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日本の電子出版30年の軌跡:電子辞書・電子書籍の黎明期から現在まで
長谷川 秀記
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2016 年 59 巻 9 号 p. 587-598

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著者抄録

日本の電子出版30年の歴史を電子辞書と電子書籍の2つのコンテンツから概観する。日本の電子出版はCD-ROMの登場とともに誕生した。電子辞書は1980年代後半に生まれたCD-ROM辞書から始まり,1990年代後半には携帯電子辞書端末が主流となる。1999年iモードがリリースされると会員制のケータイ辞書引きサービスが生まれ,現在はネットワーク辞書とスマホ辞書アプリが主流になるなど時代によって媒体が変化してきた。現在はネット上の無料辞書引きサービスや検索エンジンに押されて有料電子辞書は苦戦をしている状況である。一方,電子書籍は電子辞書に比べると普及に時間がかかった。最初の電子書店は1990年代半ばにできたが,iモードによってケータイでコミックが読めるようになると徐々に普及が進み,スマートフォンの発売や米国での電子書籍のブームを受けて,日本でも2010年は「電子書籍元年」と騒がれた。現在はまだ印刷本の電子化という段階にとどまっているが,今後電子ならではの表現が加わることが期待される。

1. はじめに

日本電子出版協会(Japan Electronic Publishing Association: JEPA)注1)は,2016年に創設30周年を迎えた注2)。筆者はこの協会の設立準備会以来,協会活動に参加してきた一人であり,実務でも電子出版にかかわってきた。この機会に日本における電子出版の30年をまとめておきたい。

しかし残念ながら過去の電子出版についての資料はほとんど失われている。したがって私自身の記憶と,2009年にJEPAが刊行した『電子出版クロニクル:JEPA(日本電子出版協会)のあゆみ』1)に当事者の証言が残っているので主にそれを参照した。

2. JEPAの旗揚げ前夜~設立

JEPAの設立は1986年9月のことだが,この前夜の状況を概観したい。パーソナルコンピューターというものが登場してから10年程度の時期である。時代的な風潮としては「情報化社会」「情報革命」という言葉が喧伝(けんでん)され,トフラーの書いた『第三の波』(1980年)がベストセラーになるなど,現在まで続くIT革命の最初の時期である。

その流れがメディアの世界にやってきたのがビデオテックスと呼ばれる電話線とテレビをつなげた情報システムであり,CD-ROMという光ディスクの登場だった。当時これらの技術は「ニューメディア」と呼ばれた。

ビデオテックスは日本では官民挙げての実現が図られ,電電公社が運用を開始したのが1984年のことである。ビデオテックスはフランスではミニテルという名前である程度普及し使われたようであるが,日本ではほとんど普及しなかった。

CD-ROMは音楽CDをコンピューターの外部記憶装置として活用しようという試みであり,出版物の電子化に向いた媒体とされた。これがJEPA設立の直接的な契機となったといえる。

コンテンツの世界では文字コード(JIS第1水準・第2水準)が制定されワープロを支えていたし,医療などの世界ではデータベースの導入が進み,サーチャーという新しい職業が注目を浴びていた。

1983年の任天堂のファミリーコンピューター登場は,初めて家庭にコンテンツマシンが普及したという意味で大きな出来事だと思う。

JEPAが設立された1986年には最初のDTPソフト,アルダス社の「PageMaker」が発売されている。DTP(Desktop publishing,デスクトップパブリッシング)とは書籍,新聞などの組み版作業をパーソナルコンピューター上で行うもので,出版の電子化にとってとても意味のある年といえる。

こう書くといかにも情報化の波が盛り上がっているように感じられると思うが,一般の人にとっては情報化など縁遠い存在だったに違いない。ワープロ専用機は職場に普及し始めていたが,パソコンは一部のファンの趣味のマシンととらえられており,「パソコンおたく」という言葉が情報化で盛り上がる層と一般の落差を物語っている。

2.1 JEPAの設立

JEPAはそのような状況の中1986年7月に発起人会を開催し,同年9月に設立総会を開いた。当初参加したのは出版社22社で会長はこの会を提案し実現させた三修社社長の前田完治(故人)氏であった。当初は出版社のみのスタートとなったが,すぐに関連業界(印刷,ハードメーカー,ソフトメーカー)の参加を求め,電子出版推進の業際団体となった。

JEPAの設立趣意書には,情報化時代を「出版のサバイバル」が必要な時代ととらえ,またそれを乗り越えるためには,蓄積された出版資産を生かし,出版社と印刷,ハードメーカー,ソフトメーカーが協力することが必要であり,目標として新しい需要の喚起,相応しい流通の整備,情報の付加価値創造が述べられている。

3. CD-ROMの時代

JEPA設立の直接的な契機となったのがCD-ROMであることはすでに述べたが,次に,われわれを突き動かしたCD-ROMについて振り返ってみよう。

3.1 CD-ROMの夢

ソニーとフィリップスが音楽CDの規格(通称レッドブック)を発表したのは1980年のことであり,商品としてのCDが発売されたのは1982年のことだった。音楽CDは取り扱いの楽さと雑音のない音で大衆の心をつかみ,一気にレコード盤を駆逐した。

この音楽CDは膨大なデジタル信号をディスクの表面に記録したものであり,当然コンピューターの外部記憶として利用が可能であった。そして,その機能をもたせた光ディスク規格が1985年にソニー,フィリップスによって発表された。イエローブックと呼ばれる規格である。CD-ROMは多くのメーカーから支持を集め,ハイシエラフォーマットと呼ばれる論理構造が作られたのが1986年,2年後に現在のフォーマットであるISO 9660が制定される。

JEPAの最初の仕事はCD-ROMの日本語対応の検討だった。1988年に「日本語対応CD-ROM論理書式の標準化案」を作成,データベース振興センターから開発委託を受けテストディスクである「和同開珎(わどうかいちん)」を作成している。このディスクには各社の辞書,データベース,カタログなどを収録した,当時の業界の一致団結を示すCD-ROMだったといえる。

当時,CD-ROMの特質は以下のように説明されていた。

  • 〈利点〉

1. 大容量600MB

2. 低コストで量産可能

  • 〈欠点〉

書き換え不可

600MBで大容量とは今からすると信じられないほど小さい数値だが,当時の記憶媒体であるフロッピーディスクは250KB~1.2MB程度であったことを考えるととてつもない容量があったわけである。

またCD-ROMの生産は音楽CDの生産ラインがそのまま利用できた。そのためCD-ROMは低コストで量産が可能だった(それでも現在から考えると高価ではあったのだが)。

問題は「書き換え不可」という致命的な欠点である。CD-Rという追記型の光ディスクの登場まではこの問題を抱えていた。ところがこの書き換え不可を利点としてしまうのが,データ集や出版物だったのである。CD-ROMを何とか商品化したいメーカーはここに着目し,出版社や新聞社にアプローチをした。

600MBは文字コンテンツを入れる容量とすれば大きすぎる容量ともいえる。単なる小説なら何百冊も収納できてしまう。では辞書ならどうだろう。百科事典ならとアプローチがなされたことは容易に想像できる。

容量があり,書き換えできないことが利点になり,検索というコンピューターの機能が生かせるコンテンツといえば,データ集であり辞書・事典であったわけだ。

3.2 CD-ROM辞書

日本最初のCD-ROMコンテンツは三修社の「最新科学技術用語辞典」で1985年のことだった。その翌年1986年に,岩波書店の「広辞苑第三版CD-ROM版」の試作が発表される。新聞に大きな活字で「紙がなくなる」という煽(あお)り文句が躍った。これがその後のCD-ROM出版の流れを作った。

当時われわれはレコードがCDに急速に移行した事例を目の前で見てきた。紙から電子への急速な進展を夢見たとしても不思議ではなかった(実際はそこから10年以上の年月が必要だったのだが)。

「広辞苑第三版CD-ROM版」(1)は1987年に発売される。これは富士通のワープロ専用機の最高級機種(価格は約200万円)で動いた。文書作成と国語辞書という組み合わせである。「広辞苑第三版CD-ROM版」は価格が2万8,000円,書籍版の5倍の価格だ。岩波書店はジュラルミンのケースを作ってCD-ROMを格納,値段相応の体裁を作った。半年後,NECよりパソコン版が発売され音も色も出せる辞書に進化する。

「広辞苑第三版CD-ROM版」が発売されると,その翌年(1988年)に三省堂から「模範六法昭和62年版CD-ROM版」が,自由国民社から「現代用語の基礎知識CD-ROM版」が発売され,その後次々と辞書・事典が電子化されていく。その背景には一つの英断があった。

「広辞苑第三版CD-ROM版」の電子辞書規約は富士通・ソニー・岩波・大日本印刷の共同開発によるものでWING規約と呼ばれていた(名称はこの規約が話し合われた品川駅前のWINGビルにちなんでいるが,後にEPWING規約と変更された)。

このWING規約を共同開発した各社はその利用を無料とすることで合意する。後発の辞書は電子辞書規約の開発から免除されるだけではなく,電子辞書利用のための再生システムを共通で使用できることになった。

当時この発想は「レコードとレコードプレーヤーの関係」と説明された。レコードの規格を共通化することで多数のレコードが製作され,多数の会社のプレーヤーで再生できる。CD-ROM辞書がレコード,それを再生する辞書ソフトがレコードプレーヤーという位置付けだ。今なら当たり前の発想であるが,当時はこんな説明が必要とされたのである。

その後,出版社の参入を推し進めるとともに富士通はワープロからパソコンでのCD-ROM活用を推進する(その結実が世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載したパソコンFM TOWNS<1989年>だ)。

「広辞苑第三版CD-ROM版」の共同開発メンバーのうちハードメーカーであるソニーはウォークマンでお得意の小型携帯型のハードを開発することになる。これが1990年に発売された「電子ブックプレーヤー DD-1」(2)である。

現在は製造されていないが,当時直径8センチのコンパクトCDというものがあった。この8センチCDを利用し小型で電池駆動する辞書端末の登場である。電子辞書の普及にこの端末が果たした役割は大きい。

当時私自身が経験したことだが,ある大書店の店長さんにCD-ROM辞書を説明した。その店長さんが「でも辞書を引くのに時間がかかりますよね」と私に反論した。当時の私は検索で瞬時に引けるのに何で時間がかかると言われているのかわからなかった。今思い起こすとパソコンやワープロの所に行って立ち上げ,次にCD-ROMを入れてそこで初めて辞書が引けるのでは時間がかかるという話だったのだろう。

常に目の前にパソコンが立ち上がっているという私の環境は,当時の一般的な人にはありえない環境だった。私は自分の感覚と世間一般の感覚を混同していたわけだ。

その意味では電子ブックプレーヤーは画期的だった。紙の辞書と同じように携帯でき,電源を入れてから立ち上がるスピードも速かった。何といっても辞書専用機ということが一般の人にも受け入れやすかったと思われる。

電子ブックプレーヤーは販売も好調だった。ハードはその後10年近くにわたってモデルチェンジしながら販売された。しかし,肝心の辞書タイトル(別売りソフト)はあまり売れなかったのが実情である。プレーヤーと同梱(ハードウェア・バンドル)の辞書にもれた出版社にとっては厳しい状況があった。

ユーザーは初期バンドルされた国語辞典・英和辞典で満足し他のタイトルを買う必要がなかったという考え方もあるが,辞書タイトルを入れ替えて使用する機能自体が理解されなかったのだという見方もある。マシンのソフトを入れ替えて違う使い方をするというのはコンピューターでは当たり前のことなのだが,一般にこの感覚が浸透するのはまだまだ先のことだったのである。

この事情はその後の電子辞書端末でも引き継がれ,ICカードなどで売られるオプションの辞書タイトルが売れたという話を聞いたことがない。

図1 「広辞苑第三版CD-ROM版」
図2 電子ブックプレーヤー DD-1

3.2.1 コンソーシアム活動

ソニーは「電子ブック」を推進するために電子ブックコミッティという団体を作る。一方富士通もEPWINGコンソーシアムを設立し,この2つの団体が電子辞書のビジネスを推進することになった。

2つの団体ができた背景には,ソニーが電子ブック1枚あたり100円のロイヤリティーを要求し,無料で使用という方針の富士通と対立が生じたからといわれている。

コンソーシアム活動は富士通・ソニー2つの主体のもとに出版社・取次・ハードメーカー・ソフトメーカーが参加しビジネス推進を活発に行った。

特に電子ブックコミッティの活動は規格の維持など技術面にとどまらず,取次を巻き込んで書店にコーナーを開設したり,新聞広告など宣伝活動を行ったり,CD-ROM制作についてのセミナーを開催したりと活発な活動が行われた。

毎月開かれた幹事会などの後には必ず懇親会が開かれた。そこでは参加メンバーの交流が図られ,会社・業界の壁を越えた人材の結びつきが生まれた。このメンバーは現在も電子出版のさまざまな場所で活躍しており,このコンソーシアムが日本の電子出版に果たした役割はとても大きい。

3.2.2 さまざまなタイトル開発

電子ブックコミッティやEPWINGコンソーシアムを中心に多数のコンテンツが制作された。

現在では漢字を調べるのに手書き入力や部首以外の構成する部品で引けることは当たり前になっているが,この構成部品で引けるようにした電子漢和辞典「漢字源」(学習研究社 1991年)が発明されたのもこの時だ。

単なる辞書・事典だけではなく,検索とリンク構造,音声を利用したタイトルが工夫されていった。

「ホームクリニック〔家庭の医学〕」(主婦の友社 1990年)はチャートに従ってYES,NOを選択していくと症状の診断と治療法がわかるというリンクを利用したタイトル。

「恋歌」(河出書房新社 1997年)は俵万智の歌集を電子化したものだが,発句からの検索などの他に,俵万智自身による朗読が聞けた。

「薬の事典ピルブック」(ソシム 1990年)は医者からもらった薬が何かを調べるために,薬のマークを検索キーにする工夫をしている。

このように,工夫に満ちたタイトルが次々と開発されていった。

これらのタイトルについては,ディジタルアシスト社のWebサイトにまとめてくれている。上記の発売年もこの記録によった2)

4. IC辞書端末からスマホアプリまで

4.1 IC辞書端末の登場

電子辞書はその後,CD-ROMからICメモリーを利用した現在のいわゆる「電子辞書端末」に移行していく。

IC辞書端末は1979年の「ポケット型電訳機」(シャープ)以来,単語帳レベルのものが電卓メーカーを中心に発売されていた。しかし単語帳ではなく辞書をまるごと搭載するにはICメモリーの容量増大と低価格化を待つことになる。

初めての本格的な電子辞書は1992年に研究社とセイコー電子工業が開発したTR-700で,「新英和・和英中辞典」(研究社)の全コンテンツを収録したものでフルコンテンツ辞書と呼ばれた。

この電子辞書端末の登場で電子辞書の主流はIC辞書端末へ移っていく。最初は1つのコンテンツを収録するのが精いっぱいであったIC辞書端末もメモリーの容量増大を受け,収録コンテンツ数を争うようになり,現在のフラグシップ機では200コンテンツ以上を収録する規模になっている。

しかし一世を風靡(ふうび)したIC辞書端末だが,スマートフォンの登場とインターネットの無料辞書サイトの登場などで販売台数は2008年以降下降している(3)。しかし学習用の需要などまだまだ健在である。

図3 携帯型辞書端末の年別出荷実績推移

4.2 複数コンテンツ搭載辞書

1990年代の中頃,複数出版社の相乗り辞書という,電子辞書の歴史の中で重要な変化が起こった。ユーザーにとっては,いちいちCD-ROMを入れ替えるなどの手間を経ないで,1枚で複数の辞書を使える方が便利なのだが,売り上げの分配一つとっても出版社の壁は大きかった。

そこに風穴をあけたのが1995年のセイコー電子工業のIC辞書端末TR-9000で,「広辞苑」(岩波書店)と「新英和・和英中辞典」(研究社)を収録した。CD-ROMではアスキーから発売された「辞・典・盤」(1996年)で岩波国語辞典(岩波書店),新英和・新和英中辞典(研究社),知恵蔵(朝日新聞社),マイペディア(平凡社)を収録している。

出版社同士が話し合って売り上げを分配するのではなく,セイコー電子工業やアスキーという発売元が各出版社とロイヤリティー交渉をして複数社のコンテンツをとりまとめる方式の登場である。

現在では,辞書ポータルサイトで串刺し検索(複数の辞書で同時に行う検索)ができるようになり,この検索方式が広く行われるようになった。

4.3 ケータイ辞書・インターネット辞書の登場

1999年にNTTドコモがiモードを開始し,ケータイ(携帯電話)という形でインターネット環境が一般に浸透していく。このケータイの最初の公式サイトとして三省堂が「大辞林」など3点を月額50円で提供した。

ケータイ上での会員制辞書引きサイトはその後も参入が相次ぎ,辞書出版社にとっては新しい市場が開けることになった。

また2000年前後にはインターネットでの有料辞書引きサービスも次々に開設された。三省堂の「Web Dictionary」(2001年),小学館が出資して作られたネットアドバンスによる「ジャパンナレッジ」(2001年)3)などである。特にジャパンナレッジは複数の会社の多数のコンテンツを集め,それを一括して検索できるサービスとして注目を集めた。

インターネット有料辞書引きサービスは現在に至るもほとんどが苦戦を続けているが,ジャパンナレッジは大学などB2B市場の開拓に成功し順調な運営を続けている。

また2001年にはコンシューマーによる集合知を目指すWikipediaの日本上陸があった。現在ではインターネット上の百科情報の代表格として認知利用されていることは間違いない。Wikipediaについてはさまざまな批判もあるが,伝統的な事典出版社は有効な対抗手段をもてずにいる。

またこの前後からYahoo!やgooなどポータルサイトでの辞書引きサービスが開始されている。コンテンツ提供の出版社には利用料が入るが,ユーザーにとっては無料というモデルである。これは現在もよく利用されているが,有料の辞書引きサービスが敬遠される原因にもなっている。

最近では出版社が集まり,広告収入モデルで無料辞書引きサービス(「コトバンク」注3)等)を提供する動きも注目されている。

4.4 スマホ辞書アプリ

2008年にiPhoneが日本で発売されケータイからスマートフォンへの移行が急激に進んだ。電子辞書も従来の会員制の辞書引きサービスからスマホ辞書アプリへと変化する。辞書アプリとしてはiPhone大辞林(物書堂 2008年)が有料にもかかわらず人気アプリとして注目された。しかしその後大きなヒットを飛ばす辞書アプリは登場していない。

4.5 電子辞書の今後

スマートフォンの時代になり,会員制という安定した市場を失うとともに,インターネットの無料辞書引きサービスが手軽に利用できるようになった。CD-ROM辞書の登場から電子出版の中では,辞書・事典は勝ち組といわれていたが,今後の展開には大きな困難が予測される。

Google検索と編集された辞書との差別化をいかにアピールできるか。200コンテンツ収録の電子辞書端末に見られるバンドル注4)依存体質から独自の販売モデルを構築できるかなど,スマホの時代に生き残る辞書・事典への模索が必要になっている。

5. マルチメディアという挑戦

1990年代半ば電子出版界,コンピューターメーカー,ソフトメーカーがそろって「マルチメディア」というスローガンに熱中した。

現在では「マルチメディア」という言葉自体が死語に近いが,文字,画像,動画,音声+インタラクティブ性を生かしたコンテンツということである。

マルチメディアに適した規約としてCD-I,CD-V,CD-ROM XA,CD-G…と次々に新規約が発表され,多くのコンテンツがCDの形で世に送り出された。しかし送り手側のかけ声だけが大きく,実際の売れ行きは芳しくなかったためブームは数年で去って行った。

マルチメディアの機能を前面に押し出すようなタイトルが多く,内容が伴わないものが多かったのが原因と思われるが,その中には名作もあった。

ボイジャー社が出版したビートルズの「Hard day's night」や映画監督小津安二郎の「The complete OZU」,三修社が日本版を手がけたロマン・ビクトル・プジュベ原作の「ルル」(4)などが名作とされている。「ルル」はとてもよくできた絵本だったと記憶しているが,当時PCの前で遊ぶ子どもがどの程度いたのだろうか。今ならタブレットで遊びそうだが。

「ルル」はその点も考慮して,PCだけではなくプレイステーション版,サターン版,ピピン版とゲーム機にも展開した。また,後にその時の各社キーメンバーが全員ジョインしてブレイン社が設立され現在も活動を続けている。

プジュベ氏の監督作品としては「星の王子さま」のマルチメディア版(1998年。日本語版はブレイン制作 岩波書店発売)も素晴らしい作品で,いろいろな賞に輝いた(プジュベ氏は2016年8月逝去されたとのこと,誌上を借りてご冥福をお祈りしたい)。

マルチメディアタイトルの中で個人的に一番印象に残っているタイトルは「マリリン・モンロー 検屍台の女神」(リクルート 1993年)というタイトルで,モンローの生い立ちから最後の自殺までを描いた作品である。全編文字によるドキュメントなのだが,自殺(?)直前,ケネディ大統領の誕生日パーティーでモンローが“Happy birthday Mr. President…”と歌う場面に来ると突然生の音声が流れる。同様のシーンは文字で表現も可能だろうが,生の音声の強烈なインパクトはいまだに忘れることができない。抑制を利かせたマルチメディアタイトルは侮れない魅力がある。

マルチメディアタイトルはPC環境の変化で現在は再生が困難になっており,短いブームのために詳しい記録が残っていないことは残念なことだ。印刷本の電子化が主流となった現在,もう一度電子媒体ならではの表現を見直してみる必要があると思われる。

図4 「ルル」

6. 電子書籍への歩み

6.1 1990年代の電子書籍

電子辞書がPCの一般への普及前から大きく進展していた半面,読み物の電子化は順調にはいかなかった。

1992年にボイジャージャパンが設立され,米ボイジャー社の電子書籍(エキスパンドブック:Expanded book)が日本に紹介された。これが日本における最初の電子書籍といえる。

その翌年,NECが世界初の電子書籍端末「NECデジタルブック」(5)を発売する。

この「NECデジタルブック」はフロッピーディスクに格納された書籍データをモノクロ液晶で読む端末で,「読書をプレイする」というキャッチフレーズでプロテニスプレーヤーの伊達公子さんをTVのCMに起用するなど本格的に販売活動が行われた。またタイトルは発売当初は80タイトル以上,最終的には200タイトル以上と,当時としては破格の品ぞろえとなった。

しかし残念ながら販売は芳しくなく,読書端末としては普及することはできなかった。

そんな中,初の電子書店が船出する。「電子書店パピレス」は1995年,パソコン通信上の電子書籍販売書店としてスタートした。スタート時に最も苦労したのは出版社と著者から電子化の許諾を得ることだった。「パピレス」を立ち上げた天谷氏はIT系メーカー出身であったため,出版社から大きな反発を受けたであろうことは想像に難くない。

それでも少数の出版社や著者の協力を得て電子書店を開業し,その後パソコン通信からインターネットに進出,電子マンガのブームに乗って2010年には上場を果たす。インターネットだけではなくケータイへの配信や期間限定の電子貸本の開始など長年にわたって日本の電子書籍販売の先頭を走っている。

一方,CD-ROMによる電子書籍販売としては1995年の「新潮文庫の100冊」(新潮社)が当時としてはヒットした企画であった。

また1994年にはPICTROM研究会という団体が作られ,印刷本の版面を画像としてCD-ROMに格納して販売する試みが行われた。

また米国では読書端末「Rocket eBook」(1998年)が発売され,その後複数のメーカーからさまざまな機種が登場し読書端末のブームが起こる。しかしこの時点では読者の受け入れるものとはならず数年で消えていった。

90年代の末になると日本における電子書籍フォーマット規約であるTTZ(T-Time形式 1998年),XMDF(1999年),.Book(ドットブック 2000年)が制定され電子書籍の基本的な準備が進んだ。

90年代末の大きな動きとしては電子書籍コンソーシアム設立がある(1998年)。これはPICTROMと同じく版面を画像データ化し電子書籍として配信,高解像度ディスプレーで読書するもので,1999年に通産省から補助金を受け「ブックオンデマンド総合実証実験」が行われた。

コンソーシアムに出版社が100社以上参加する大きな動きとなったが,出版界を巻き込むビジネスの創造には失敗し2000年に解散した。しかし参加した一部のグループがイーブックイニシアティブジャパンを立ち上げ(2000年),インターネットの進展もあり現在に至っている。

また出版社の動きではないが1997年に青空文庫がスタートしたことも大きな動きである。ボランティアによる著作権切れの作品の電子化と無償での提供は,各電子書店においても扱われ,品ぞろえの少なさを補う大切な要素として電子書籍発展に寄与した。

図5 NECデジタルブック

6.2 iモードの登場からスマートフォンまで

1999年のiモード登場は電子書籍の世界も大きく変えていった。

2000年に非伝統的出版社であるZAVN注5)から「Deep Love」というシリーズが発表された。これは,ドコモの公式サイトではないいわゆる「勝手サイト」で発表されたYoshi氏作の小説で,10代の女性読者の支持を受け,ケータイの配信後スターツ出版から印刷本も出版されシリーズ4冊通算200万部という売れ行きになり,映画化・TVドラマ化などの展開も起こった。

現在話題になっている非伝統的出版社による出版,個人出版の先駆けといえる。

iモードによる伝統的出版社の動きとしては「新潮ケータイ文庫」の創刊(2002年)がある。これはメール配信を利用したPush型の小説配信で,書き下ろし小説が毎日読めるというもので,月210円の会費制サービスとしてスタートした。

読者の購読記録がわかるため,購読数が3回連続ダウンすると連載を中止する「サドンデス小説」など刺激的な企画も話題となった。

読者層は20代女性が中心であり,単行本化へのマーケティングとしても有用な媒体となった。

また2000年には文芸出版社8社による「電子文庫出版社会」が設立され,共同の電子書籍販売Webサイト「電子文庫パブリ」がオープンした。この動きは前述の「電子書店パピレス」などの動きに対抗し,出版社自らが電子書籍化を進めないと危ないという危機感が根底にあり,売れなくても月に数点は電子化をするという努力をお互いに課したともいわれている。

出版社トップも巻き込んだこの動きの中で電子書籍の点数増加が図られていった。日本の電子書籍において大変大きな役割を果たしたといえる。

2004年になると再び日本で読書端末・電子書籍の動きが起こり,パナソニックからシグマブック,ソニーからはリブリエという読書端末が発売される。

ソニーは端末だけではなく電子書籍販売会社を独自に立ち上げるなど力を入れた展開を行ったが,残念なことに読者は動かず数年で撤退に追い込まれる。

リブリエは世界で初めてE Inkを使用した端末で,今から見ても完成度は非常に高いものだった。E Inkは電子ペーパーの一種で,高精細・低電力の反射型ディスプレーで,リブリエ以降の読書専用端末はすべてE Inkが使われている。

日本での失敗の後,リブリエが米ソニーへと伝わりSONY Readerの名称で販売される。すると米国で電子書籍の動きが活発化し,国際的な電子出版標準化団体であるIDPFのEPUB 2制定,AmazonのKindle発売(2007年),そして電子書籍元年といわれる動きへとつながって行く。

日本では失敗した2004年の電子書籍端末(シグマブック,リブリエ)への挑戦が3年後に米国で花開き,日本に逆輸入された形になった。

2007年は,米国でAmazonのKindleが発売されたとともにiPhoneが発売された年でもある。AmazonのKindleは米国で大ブームとなり電子書籍が一躍注目を浴びる。一方でAppleはiPhoneからiPadという流れの中で汎用(はんよう)的なタブレット端末を一気に普及させていく。

これらの動きが日本に伝わり多くの電子書店がオープンするなど,日本でも電子書籍が注目を浴びたのが2010年のいわゆる「電子書籍元年」である。

2010年には電子書籍を発売する出版社の集まりである日本電子書籍出版社協会も誕生し,日本の大手出版社からも電子書籍に本格的に参入する表明が相次いだ。

またこの年JEPAは,国際的な電子書籍仕様であるEPUBを日本語でも使用できるようにする「EPUB日本語要求仕様案」を策定しEPUBの制定団体であるIDPFに提案,2011年にEPUB 3.0として採用された4)5)

その後日本でもEPUB 3.0が主流のフォーマットとして使われ,読書端末ではなくスマートフォンを使って電子読書を楽しむ時代になった。電子書籍の売り上げはまだまだ少ないものの順調に成長しており,近い将来大きな市場になるものと考えられている(6)。

図6 電子書籍の市場動向

6.3 電子コミック

日本の電子書籍のけん引役はコミックといってよい。ケータイの時代でもコミックは大きな支持を得て電子書籍市場を立ち上げてきた。現在ではコミック以外のジャンルも徐々にシェアを伸ばしているが,主力はいまだにコミックという状況だ。

ケータイの時代には,当時の狭い画面でいかにコミックを読ませるかという問題があった。

そこで工夫されたのがコミックの一つひとつのコマを切り離し,一種の紙芝居として演出して見せる方式だ。これが支持され,2003年に始まったコミック配信は,2008年にはケータイコミックサイトが600サイトを超え急速に成長した。

しかしスマートフォンの出現によってケータイの市場はリセットされる。と同時にスマホの画面は大きく,ぎりぎり吹き出しが読めることから,手間とコストのかかる紙芝居方式は廃れ,印刷本のページをそのまま配信するようになる。

しかしスマホで快適にコミックが読めるかどうかは疑問である。この状況に非伝統的出版社であるcomico注6)は縦スクロールのコミックという新しい形式でチャレンジしている。作品はアマチュアの投稿作品からプロの作家の描き下ろしまであり,縦スクロールに特化,スマートフォンで読みやすいレイアウトになっている。

伝統的出版社は印刷媒体で利益を上げるため紙のレイアウトから離れられない。結果として読者に見づらい画面を強いている。comicoの場合,スマートフォンは基本的にマーケティングの位置付けであり,人気作品を印刷媒体やアニメなどに展開し利益を上げるというビジネスモデルをとっている。電子コミックの今後の流れがどうなるか注目される。

7. 電子出版とグローバリゼーション

電子出版のここ10年ほどの動きに特徴的なのはグローバリゼーションの波である。そもそも出版界はコンテンツの輸入過多という傾向はあったものの,海外の出版社と競争するなどの経験はほとんどなかった。電子出版の世界でも電子辞書も電子書籍も日本の中で閉じた規約作り,市場作りに終始していられた。

この状況を壊したのがAmazonとGoogleである。Amazonが日本でネット書店を開店したのは2000年のことである。瞬く間に日本の書店市場を席巻した。決算が非公開のため数字はないが,日本一の売り上げを誇る書店であることは間違いがないだろう。

次に起こった騒動はGoogle Book Search騒動である。2004年頃から米国で運用を開始していたGoogle Book Search(現Google Books)は図書館の蔵書をGoogleがスキャンしOCRにかけたテキストデータを検索できるというサービスだが,米国で作家や出版社団体から著作権違反であると訴訟が起こされた。そして裁判は和解に進むが,集団訴訟であったため全世界の著作権者に和解の効力が及ぶ。そこでこの和解に参加するかどうかを問う公告が2009年に日本の新聞にも掲載されたのである。

ちょうどその頃米国ではAmazon Kindleがブームを起こし電子書籍市場を席巻していたこともあり,日本の出版界は日本の電子書籍の世界や出版の世界がAmazonとGoogleに乗っ取られてしまうという恐慌に陥った。

2010年に「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」が総務省・経産省・文科省によって開かれたが,その席では国産の電子書籍フォーマットであるXMDFと.Bookを守るために交換フォーマットを作るという方針が主流を占め,JEPAの推すEPUBフォーマットは総スカンをくらった。攘夷派の勝利だった。

しかし,数年もたたないうちに日本でもEPUBフォーマットでの出版が普通になるなど,一時大勢を占めた攘夷的な動きは静まっている。

今求められているのは国を閉ざすのではなく,国際規約に積極的に参加して発言していくことであり,出版のグローバリゼーションにも積極的な対応をすることではないかと考える。

8. その他の動き

以上,電子出版の動きを電子辞書と電子書籍という代表的なコンテンツの面から眺めてきたが,その他にもたくさんの動きがあった。

出版資産の活用事例で蓄積したコンテンツを電子化して成功した事例もあるし,制度面では著作権や電子図書館の動き,電子教科書の動きも重要だ。

残念ながらここでは触れられなかったが,また機会があればまとめてみたい。

9. 最後に

JEPAが30年前に掲げた目標はいったいどの程度達成できたのだろうか。

設立趣意書は出版を「情報産業の主役」と位置付けているが,現在の情報産業の主役はインターネットであることは明白だ。その意味では主役の座は明け渡した結果となった。

それでは「出版のサバイバル」はどうか。印刷本はまだ書籍の主流であり立派に生き延びている。しかしコミックのところで見たように,印刷本を基本に据えることでは新しい時代に適応できないことが明らかになっている。

むしろ非伝統的な出版社や個人出版が新しい電子出版を担う元気な活動を行っているように思える。個人出版の量についての統計はないが,日本でも米国同様に非伝統的な出版社や個人が無視できない大きさに成長しているといわれている。

2010年の電子書籍元年以来,伝統的出版社による電子書籍出版の動きは活発だが,いまだに印刷本の電子化にとどまり,電子化の波に防衛的に対処している印象は否めない。

電子辞書の初期のように新しい媒体や機能を積極的に利用した開発こそ「出版のサバイバル」に必要なことだと考える。

執筆者略歴

  • 長谷川 秀記(はせがわ ひでき)

1950年生まれ。明治大学卒。自由国民社元社長。1998年より(有)自由電子出版 取締役社長。1980年代後半より辞書の電子化など電子出版に取り組む。電子ブックコミッティ副代表,EPWINGコンソーシアム会長,日本電子出版協会会長などを歴任。現在は日本電子出版協会顧問,明星大学講師。著書に『電子出版の実務』(共著・日本エディタースクール出版部),『電子図書館』(共著・勁草書房),『電子出版クロニクル』(編集/執筆・日本電子出版協会),『デジタルテキスト編集必携[技法編]』(著・翔泳社),など。

本文の注
注1)  日本電子出版協会:http://www.jepa.or.jp/

注2)  JEPA創設30周年事業 特設ページ:http://www.jepa.or.jp/jepa/30th/

注3)  コトバンク:https://kotobank.jp/

注4)  ハードウェアとソフトウェアを組み合わせていることなどを「バンドル」という。

注5)  ZAVN:http://www.zavn.net/

注6)  comico:http://www.comico.jp/

参考文献
  • 1)  日本電子出版協会編. 電子出版クロニクル:JEPA(日本電子出版協会)のあゆみ. 日本電子出版協会, 2009年, 125p.
  • 2)  ディジタルアシスト. “電子ブック全情報”. Digital ASSIST. http://www.d-assist.com/eblist/ebindex.html, (accessed 2016-09-26).
  • 3)  田中政司. ジャパンナレッジの挑戦:電子レファレンスツールの可能性. 情報管理. 2016, vol. 59, no. 3, p. 172-180. http://doi.org/10.1241/johokanri.59.172, (accessed 2016-09-26).
  • 4)  村田真. 電子書籍フォーマットEPUBと日本語組版:日本でメインストリームにいる人間は国際標準化の舞台ではまず勝てない. 情報管理. 2012, vol. 55, no. 1, p. 13-20. http://doi.org/10.1241/johokanri.55.13, (accessed 2016-09-26).
  • 5)  高瀬拓史. EPUB概説:電子出版物とWeb標準. 情報管理. 2014, vol. 57, no. 9, p. 618-628. http://doi.org/10.1241/johokanri.57.618, (accessed 2016-09-26).
 
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