品保蔵と品質評価食品の品質における水の役割は極めて大きいため,誘電分光を用いて水と主要成分との相互作用の解明を行う研究が長く行われてきている2)。一方で,交流電界を用いた食品中の水の制御システムに関しては,電子レンジ(2.4GHz)を除けば理論的なメカニズムは解明されていない。
本プロジェクトでは,水産物の長期保蔵および水産物の新たな調理手法の確立を目的に,高電界付与の食品保蔵装置注6),食品加工装置を用いて,その性能の定性的・定量的評価を行った。さらに食品保蔵装置や加工装置を使用した後の食品について,最新の近赤外分光システム注7)を用いた,非破壊での成分品質の定性・定量的な解析を行う環境を整えた。
ここでは整備した近赤外分光システムについて紹介する。近赤外分光システムは測定波長域1,100nmから2,200nmで食品のスポットの分析が可能な,三重大学が開発した反射型プローブシステムと,食品表面の撮影と撮影した領域のハイパースペクトル(1,000nm~2,350nm)が取得できる近赤外組成イメージングシステムCompovision(HSC(ハイパースペクトルカメラ),住友電工製)からなる。
そこで高電界付与の食品保蔵装置で保蔵したカツオブロックを用いて,Compovisionで行った,カツオの脂質による品質解析を簡単に紹介する。図8にCompovisionでの近赤外組成イメージングの原理を示した。水のOH基,脂質特有のCH基などの官能基の振動は光の振動周波数と対応するため,近赤外組成イメージングでは,官能基の同定を通して,水分や脂質などの成分の面的な分布(二次元分布)を明らかにできる。
図9に,脂質に関連の深いCH振動周波数(1,195nm)に着目し,Compovisionで計測した脂質分布を疑似カラー画像で示した。また,カツオブロックを例に,楕円領域の平均スペクトルを示した。脂質分布の違いとともに,楕円領域での近赤外スペクトルの違いを通した他の成分の違いも明らかになっており,成分品質に基づく味覚・テクスチャーなどの実用レベルの解析には,非常に有効である。
三重大学では,食品産業上,非常に重要な,「安全・安心」を体現するものづくりについて,実際の食品製造実習の場で体験させている。
製造時における品質管理は,主に
の4つに大別できる。
本プロジェクトにおいて,重点的に実施しているのは,4)微生物学的な管理である。実習では,微生物の実態把握や菌数の測定法などを学び,次亜塩素酸も用いた殺菌法3),4)など,実際に企業でも行われている方法をさらに改良して,先進的な技法の開発などを行っている。これらの結果はデータベースとして蓄積し,次世代への基盤技術として活用を図るための構想もある。また,食品製造実習の現場で,学生が拡張現実対応遠隔教育支援システムの実世界ログを用いることも想定している(図10)。
実世界ログを用いることにより,記録の高度化,記録の手軽さの促進,無意識行動の分析といった分野までカバーすることができる。画像ベースだと情報はどうしてもマクロ的になるが,言葉を介することでそこにミクロ視点を加え,新たな発見につなげることが期待できるのである。
本プロジェクトでは,水産物の新たな調理法を通した地域振興を目指し,定性・定量的な装置の評価法の確立も考慮している。新たな調理技術として,(株)エバートロンが開発した,交流電界を用いた電極ユニット「Dr.Fry」注8)(図11)を活用することも本事業の課題である。既設のフライヤーの油槽にこの装置を沈めることで,おいしく奇麗な揚げ物ができることが実証されているため,本事業においても実際に装置の効果を体験するワークショップを水産製造実験工場で開催した。
地域における水産業の振興は,活用できる海面に制限があるため,効率のよい増養殖の発展と6次産業化を目指す必要がある。本プロジェクトでも,海洋の未利用資源5),特に海洋生物を活用して,新たな素材の探索と,6次産業化に向けた利活用を図ることにした。
水産食品のアウトプットはますます多様化している。すなわち,従来は鮮魚と,ちくわやカツオブシなどの水産加工品が主たるものであったが,近年,サプリメントやスキンケア商品の市場が2兆円を超え,ここ20年間で20倍以上の規模になっている。海洋生物由来の素材も増加しており,サメやサケの軟骨から得られるコンドロイチン,エビやカニの甲殻を原料とするグルコサミン,サケ,カツオ,スケトウダラなどの皮から得られるコラーゲン,微細藻類である緑藻ヘマトコッカス由来のアスタキサンチンなどは,すでに大きな市場を得ている。これらはいずれも,従来は使用されることがなかった廃棄物などの未利用資源であり,今後の新たな展望が開けてくる。そこで,「環境と人に優しい」ことを念頭に,1)未利用大型藻類,2)食品廃棄物,3)培養可能な微細藻類の3つをテーマに取り上げ,廃棄されているマンボウの皮注9)を,新たなコラーゲン素材として検討するなど,産学連携による展開を図っていく予定である。
大学の地域貢献6)を考える場合,地域の構成員それぞれが異なった立場を意識し,ステークホルダーとしての背景を考えながら役割を創出していくというバランスのとれた考え方が重要である。大学そのものの役割としては,その本来の使命が教育・研究であるため,社会貢献においては,限られた時間と人的資源で成立するターゲットの絞り込みが不可欠である。
最後に,「大学の限界」があることも忘れてはならないだろう。大学の地域貢献・社会貢献では,「大学はビジネス,販売,マーケティングには関与しないが,側面支援はする」という立場を堅持することが極めて重要である。また,側面支援のためには,研究テーマの設定指針として,「出口の見える研究」「ゴールは何か」「何の役に立つか」の明確化が求められている。
三重大学農学部助手を経て,三重大学 生物資源学部教授,三重大学理事・副学長等を務め,現在,三重大学大学院 生物資源学研究科教授。専門は食品工学,農業情報工学,生物情報工学。農産物・食品の成分・味覚の研究をはじめ,近年は光による農作物・農産物,食品の情報収集技術,ICTの農業への利用について研究している。JSTさきがけ「情報科学との協働による革新的な農産物栽培手法を実現するための技術基盤の創出」領域アドバイザー。
(株)海洋バイオテクノロジー研究所研究室長,サントリー(株)健康食品開発部長,同社食品研究所部長等を経て,現在,三重大学大学院生物資源学研究科教授。専門は海洋天然物化学,活性酸素化学,食品化学等。「美と健康」にかかわる成分の探索,生産と利活用に関する研究をはじめ,食の6次産業化に関する研究も行っている。